4:災厄との初邂逅
「ねえねえ、ノワ。疾と最初に会った時って、どんな感じだったの?」
「……」
久々にマスターの邸に戻った俺は、疾と情報の共有を行っていた。互いの報告が一段落付いたタイミングで、手遊びで指すチェスの盤面をソファの背もたれに寄りかかり覗き込んでいたフウが、唐突に疑問を投げ掛けてきた。
疾を見ると、軽く眉を上げて口元だけで笑むその表情は読めない。チェスの駒をつまみ上げながら、尋ねてみる。
「聞かれたのか」
「つい最近な」
「ノワに話してもらえって。疾のけちー」
……丸投げということか。小さく溜息をついて駒を置くと、くっと喉を鳴らして疾がチェスの駒に手を伸ばした。
「俺はチビの保護者じゃねえからな。契約以上に相手してやるほど暇じゃねえよ」
「もー、まだチビって言うー。フウだってばー」
唇を尖らせて文句を言うフウを無視して、疾は俺に視線を投げ掛けてくる。どこか挑発的な眼差しに、溜息をついた。
「まあ……別に、構わないんだが」
魔法士協会を離れた今、守秘義務も何もない。当事者とフウしかいない場で語るだけだ、次元の狭間であるこの邸では情報漏洩の問題も無い。ともなれば、ただの昔話でしかないだろう。
疾がチェスの駒を置く。いやに鬱陶しい歩兵の動きに眉を寄せつつ、記憶を遡った。疾については依頼、仕事の妨害、任務中の災害としてなかなかに関わってきた記憶が多い。……こいつの破天荒ぶりを1つ1つ思い出すと、改めて頭痛がする。
その中で、初めて出逢った時。フウが知らないということは拾う前か──そこまで考えて、ようやく思い出した。
「……どこぞの組織が丸ごと乗っ取られて、一般人を誘拐してはエサにしていた件か」
「表向きには人体実験も兼ねた研究と称していたようだがな」
疾が俺の置いた駒を見て口元を吊り上げながら頷く。眉を上げて視線を向けると、疾は軽く笑いを零す。
「最年少幹部スブラン・ノワール殿は、些事には興味ねえってか」
「……まあ、あの頃は正直どうでもよかったな」
「はっ、だろうよ」
鼻で笑った疾は、どうやら俺以上にかの一件について詳しく把握しているらしい。だったらお前が説明すれば良いだろうと視線を向けるも、乾いた音を立てて駒が盤面に打ち付けられるのみ。
「俺としちゃノワールがあの一件を覚えていた方が意外だがな」
「忘れられるか」
舌打ちをして言い返した。顔を上げた疾の表情を見ないまま、相手に見せつけるように、駒をつまみ上げる。
「あれが、俺にとって初めての、依頼の失態だ」
八つ当たりも兼ねて叩き付けた駒が、甲高く鳴った。
***
「──それでは、B69の依頼を受諾される、と……」
「ああ」
受付に座る魔法士が困惑の表情で尋ねてくるのに、俺は素っ気なく頷く。いわんとしていることは想像が付いたが、いちいち説明するのは面倒臭い。
「しかし、この依頼は……」
「俺には力不足か?」
「! いえ、そのようなつもりは全く……申し訳ございません」
怯えた表情で弁解し頭を下げる魔法士に、溜息をつく。魔法士の肩が大袈裟なほど跳ねた。
「ならさっさと処理してくれ。今から向かう」
「は、はい! ただ、あの、この依頼はそんなに急ぎの案件ではなかったかと」
「何を優先するかは俺が決める」
「し、失礼いたしました!」
そんなやり取りを交わして依頼を受諾した俺は、受付の場を離れながらつい舌打ちを漏らした。
「……面倒臭い」
魔法士は完全実力主義の序列社会。それは別に構わないが、幹部の椅子に座った途端にああいった怯えの混じったへりくだりが多くて辟易する。一挙動一投足にいちいち過剰反応するものだから、話が進まない。
別に、俺としては多少の無礼を働かれようがどうでもいい。協会に加入して1年以内に幹部になった若造相手にすぐさま敬意を払えといっても限界があるだろう。あからさまに格下扱いをされなければ、実力行使に出る気は一切無い。
それよりも、ああして顔色を窺い、恐怖の感情をダダ漏らしにされる方が遥かに鬱陶しい。闇に同調してからというものの、マスターはともかく他人と相対した際に負の感情が流れ込んでくるようになっていて、非常に気障りだ。慣れの問題ではあるが、それもああ言った輩が煩わしく感じる一因となっていた。
