10:待ち合わせ
「いたぞ!」
「こっちだ!」
「囲め!」
「スブラン・ノワール! 総帥の命令で貴様を排除する!」
口々に叫ぶローブ姿の連中にため息が漏れる。聞き飽きた台詞ばかりを繰り返されると、なるほど鬱陶しい。疾が事ある毎に「少しは面白みのあるセリフを吐いてみやがれ」と宣っていたのは、煽りは勿論だが、案外本心が混ざっていたのかもしれない。
「……それはそれで、下手な煽りよりも性質が悪いな」
四方八方から撃ち込まれる魔法を障壁一枚で防ぎながら、俺はどうでもいい考察を巡らせ、独りごちた。
無意識に溜息をこぼして、周囲を囲う連中に視線を巡らせる。髪の色を誤魔化しているのはそろそろ周知されているらしく、最近では正面から顔を覗き込んでの確認がなされるようになった。見つけたやつが声高らかに騒ぎ立てるので、仕方なく食事をとろうと入っていた店を離れ、わらわらと集まってきた有象無象どもの攻撃を防いでいた。
すぐに反撃をしないのは、こういう場合に後から後から応援がやってくるため、いちいち魔法構築を行うのが面倒になったからだ。しばらく受け身で時間を稼いでいた間に、ようやくこの世界に配置された戦力が集まりきったらしい。こちらへの飽和攻撃を続けながらも、集団で上級魔法を編んでいる様子が感じ取れた。が、一方的な展開に気が緩んでいるのか、ろくな防御魔法を展開する様子もない。
「気づかれたら先に潰されるので防御を固める、くらいはマニュアルにも書いてあっただろう……」
思わず眉を寄せ、文句のような愚痴のような言葉が漏れてしまう。つい幹部の頃のような視点が顔を覗かせてしまう癖は、まだ治っていない。
一つ溜息をついて、俺は手元で魔力を練る。マニュアルもろくに読んでいない阿呆どもなのか、あるいはもうまともにマニュアルを学ぶ余裕がない状況なのか、どうでもいい。俺はもう、魔法士協会の幹部ではなく、敵だ。
「失せろ」
一言だけ告げて、練り上げた魔法を放つ。
「──」
音も声もなく。
真っ黒に燃え上がる炎が、灰も残さず魔法士どもを燃やし尽くした。
「……はあ」
引き続き魔法の痕跡をかき消すための魔法陣を構築し、起動する。初期はこれを怠ったせいでいつまでもいつまでも追い回された。良いのか悪いのか、証拠隠滅にも慣れたものだ。
それにしても、久々にこんな大規模な追手がかかった。ここ最近は少し余裕があり、魔力制御の研究が進んでいたのだが、と考えたところで、明るい声に名前を呼ばれた。
「ノワー!」
振り返ると、満面の笑みで右手を振りながら走ってくるフウの姿が目に入る。一応集めていた魔力を霧散させて片手を上げると、フウは振っていた手を勢いよく合わせてきた。乾いた音と、軽い痺れが手のひらに走る。
「待った?」
「いや」
「えへへ」
何故そこで嬉しそうに笑うのかはよくわからないが、満足そうなので放っておく。それよりもと、小さく肩をすくめた。
「行く予定だった店には、戻りづらくなったがな」
「ねー、今来なくてもいいのに。迷惑だよねー」
頬を膨らませて文句を言い、しかしすぐに表情を変えて首を傾げる。
「他にお店あるかな?」
「昼飯時は過ぎたな……まあ、どこかしらやっているだろう。腹は減ってるのか?」
「お昼は食べたから、デザートがいい! 甘いものは別腹なんだって!」
「どこで聞いたんだ……」
呆れながらも、この時間帯に軽食を出している店を思い出し、二人並んで歩き出した。
***
「ノワ、お腹空いてたの?」
首を傾げられて、俺は肩をすくめた。
テラス席で飲み物と軽食を出す、喫茶店のような店に腰を落ち着けた。フウは宣言通りケーキの三種盛りと紅茶を頼んでいたが、俺はホットサンドとコーヒーを注文していた。
「飯を食おうとしたところで、連中がやってきたからな」
「そうだったんだ。ちゃんとしたご飯じゃなくていいの?」
「問題ない」
魔力量に対して器に余裕は出来たし、瀧宮羽黒から受け取った双刀が適宜魔力を吸い上げてくれるようにはなったので、身体に負担がかかることはほぼなくなった。それでも、下手に食事を摂ると持て余してしまうことがあるのが現実だ。最近では日に一度で済ませることも多いのだが、久々に戦闘でそれなりの魔力消費が出来たので、かこつけて頼んだ形だ。
固有名詞は伏せつつ簡単にそう説明すると、フウは納得したようで頷いた。ちょうどその時、店員が注文の品を持ってくる。各々の注文品を並べると、一礼して去っていった。
「「いただきます」」
マスターの仕込みでいつの間にか身についた習慣を同時に済ませ、食事に手を伸ばす。
表面が狐色をやや超えて焦げ色になりかけたサンドにかぶりつく。焦げた匂いが少々鼻を刺した。吸血鬼化の副次作用で鋭敏になった嗅覚にもそろそろ慣れたので、特に気にせず咀嚼する。
