【86-2話:アン・リトホルム公女殿下!】
玉座からアン公女殿下が静かに立ち上がるとその場の皆が跪いて公女殿下の退座を粛然と見送っていたが、アン公女殿下が謁見の間を立ち去られた途端に一同ざわついた雰囲気となりその場に居た者達が何やら右往左往し始めた、其れを見ていたイカルガ伯爵は嘆息しながら俺達にひと言告げてきた。
「ラリー君、悪いが是から私は皆と今後のベッレルモ公国としての振る舞いを話し合わなければならない。先に二人で帰って貰ってもいいかな」
確かに伯爵の後ろにはぞろぞろとその場に居たみんなが集まり始めていた。
「わかりました、俺達も戻ってみんなとペルピナル神魔殿へ赴くつもりです」
「そうか、ではよろしく頼むよラリー君」
「はい!」
そう答えた俺がおもむろに振り返るとその場に居た皆が一斉に俺に向かって跪くのが見えた。
「えっ!」
ビックリして思わず声を上げた俺に向かってイカルガ伯爵はひと言告げてくる。
「君の胸に輝く宝玉がもう効果を発揮してきた様だね――ではくれぐれも気を付けて」
そう言いながら伯爵は踵を返し部屋を出て行くと、跪いていた皆も立ち上がってその彼の後ろを追いかけるように付いていった。
「まったくラリーったら公女殿下までは落としてしまったの? 女子とあらば見境無いんだから」
俺の隣で頬をプクッと膨らまして呻くようにぼやいてくるサギに目をやるとゲンナリとした顔つきで俺に半眼をくれてきた。
「そう言われましてもサギさん――俺の所為?」
「仕方ないとは言えね~ぇ、ラリー気を付けましょう……せいぜい夜道にはね」
サギがそう言うが早いか俺の脇腹を思いっ切り抓ってきた。「痛いっ!」という言葉はグッと飲み込んで俺はサギに仕方なく頭を垂れていた――俺かぁ?
そんな謁見の間での出来事の後、サギと二人だけでその場を後に宮殿の長い廊下をトボトボと来た時と同じ道筋を戻って行った、と廊下の途中で聖女の衣の装束を身に纏い深めに被ったフードで目元から上は隠れているが口元が幼顔の少女が此方を見てニコニコしながら待っているのが遙か先に見えてきた。誰だろう? とサギと顔を見合わせてこの先に待っているその娘の行いをじっと見ていた。
矢庭に弓を射る動作をその娘がしてきた、無論彼女の手には矢も弓も持ってはいなかったがまるで聖女が神殿にて矢を奉納するような優雅な振る舞い方に目を奪われて、狙われているのは自分たちの事ながら只呆然とその一挙一動を眺めていた。
その彼女がヒューっと矢を放った――いや、実際には矢は無かったのだがまさに矢を射った様に見えたと、その見えない矢なるものが俺の眼の前に来ると光を放ちだして本当の光の矢の姿を現したのだった。
「馬鹿なっ! ぐっ!」
俺の顔の左横をすり抜けようとしていた光の矢を瞬間俺は左逆手で掴み取る。その矢の先はサギの眼前すんでの所で俺に捕まった。
「えっ! な、何っ? や、矢っ? あっラリー……ありがとう」
サギは目と鼻の先の鏃と俺の手との間で視線をキョロキョロと行き返させて、あんぐりと開いた口のままで語尾を噛みながらそんな言葉を口にしていた。
唐突な行いに憤怒のオーラを発して俺はその娘に怒鳴った。
「おいっ! 一体何のまねだ」
その言葉にサギもやっと状況が飲み込めてきたのかビクッと身体を震わせて彼女を凝視する。
「えっ! 彼女の仕業なの?」
と、俺の手の中にあったはずの光の矢が突如として――消え去った。なにっ!
「流石じゃ、妾の光の矢を素手で掴まえたのはお主が初めてじゃぞラリー、まあそんなに怒るでは無いちょっとした戯れ言ぞ――その矢がもし彼女に当たったとしても何の事は無いから」
「当たっても何の事も無いなんて――なんなんだ是は?」
俺は目の前まで歩んできたその娘に掴み掛からんとする勢いのまま前のめりになって怒鳴った。
「おおっ怖っ! 優男と言われるラリーと言えどもサギに手を出すと魔物如きの驍将に変わるのう」
そう言いながら彼女が自ら深めのフードを剥ぎ取ってその顔の全貌を俺達の前にさらけ出してきた。
「あっ! アン公女殿下?」
サギが掌で口を覆いながらそう叫んだ。
「そう言われる時もある――今は聖女アン・リトホルムじゃよ」
と彼女? アン公女殿下では無く聖女アンと名乗るその娘が俺とサギの手を取って踵を返しながら宮殿廊下を歩き始め顔だけ振り返りながらひと言告げてきた。
「さっ! 行こうではないかペルピナル神魔殿へ」
「えっ! 公女殿下?」
「ちょっ……ちょっと待った!」
サギの呟きと俺の焦った問い掛けが宮殿廊下に木魂していた。
矢庭に俺達を先導して歩き始めようとするその娘を後ろから羽交い締めにして持ち上げて制止させた。たしか公女殿下は御年十八歳って言っていたよな、其れにしては幼すぎると……思うけど? 別人か?
「ラリーお主、いま良からぬ事を思わなかったか?」
自称聖女アンなるその娘が俺に羽交い締めで持ち上げられながら此方の方を振り返ってそう呟いてきた。そしてその俺の所行にサギが焦ったように声を掛けてきた。
「ラリーその娘を……アン公女殿下を降ろして頂戴っ! 君主様への愚行になるわよ!」
「あっ! そうか――失礼致しました。え~っと……誰って言えばいいの?」
「だから妾は聖女アン・リトホルムじゃと言っておるではないか」
サギに言われてその娘を静かに降ろすと彼女は振り返って俺にビシッと指を指しながらそう言ってきた。いやいやそうは言われましても――ねっ!
「で、どうするやね~ぇサギさん?」
「どうするって言われてもラリーっ?」
その場で二人して俺達を振り回しているその娘を凝視してはお互い見つめ合って溜息を付いていた。
次回【86-3話:アン・リトホルム公女殿下!】を掲載いたします。