「はあ……」
溜息を1つついて、意識を切り替える。とにかく、依頼を受諾出来たのだからもういい。裏から手を回して勝ち取ったこれを、早く調べに行きたい。
──不自然なほど急激に人体実験に力を入れ、一般人の誘拐を繰り返す魔術師の集団。そいつらの目的調査、そして排除が依頼の内容だ。
魔法士どころか魔術師相手、それもビルの2,3フロアを占拠する程度の数だ。三桁にも満たない魔術師、それも名も知られていない程度の連中相手に、幹部がわざわざ出向かう必要は全くない。中級魔法士、あるいは下級魔法士数名で事足りるだろう。だからこそ、受付も困惑していたとこちらも理解している。
が。
(……そろそろ、見つかるはずだ)
口元が自然と引き上がるのを感じた。狙い定めた敵が探し求めた仇敵であることを期待し、俺は転移魔法を行使する。
──誘拐された一般人は、外見の傷からは想像出来ないほどの出血多量の状態で発見された。
その、不自然な情報こそが、有益だと嗤う。
(仮に、違ったとしても)
そいつが、俺の探し求めるアイツでなくとも。
もし裏幕が吸血鬼ならば──滅するまでだ。
***
「吸血鬼関連の依頼だったんだねー」
「ああ」
フウが納得したような声を上げるのに適当に応じる。チェスの盤面に束の間集中し、今後の動きを考えた。
「それで、依頼中に疾に会ったの?」
「そうだ」
駒を移動させながら返事をする。それを受けて、フウが小さく唸った。
「うーん、ノワのチェスむずかしー……」
「……教えたのか?」
この落ち着きのないじゃじゃ馬にボードゲームなど無理だろうと、俺がフウにチェスを教えた事はない。少し驚いて視線を向けると、疾は鼻を鳴らした。
「てめえんとこの道化だとよ。駒の動かし方を理解してるだけのチビに、この盤面が読めるわけねえだろうが」
「うー、疾のいじわる……。相手してもらう時、いっつもボコボコにされちゃうしー」
「チビが弱すぎるだけだろ」
「…………相手はしているのか」
教えた相手はともかくとして、フウを構うような真似を疾がするとは。驚愕の声を漏らした俺に、疾は呆れ顔をした。
「ノワールって頭の回転が良い割にはそういうトコ阿呆だよな」
「おい」
「チビの依頼は戦い方、つまるは戦術の講師だ。ならこういうボードゲームはいい教材だろ。いつでもどこでも戦闘中に教えられるとは限らねえからな」
「なるほど」
依頼については意外に思うほど真摯に取り組む男らしい説明に、納得して頷く。鼻で笑う疾に、盤面から顔を上げたフウが尋ねた。
「それで、疾はなんでそこのビルにいたの?」
「組織の研究成果を盗んでこい」
「スパイってやつー?」
「ちげえよ」
ちったあ裏を読めと続けた疾が、チェスの駒に手を伸ばす。次の一手かと思いきや、自陣のクイーンとキングの位置を交換しだした。
「おい」
「ようは、こういう事だったんだろ?」
そして俺の陣のキングを持ち上げ、移動させた疾のキングの上にカツンとぶつけた。
「……」
獲るべき敵を入れ替えられ、結果、獲るべき敵が重なった。そう読み取れば、あの時の奇妙な状況にも確かに説明が付く。
「そのようだな」
「起きた事象の分析もせず、スブラン・ノワール殿は標的に夢中だった訳か」
「ねー、どういうことなのー?」
軽く苦笑した疾が、俺のキングを元に戻す。手振りで自陣も戻せと伝えながら──さりげなくイカサマを取り入れてこようとするな──、俺はフウにせっつかれて続きを話し出した。
***
目的地に到着した俺は、まず真っ先に魔力を走らせて内部の探査を行った。探知した結果に、思わず声が漏れる。
「……なんだ、この配置は」
魔術師がいるとされているのは、4〜6階。そのうち、4階の気配はおそらく捕らえられた一般人だろう。しかし、5階には人がおらず、代わりに6階に極端に集中しているようだ。雑すぎる警備に眉を顰めながら、ひとまず4階へ転移して潜入した。
「これは……」
視界が切り替わった瞬間、血臭が鼻を突く。見渡す限りに、四肢に怪我を負わされたまま檻に繋がれた人間の姿。呻き、嘆き、助けを求める声が部屋中に反響している。
が。
(……どういうつもりだ?)