チラリとフウの様子を見ると、それはそれは幸せそうな顔でケーキを頬張っていた。
「おいしいね!」
「そうか」
適当に選んだ店だが、満足したらしい。
食事を続けつつ、俺は店員に気づかれないよう遮音の魔法を行使した。これで互いの報告が可能だ。
「……それにしても、久々に襲撃が続いているんだが。そっちで何かあったのか」
逃走を始めたばかりの頃は、それこそ波状攻撃かというほどの追跡を受けたのは確かだ。が、片っ端から潰したのと、疾が本格的に戦争をふっかけ出したのが重なり、ここしばらくは散発的な襲撃程度で落ち着いていた。それがここ数日で一気に増えた。何か戦況に変化があったのか。
そう尋ねると、フウは少し困った顔で黙り込んだ。珍しく、迷うような間を置くフウに眉を寄せる。
「フウ?」
「うーん……あのね、ノワ。この間、疾に魔導書を送ったでしょ?」
「ああ」
「疾、多分なんだけど、ノワがそうやって色々、魔石とか、魔道具とかを一斉に送ってくる時は、大体暇してるんだろうなって、思ってる気がする……」
「……なるほど」
とてもいい笑顔で「暇なら働け」と大上段に言い放つ疾の顔が浮かび、納得とともに溜息が漏れた。
「あ、あとね。疾、すっごくバタバタしてる時がたまーにあって」
「たまに、なのがおかしいんだがな」
去年は──主にこちらの件に関わっていたせいなので、巻き込んだ身としては強く出られないが──あれだけ忙しかったくせに、大学受験はつつがなく合格し、入学手続きまで済ませていたらしい。学力的な不足を疑う気は欠片もないが、単純に時間をどう作り出したんだという疑問はある。魔力の制限がなければ分身でも使ったのか疑うところだ。
こちらが知る限りでも、学生、鬼狩り、そしてテロリストと三つの顔を持っている。人間として最低限の睡眠時間が取れているのかとすら思うのだが、いつ奴の顔を見ても活き活きとしているし、舌鋒の鋭さは会うたびに増している気がする。
まあ、そんなあいつが慌ただしい時があるというのも、少しは興味があるが──探れば確実に巻き込まれるので、知らぬ顔をしておくのが安全だ。
「そういう時に、総帥につけ込まれないようにって、疾以外の人たちに派手に暴れてもらうようにしてるみたい」
「あいつ……」
いや、単騎で戦争を1年近く続けている方がおかしいのだが。当たり前のように囮として利用されていることに、流石に目を眇めてしまう。が、文句を言ったところで倍になって返ってくるだけだろう。何せ今はこちらの立場が弱い。
「……まあ、少しは借りを返しておかないと利子が怖いからな。それで、その状況でフウがこっちにきてよかったのか。瀧宮羽黒が駆り出される時は、お前も動員されると言っていただろう」
「うーん、なんか、今回はこっちで良いんだって」
「嫌な予感がするな……」
「わたしもー……」
二人でややげんなりした顔を見合わせてから、気を取り直すように各々の飲み物に口をつけた。
「あ、そういえばね、羽黒さんが呼んできたホナミって子、面白いんだー」
「ああ、瀧宮羽黒が最近、現場によく引っ張り出しているとかいう奴か」
疾からも簡単な報告は聞いている。銃使いで遠距離、中距離攻撃に重宝している、だったか。フウを護衛に狙撃特化で暴れさせているらしい。まあ瀧宮羽黒がテコ入れしている上に、あの疾が「狙撃技術だけならかなりのもの」という評価を下していたので、碌でもないやつなのだろうと思っていたのだが。面白いというのは、どういう意味か。
視線で続きを促すと、頬張っていたケーキを飲み込み、フウは楽しそうに続ける。
「なんかね、反応が面白いんだよ。いちいち立てられた作戦にすごく派手にびっくりするのに、やれって言われたら、なんでも言われたままやっちゃうの」
「……逆らえない理由でもあるんだろう」
「羽黒さんじゃなくてもだよ?」
「逆らうとまずい相手を嗅ぎ取る嗅覚がいいんじゃないのか」
流され続けて戦場まで駆り出されてしまったタイプのようだ。なんだかんだと実行する腕と肝はあるのだから、なるべくしてなったのかもしれないが。
「そっか、言われてみるとそうかも」
「フウから見て、腕はどうなんだ」
「すっごいよ! 全然見えないところからピタッと当ててくるし、私の動きにも合わせてくれるの」
「ほう」
このじゃじゃ馬の暴れ度合いに適応できるという事実に、素直に感心する。魔法での援護射撃に苦労した過去を知る身としては、誤射しないだけでも相当な腕前だというのが理解できるからだ。なるほど、疾が評価するだけはある。
納得して頷いた俺に、フウはやや不満げな顔をしたものの、ケーキに手を伸ばすとまた笑顔に戻る。それを見ながら、ホットサンドの最後の一口を放り込んだ。