いくら檻に繋がれているとはいえ、見張り1人いないのはおかしすぎる。それも檻は別段強度が上げられているわけでもない、シンプルな魔術錠だ。心得のあるものならば一瞬で解錠出来てしまう。
わざわざ誘拐してきた人間を──エサを、放置する吸血鬼があるだろうか。しかも、中途半端な傷だけを負わせて放置するなど、らしくない。
(……いや)
あるいは、迫り来る死へ恐怖する様子を楽しんでいる可能性もある。そういった残虐性は、吸血鬼も持ち合わせている。──特に、アイツは。
(落ち着け)
漏れ出そうになる殺気を押さえつけ、俺は軽く手を掲げて魔力を操り、檻を破壊した。自由の身となった連中を、指定されていた医療施設へと転移させる。今の状態で治療すれば、躯は無事だろう。呪いの類がかかっていなければ、だが。
「さて……」
首を巡らせ、しばし考えるも判断材料が少なすぎる。そもそもこの階には重要な書類は置かないだろう。
1つ上の階は人が居ないのを確認して、俺はその場で再び転移魔法を行使した。部屋を見回し、眉を顰める。
「先客か」
目的地としては間違っていなかったらしく、その部屋にはかなりの書類が積み上げられている。しかし、そこかしこに残された物色の痕跡が、俺以外の侵入者が存在する事を伝えてきた。
何が目的か……書類に視線を落とせば、研究関連についてを主に漁っている。競合する人体実験の組織からのスパイといったところか。
こうして現地に足を運んで調査をする人間は、実際には外部依頼で済まされる事が多い。所謂捨て駒だが、そういった依頼を引き受けて生業にする人間もいるにはいる。その手の類は個人の戦闘力がずば抜けて高い。
「……チッ」
俺自体は研究内容に全く興味が無いが、もし相手が真相に到達して吸血鬼を殺す気ならば話は別だ。あれは俺の獲物、おいそれと現れた第三者に奪われて堪るか。
舌打ちを漏らし、俺は改めてビル全体に魔力を張り巡らせた。残る気配は上層階にしかいない……というより、一階層の半分以上を占める部屋で戦闘状態のようだ。おそらく、調査中のスパイと警備システムが衝突しているのだろう。
通常のスパイは見つからないように情報を盗み出すものだが、時間が限られているなど、目的如何によっては戦闘も辞さずに情報を漁っていく場合もある。おそらく今回もそのパターンだろうが──
「運の悪い奴だな」
呟いて、戦闘が行われている部屋を避けて転移した。部屋の前を通る廊下へと移動した俺は、扉へと視線を向け、内部の人物に察知されないように魔術を練り上げる。
現在は内部に人間の気配しか無いが、いつ吸血鬼が参戦するか分からない。数重もの人数を相手に戦闘を繰り広げているらしいスパイの戦闘力を考えれば、吸血鬼ごと殺られてしまう可能性もある。そうなる前に片を付けてしまうべきだろう。
(……マスターには文句を言われそうだ)
ふとそんな考えが過ぎったが、無視する。そもそも巻き込まれた第三者の命を惜しむ気もなければ、こういった場に足を踏み入れる輩に真っ当な人間などいないのだから罪悪感も感じない。何より、今回の依頼は被害者を除いた、この場にいる全ての生物の排除だ。人体実験に興味を示すような輩相手に、慈悲も何もない。
よって、俺はなんの躊躇も良心の咎めもなく、部屋1つ消し飛ばす威力の魔術を発動させた。
***
「おい待て馬鹿弟子」
地を這うような据わりきった声に、ゆっくりと首を巡らす。声と同じような目で俺を睨み付けるマスターに、適当に挨拶を返した。
「お久しぶりです、マスター。先程戻りました」
「うむ、お帰り。それはそれとして、今の話は」
「時効です。そもそも依頼内容としては別段珍しくもないでしょうに。任務でもよくあるものでしたよ」
適当にあしらってやると、マスターが渋面で唸った。
「そうだとしても、わざわざ選びとって殺戮をせんでも」
「はあ、今更ですね」
あの時期にドゥルジ以外の重要項目なぞ、一切なかった。殺せといわれれば殺すし、ドゥルジを見つけ出して殺すのに邪魔なものはどんな手を使ってでも排除する。それしか頭になかったのだから。
そこまでしても何年にわたって見つからず、挙げ句の果てに吸血鬼によって召喚された先で見つかるとは……まあ、未だに何とも言えない心境だが。
「今更ってなあ……ったく、馬鹿弟子が」
呻くようにして悪態をつくマスターに、これは暫く説教が続くかと聞き流す体勢に入りかけた俺だったが、くつくつという笑い声に意識を戻した。
「くくっ。今更だろうが、道化。人格破綻者に道理を説くたあ、名は体を表すという格言を見事に体現するじゃねえか」
「……殺されかけておいて、随分と暢気なことだ」
マスターが疾の言葉に渋面を浮かべる。俺やフウと比べて、どうもマスターは疾が苦手なようだ。……まあ、このひたすらに人を苛立たせる術に長けた男が得意な奴もいないだろうが。
俺やフウの問題行動には頭を抱えるか説教で済ませるマスターだが、疾の言動はどうも呑み込みきれないらしい。疾の方もマスターにやたら当たりがきつい。よく分からないが、相性というものなのだろう。
「俺としては最低限の情報収集は行っていたから依頼は一応達成報告出来たし、魔法士幹部の情報を持ち帰れたからな。逆にいえば、どこぞの誰かはなんら情報も持たず準備不足だった協会の天敵を潰す絶好の機会を逃し、その後も手を焼かされたマヌケっつうことになるわけだが」
……いや、こいつの毒舌は万民平等なだけだ。溜息をついて、俺が後に延々と総帥に詰られ続けた事実を刺す毒を甘んじて受け入れる。
「ったく、本当に口が悪いのう……」
「何を今更」
「確かに今更だな」
マスターの悪態を鼻であしらう疾の反論に、思わず頷く。フウも大きく頷いていた。
事実、疾の口の悪さは初対面から現在に至るまで、鋭さと毒を増している。的確に人が嫌がる部分を的確に抉るのも、あの頃から実に腹立たしかった。
***
魔術を放ってしばし。爆風を魔法で吹き散らした俺は、部屋の中の気配に少し驚いた。
(……生きているのか)
中級魔術に工夫を凝らし、狭い範囲では上級魔術並みの威力を振り撒くように編み上げたこれを防ぐほどの障壁を展開した様子はなかったため、反応すら出来ずに死んだとばかり思ったのだが。
魔術を使わずにあれほどの威力を耐えきることは俺にも不可能だ。一体どのような絡繰りを使ったのか、警戒がいや増す。
とはいえこのままでは状況が進まない。俺は慎重に足を踏み出した。相手の気配を探りながら、1歩1歩距離を埋めていく。静寂の中、靴音が反響した。
そして。人影が、瓦礫の後ろからゆっくりと立ち上がる。
「……全員片付けたつもりだったんだが」
思わず言葉を零した。油断のない眼差しでこちらを伺う目と、視線が絡み合う。
そこにいたのは、美醜への関心がない俺ですら思わず視線を惹き付けられるような秀麗な外見の少年だった。艶やかな茶髪に琥珀の目が、やけに網膜に焼き付く。
敵として警戒していた俺をして、真っ先に意識させる外見。しかし、異常性はそれだけではない。
(……無傷、だと?)