「あ、あと疾から報告? に預かった魔石があるよ。なんか、ノワに頼み事したそうな感じだった」
「……聞かなかったことにして良いか」
「どのみち、頼み事だったら、逃げられないように対面で来るんじゃないかなー? 疾だもん」
「そうだな……」
この1年弱、疾のもとで戦いの最前線に放り込まれてきたフウは、明らかに理解度が深まっていた。まさかフウにこんな指摘を受ける日が来るとは思わなかった。
肺の中の空気を空にしてから、残っていたコーヒーを雑に煽る。その様子を見ていたフウが、俺に声をかけた。
「ねえ、ノワ。聞いてもいい?」
「なんだ」
「ノワって、なんで甘いもの嫌いなの?」
「……今更どうした」
フウと生活を共にしていた間、甘味の類を出されれば全て押し付けてきた。フウも特に文句は言わずに食べていたし、理由を聞かれたこともなかった。
「うーん……なんとなく気になって。あのね、私もノワも、基本好き嫌いってそんなに気にしないでしょ? 食べられればオッケー! みたいな」
「……まあ、マスターのせいでな」
「うん」
マスターの屋敷において、「いかに食えるものを確保するか」が重要事項で、まずかろうが食えるレベルなら良しという認識で俺もフウも生活してきたため、これには頷く。
「なのに、ノワが外でご飯食べる時でも屋敷で貰い物食べる時でも、甘いものだけは私に渡してくるの、なんでなんだろうって思ったの」
「……なるほど」
こういう事をフウから聞かれるのは、初めてかもしれない。基本的にコイツは、俺の指示の理由は尋ねてきても、俺の行動についてあれこれ口を出してきたことはなかった。
ここ最近でこういう事を聞いてくるのは、ミアをはじめとした学院の連中だったし、それなりに煩わしい気分を抱いていたのだが。
一つ息を吐いて、空のカップを爪先で弾く。問いに対する答えは自分の中になる。それをわざわざフウに教えるべきかどうかは、……まあフウならいいか、という気になった。
「嫌いではない」
その答えに、フウは目を丸くした。
「え? そうなの?」
「むしろ、昔はそれなりに好きだった」
ガキの頃の話だ。これまで問うものもいなかった。フウは勿論として、知る者はもういない。
「じゃあ、なんで?」
当然、その疑問を呈するフウに、感情を排して答える。
「……昔を、思い出すからな」
今はもうほとんど忘却の彼方へと押しやった記憶の中、朧げながらも、自分自身が家族と、未彩と、おやつと称して甘味を食べながら他愛のない話をしていたことは、うっすら残っている。
甘味を見るだけでもなんとなく胸に過ぎってしまうそれを、食べる気にはなれなかったのだ。
「余計な事を思い出すのも、いちいち寝た感情を起こすのも、必要がないと思っていた……いや」
言いながら、違うと気がつく。自然と視線をカップへと落としながら、淡々と繋ぐ。
「……今更俺だけが、これを食うことが、嫌だったのかもしれないな」
罪悪感という言葉を出せなかった自分に呆れて、唇を少しだけ持ち上げた。
「……そうだったんだ」
フウは、静かにそれだけ言って、笑顔を浮かべる。
「教えてくれてありがとう、ノワ」
「……別に。終わったことだからな」
そう言って肩をすくめた俺に、フウは少し首を傾げて、パッと表情を明るくした。
「ねえノワ」
「なんだ」
フウは手元の皿に残していた最後の一口をフォークで刺すと、俺に差し向けてきた。
「あーん」
「……」
どこでそれを知った、何故この流れでやろうと思った、そもそも最後に食べる為にわざわざ残しておいたものじゃないのか、と、言いたい台詞が勢いよく脳裏を流れる。
「……フウ、お前な」
「えいっ!」
何から言うべきかと頭痛を堪えて言いかけた言葉は、口を開けたタイミングでケーキと共に押し込まれた。
「…………」
あとで絶対に、これは行儀が悪いことであり絶対に人前で、ついでに安易に他人へとしないように教え込む。そう決意しながら、10年ぶりかどうかの甘味を無言で咀嚼し、飲み込む。
「……あのな」
「終わったことなんだよね?」
悪戯っぽく笑う様子とその台詞に、背景をうっすらと察しつつ、俺は眉根を寄せる。
「ね、ノワ」
「なんだ」
「ケーキ、美味しいでしょ?」
どこか楽しそうに聞いてくるフウに、ため息をついて返した。
「甘い」
「甘いものだからね!」
誇らしげにすら聞こえる言いように、つい小さく笑ってしまう。
「……そうだな」
フウの過去を掘り下げた時はあれだけ泣きそうな顔をしていたくせに、随分とませた事を覚えたものだとは思うのだが。
まあ、悪くない、と。思える程度には、なった。
「でしょ!」
明るく笑うフウに肩をすくめつつ、俺は結界を解除して口直しのコーヒーを注文することにした。
※超遠距離砲撃魔術が飛んでくるまで、あと30秒。