障壁や結界もなしにあの攻撃を防ぎきり、傷1つ負わないとは。それでいて、俺のように隠しきれないほどの魔力を持て余すでもなく、凄まじい力を持つ武器を携えているわけでもない。寧ろ、魔力に至っては隠されているものの、魔法士にすらなれないほど少ないのは明らかだ。
これでどうやって、俺の攻撃を防いだ。緊張が高まるのを感じつつ、俺は相手に言葉を投げ掛けた。
「お前は、ここの人間ではないな」
「さあ? どうだろうな」
少年がにいと笑う。表情を浮かべると年相応……おそらく俺と同世代だろうという予想が立つ。相手の素性を探りつつ、はぐらかしに対して反論する。
「ここの研究員の顔は全員記憶している。お前はそのどれでもない。……まあ、他の研究員は既に顔の確認をするのも厳しいが」
一瞬だけ視線を死体に向ける。依頼に顔の確認はなかったから、全て死んでいれば文句は言われまい。視線を上げて、もう1度尋ねた。
「それで、お前は誰だ」
「素性を聞くならまず自分からって、常識だぜ?」
口元に笑みを浮かべ、斜に構えた少年が、問に問を返してきた。
随分と肝が据わっている。こちらの魔力量は見て取れているだろうに、動揺1つ見せずに平然とその場に佇んでいた。……これほどの魔力差があれば、腰を抜かす者も少なくないというのに。
「──魔法士幹部。登録名は、スブラン・ノワール」
肩書きと登録名を全て名乗ることは滅多にないが──身分を振り翳す趣味はないし、名のセンスのなさはうんざりする──、相手の反応を探る目的で敢えて告げた。
「それで。お前は、何者だ?」
魔力の圧も込めて、半ば脅すように問いかける。しかし、相手は平然と宣った。
「生憎と、胡散臭い輩に名乗ってやるような名は持ち合わせてねえな」
…………聞くだけ聞いておいて、それか。
自然と眉が寄る。身のこなしからして全くこちらを警戒していないわけではないだろうに、随分と良い性格をしているようだ。
俺の表情にも構わず、愉快げな口調で少年は続けて口を開いた。
「にしても、スブラン・ノワール、ねえ。数々の革新的な魔術書魔導書の著者が、よもや10代のガキだとは夢にも思わなかったぜ」
「……お前も精々15やそこらのガキだろうが」
名前だけは知られていたらしい。口の悪い相手に思わず言い返すと、打って響くように言葉が返された。
「安心しろ。今のは、どこに出しても童顔扱いされる日本人の癖して、一見20代で通りそうな面してる、外見詐欺なてめえに基準を合わせただけだ」
「なるほどな、お前も日本人か」
外見について言われるのは今更だ。それよりもと得られた情報に納得する。フランス語の発音があまりにも自然な上に顔立ちも日本人離れして見えたため少し迷ったからこそ漏れたその言葉に、少年は思い切り小馬鹿にするような顔をした。
「……おい、今かよ。まさかと思うが髪と目の色だけで日本人かどうか認識してんのか? 大抵が髪染めてるぞ日本人、つーかそれなら中国人の方が遥かに確率高いだろうが」
「…………」
なんというか、いちいち言動が苛立たしい。初対面、それも敵同士でこちらが攻撃を先に仕掛けた側だというのに、この態度。魔法士協会を知らないが故の無謀ではなく、分かっていて喧嘩を売るような真似の意図が理解出来ない。
とはいえ別に、舌戦をする為にこうしているわけではない。情報を語る気もなさそうだし、いっそのこと問答無用で殺すかと考え始めたその時、少年が再び口を開いた。
「ま、いいや。……それにしても、スブラン・ノワールだったか?」
「なんだ」
「いや、別に? 「スブラン・ノワール」、なあ?」
「…………」
いやに強調して繰り返す言い草に、思わず渋面になる。いちいち人が嫌がる面を突いてくる相手に、つい低い声が出た。
「何が言いたい」
「大した事じゃないさ。所詮、他人の趣味だしなあ?」
少年がくつくつと笑う。
勿論、いわんとしていることは分かる。俺とて協会のネーミングセンスのなさには頭を痛めているし、普段フルネームで名乗ることは滅多にない。示威目的が裏目に出た苛立ちもあるが、なにより。
「──Souverain Noir」
正確に、アクセントを付けて、再度発音しやがる相手に、目を細めて片手を掲げ、魔力を練る。挑発と分かってはいるが、構わない。
──名をフルネームで呼んでくる輩は、全力で叩きのめすと決めている。
敵対の姿勢にも一切躊躇せず、少年は非常に腹立たしい笑顔を浮かべ、わざわざ日本語で言い放った。
「なかなか素敵な中二病だな、「漆黒の支配者」だなんてよ」
「口は災いの元だぞ」
手加減無しに放った攻撃魔術を前に、少年は笑顔のまま、謳うように告げる。
「生憎、てめえの発言に責任を持てねえほど馬鹿じゃねえよ」
魔法陣が音も無く粉々に砕け散り、魔術が霧散した。
全身に走る鈍い衝撃に一瞬息が詰まるが、それよりも今起こった事象が理解出来ずに目を見開く。
(魔術の破壊だと……!?)
ありえない。他者の魔法陣への干渉ですら、特殊技術として扱われる。初見だろう魔術をこんな短時間で、余波すらなく消し去るなど総帥すら出来ない筈だ。
(一体──)
しかし、考えている暇は与えられない。
相手は笑顔のまま魔道具を投げつけてきた。目も眩むような雷光が走り、俺を感電させんと牙を剥く。
「っち」
舌打ちを漏らし、腕を振るった。魔法だけで魔道具はあっさりと破壊されたが、相手もそれくらいは予想済みだったらしい。少年の身体がふっと沈み、力強く地面を蹴った。
刹那、少年の姿がぶれる。
「!」
咄嗟に身を捩ると、身体すれすれを腕が通り抜けた。全身に緊張が走る。
近接戦闘タイプか。呪文や魔法陣が必須の魔術師にとっては天敵に等しい。しかも魔術を無効化出来るならば尚更だ。
そこでようやく俺の意識も切り替わる。言動へ気が逸れていた上に脅威を感じなかったせいでどこか緩んでいた集中が、敵へと標準を定めた。
腕を引き戻し蹴りつけようとする相手に合わせ、右手を振るう。同時に愛用の刀を喚び出し、足を切りおとそうとしたが──
「──!?」
寸前で目を見開いた少年が、軸足の重心をずらし足を引き戻した。空ぶった刀を返しつつ、思わず賞賛が漏れる。
「大した反射神経だな」
「そっちこそ、な!」
腕に魔力を纏わせて刀を受け流し、間を置かずに蹴りを繰り出してくる。蹴りを躱して刀をノコギリのように引き戻すも、足運びだけで躱される。
限られた部位にかけた身体強化魔術だけでこの速度と反応、元々の体術もかなりのレベルだろう。元々遠距離での戦いが得意なこちらには不利な展開だ。
全身に魔力を広げて強化魔法を発動する。刀と拳、アドバンテージは確実に俺が有利なはずなのに、互角の戦いが繰り広げられている。それだけでも技量の高さが伺えた。
おそらく相手もここで決着をつける気でいるのだろう。攻撃の勢いが更に増す。
(──まずいな)
このままでは押し切られる。まだ魔術を破壊する絡繰りは解けていないが、現状を打開するにはこの均衡を俺から崩さなければ危うい。
なんとか相手の猛攻を捌きつつ、魔力を練る。壊されるなら破壊が追いつかぬほどの物量で仕掛けてしまえばいい。力業だが、魔力の少ない相手には一番嫌な戦略だろう。
危うく攻撃を避け続け、俺は準備を整うのを待って攻勢に移った。
「ふっ」
敢えて分かりやすく蹴りを入れる。注文通り防御の姿勢を取る相手に魔力を叩き付け、吹き飛ばした。あわよくば魔力酔いをという狙いもあったが、少年は大したダメージを受けた様子も無く空中で体勢を整え、着地する。
「はっ、随分な力業だな」
「間が取れれば何でも良い。──手間取ったが、ここまでだ」
挑発は無視して、すいと手を振る。十重二十重に展開された魔法陣を敢えて見せつけた。
「一つや二つだと破壊されるようだからな。どこまで1度に破壊出来るか、見せてもらう」
「戦いの内に手札を引きだそうだなんて、良い根性してるじゃねえかよ」
からかうような口調の相手は、全く動じていないわけではなさそうだ。僅かに漏れた感情の波が、動揺を伝えていた。
(さあ、どう出る)
これで片付けば十全。破壊されても、これだけの数を破壊されれば、その仕組みも見て取れる。相手の切り札だろう魔術の破壊さえ対処出来れば、勝てる自信はあった。
「当然だろう。お前が誰だか知らないが、俺の任務は──「この建物に存在する生命を抹殺しろ」だ」
言葉に合わせ、俺は魔術を一斉に発動した。
相手は動かない。視線を走らせるも、魔術を破壊する素振りは見せない。流石に、これほどの数は破壊出来ないか。防御魔術もまともに扱えず、消し飛ぶか──
そう、思ったのだが。
唐突に、少年は手元にあった魔石を投げ捨てた。大した魔力も込められていないそれで一体どうする気かと伺えば、そのまま乱雑に手を前に──今まさに着弾しようとしていた魔術に向けて、突き出した。
「ぐ……っ!?」
叩き付けられるような衝撃が全身に走る。危うく制御を手放しそうになった魔術を懸命に維持しながら、呻き声が漏れた。
(なんだ……!?)
目を凝らしても、何らかの魔法や魔術を扱っている様子は見えない。魔法陣も見て取れない。事前にばらまいていた魔石も、なんの変化も無い。
それなのに、俺の魔術はじわじわと削り取られるようにして、威力を減じている。
「はっ、幹部サマの魔術も大した事ねえな」
「何……っ」
顔を上げると、少年は笑みを浮かべていた。俺の様子を楽しむような眼差しを向け、続ける。魔術が轟音を立てる中、やけにくっきりとその声が届く。
「とはいえ大した精度で操りやがる。いや驚いたぜ? その辺の魔法士が操る魔術とは根本からレベルが違う。美しさすら感じる魔法陣、賞賛に値するってもんだ」
食ったような物言いをする相手に、ぐっと奥歯を噛み締める。……だったら、その魔術を得体の知れない力で削っているお前は、何だ。
俺の疑問が聞こえたかのように、少年は言葉を結ぶ。
「──ただ、相手が悪かった。それだけさ」
魔術が、全て消し飛んだ。
「っ……!」
少年が、息を呑む俺に笑みを浮かべた。次の瞬間、ビルに敷いていた逃亡防止の魔術を破壊される。
「ぐっ」
続けざまに反動を受けたせいで、魔力の制御が束の間乱れた。すぐさま暴走しようとする魔力を慌てて掌握する。
その隙を逃す相手ではない。ばらまかれた魔石が輝き、魔法陣が浮かび上がる。──転移魔術だ。
「っ、待てっ」
声を上げたが、まだ魔力は完全に制御を取り戻せていない俺には為す術もなく。
「じゃーな。次会う時を楽しみにしているぜ」
にい、と笑ってそう告げる少年が消えるのを、ただ見ている事しか出来なかった。
「……っ」
ようやく制御した魔力を操り、転移魔法陣のあった部位へと這わせる。最低でも座標だけでも掴もうとしたが──
「へー、すっごい。これ、おまえひとりでやったんだ?」
少女の声が、前方から掛けられた。
ゆっくりと顔を上げる。金髪の少女の姿をした人外が、やけに豪奢な服を纏い、宙空に漂っていた。にまにまと笑って俺を見下ろす。
「人間のくせに、やるじゃん」
「……違う」
「は?」
苦い落胆を、噛み締める。……こいつも、違う。どこにいるのだろうか……仇は。
「まあいい……今はお前だ」
「……!?」
吸血鬼が目を見開く。尋常でない殺気に反応した相手に、嗤う。
俺の前にのこのこと現れた以上、見逃すという選択肢は存在しない。
「吸血鬼は全て滅すると、決めているからな」
***
「……で、お前さんは吸血鬼を相手にして全部すっとんだと言う訳か」
「ええ、まあ。正直、次に会うまで忘れかけていましたね」
「だろーと思ったぜ」
マスターの締めくくりに、疾がくっくっと笑声を漏らす。呆れ気味の何とも言えない表情が珍しく視線を吸い寄せられる。視線に気付き、疾が唇を片方だけ持ち上げる。
駒をつまみ上げ、移動させる。乾いた音に吸い寄せられるように目を向けて、俺は思わず声を漏らした。
「チェックメイト」
愉しげな声に、しばし頭を巡らせて、溜息をつく。……記憶を遡ることに意識を散らしては、勝ち目がないか。
無言で自らのキングを倒すと、疾が肩を揺らした。
「ツメが甘ぇよな、ノワールは」
「……優先順位をつけているだけだ」
「吸血鬼をぶっ殺すのが愉しかっただけだろうが」
「そうともいう」
肩をすくめると、マスターが溜息をつくのが見えた。今更、あの頃の説教をされるのは勘弁だ──そう考えたその時、背中に体重がかかる。見れば、フウが乗りかかっていた。
「ねーノワ、次私とやってー」
「はあ?」
「チェスやって」
ただの手遊びだし、疾との情報交換も終わった以上は、久々にマスターやフウと訓練でもする気だったのだが。というか、こいつもてっきりそのつもりでいると思っていたから少々意外だ。前は事ある毎に刀を合わせたがっていたくせに。
疾が面白がるように笑っている。何か入れ知恵でもしているのだろうが、まあ、流石にフウに負けるとは思っていない。
「まあ、別に構わない」
「わーい! 疾、そこどいてー」
「ホームに戻ったらやけに強気じゃねえか、チビ」
笑いながらも席を立った疾は、そのまま帰るかと思いきやソファにどっかりと腰を下ろした。訝しげに目を向ければ、片眉を上げて見返してくる。
「なあ、ノワール」
「なんだ」
「吸血鬼にかまけてうっかり見逃した敵に、何年にも渡り、散々引っ掻き回された気分はどうだ?」
「2度と始末書は書きたくない」
率直に言い返すと、何故か3人が3人とも吹き出した。……一時期は書き上げたと思えば次の始末書が求められてが続いて、本気で面倒だったのだが。
「まあ、だが……あそこで殺すよりは、「面白い」んじゃないのか?」
疾の口癖を奪ってやれば、疾が笑うのを止めて少し目を見張る。珍しい表情を一瞥し、肩をすくめる。
さんざ迷惑を掛けられてはきたものの、あの世界でのこいつの協力がなければ今の俺はないし、現状の関係も悪くない。あの時にこいつを殺していては決してなかったこの状況は、確かに「面白い」。
「ツメを誤るなよ」
「……はっ。てめーじゃあるまいし、ねえよ」
「……何故そこでいちいち一言多いんだ」
不敵に笑う疾と俺に何故かフウはやたら嬉しそうに笑い、自身のナイトに手を伸ばした。
疾「5分もかけるなよ」
ノ「やかましい」
フ「くーやーしー!!」