【86-1話:アン・リトホルム公女殿下!】
謁見の間の中は思ったより質素な誂えではあったがひとつひとつの部材は其れはもうそう簡単には手に入らないような素材で作られておりベッレルモ公国生い立ちからの長い年月の重みを感じさせる重厚感を備えていた。そんな中でひときわ高い位置に鎮座した重々しい玉座の上にちょこんと其れは場違いな程、可愛らしい少女が座っていた。その方こそ誰在ろうアン・リトホルム公女殿下その人であった。そのアン公女殿下は這入ってきた俺達を見据えると柔やかな微笑みを浮かべながら優雅に玉座から立ち上がり俺達の方へと自ら歩み出してきていた。
「アン公女殿下?」
公女殿下の不可思議な行動を訝しむ様に傍に使えていた役人達がざわざと騒ぎ始める。
「殿下、この者達は下僕の者につき殿下自らがそのような振る舞いをなされるのは分不相応に御座いますぞ」
お役人の中の一際古株そうな老人が大声でアン公女殿下を諫めようとしていたが其れにも動じずに逆にその役人に向き直ったかと思うとその御仁を叱咤してきた。
「爺っ! うるさい! この者達に対しては妾の好きにさせろ」
外見は可愛げな様相の幼気な女の娘にしか見えない公女殿下だったがその発し溢れるオーラは王族の其れだった。凜と張った神々しい一声にその場の空気がピンと張り詰めたものに変わったのがわかった。
イカルガ伯爵も俺もサギも頭を垂れてその場に跪いた。そんな俺達に改めて向き直したアン公女殿下は慈愛を込めた笑顔に換えて俺達に話しかけてきた。
「イカルガ伯爵にはご苦労ばかりをおかけしてますねで、そのお方がこの間お話のあったラリー・M・ウッド様なのですね。初めましてわたくしアン・リトホルムと申します。是非ともお見知りおき下さいね」
「ははっ!」
俺達はと言えば唯々その場で平伏するばかりだった。
アン公女殿下が自ら俺達の方まで出向いてわざわざその手を取った上で立ち上がらせるなど公国の君主と下僕である俺達の上下関係からすればあり得ないことだったが公女殿下のオーラはその周りに控えていた公国の重鎮達の諫めようとする思惑さえ一気に霧散させる程の威力を放っていた。そんな中でも俺とサギの二人の醸し出す雰囲気は公女殿下にとっても今までの経験の中で異質なものだった様で直ぐにその場の雰囲気を別のものとする話し方で俺達に語りかけてきた。まあ端的に言えばタメ口ぽいのだが……。
「あ~らぁ、そちらにいらっしゃるお綺麗なお嬢様は誰なのかしら? ラリーさん? 私が貴方様の許嫁って言う事はご承知なのでしょう?」
「『えっ!』」
俺もサギも思わず顔を上げて公女殿下の顔を凝視しながらビックリした声色で言葉を発した。
「――ラリーっ? 其れってどういうこと? 公女殿下と許嫁って? 聞いてないし、私は?」
血相を変えてサギが俺に食って掛かる。
「いやいや、サギっ! まてまて落ち着け俺だって初耳だ! 本当に自分の事なのか?」
サギが俺の方を睨み付けながら驚愕の表情のまま食って掛かる様に詰問してくるが其れに呼応する俺の方もまったくもって知らない事だった。と、傍でアン公女殿下がクスクスと笑い始めていた。
「サギさんって仰るのですね貴女様は、先ほどは失礼しました。……冗談ですよ、そんなに目くじら立ててラリー様を責めないで下さい。まあ、此であなた達の関係が良くわかりましたが……でもね」
「『……冗談? って、公女殿下……でも?』」
一気に俺とサギの間の緊張のボルテージが急降下したが、あまりにも高位の存在からの唐突な冗談にしては――まったくどうしていつもこうなるのだろうか。
「――アン公女殿下申し遅れました。わたくしサギーナ・ノーリと申す一介の宮廷魔術師で御座います。尚、ラリー様の配下にあるメンバーのひとりでもあります、どうかお見知りおき下さい。其れとひとつ言わせて頂ければ先ほどの冗談はちょっと過ぎる冗談ですわ。何せラリー様……いえ、ラリーはそう言う点では女性の心を引きつけて放さない御仁なので、何せあの魔女王ですらそうなのですから」
と、サギはさっきの公女殿下に言葉に一歩も引かずにズィと文句にも似た発言を前に押し出してくる。
「あらっ、そうなのですか? 魔女王まで……なら、やはり私もきっちりと立候補して於いた方が良いみたいですわね、うふふっ」
「は~ぁ」
公女殿下とサギの言葉の遣り取りに俺はポカ~ンとした表情のまま唯々惚けていた。おいおい、一体どうなっているんだか?
「まあ、それはそれとして後でじっくりと会話させて頂くとしてひとまずはラリー様のお話を伺いましょう」
話しの流れで切り替えられたのかそれとも単に一時しのぎにしかなっていないのか解らないままに俺の当初の拝謁の目的に振られたが――まあ此処は其れに従うしか無かった。
兎にも角にも俺達は今までの経緯やらステファン卿とウギのゴタゴタの件を交えてペルピナル神魔殿まで出向いて直にその目で事実を捉えてくるつもりであることを伝えた、只エンマ魔女王の魔界の込み入った事情についてはサギとも事前に擦り合わせてまだベッレルモ公国へ話すのは早いだろうと言う事で今回の報告内容からは省いて置いた。
「そうですかステファン卿叔父上がその様な事を――本当ならとても許しがたいことですわね」
アン公女殿下がひと言そう仰った。まあ事実として確たる証拠があるわけでは無いので今は憶測の域を出ないことには変わりない。
「アン公女殿下、今の話しが事実とすればイェルハルド・リトホルム公爵殿を早急にお助けする為にも我が国としても軍隊を派遣致しましょうか?」
傍で俺達の話を一緒に聞いていたお役人の中の一人がそう申し立ててきたのに対して俺はひと言具申させて貰った。
「大勢の軍隊を引き連れては相手に気取られることになります。此処は少人数での事実確認を俺達に任せていただけませんか? その後に其方に必要とあらば全面委任致します」
「うむっ、確かに大公様が人質とあらば事を荒立てるのも今は早計か」
軍隊の派遣を告げてきた武人と思われる役人の人もその様に言葉を返して俺の意見に同調してくる。
「此処はラリー様達に全てを委ねるとして妾達はその後の対応を考えて於きましょう。ラリー様もその様な事で宜しいでしょうか? 公国への忠義をお願いする事になって誠に遺憾ではありますが……」
アン公女殿下が申し訳なさそうにそう俺達に告げるとその場の皆がスウッと下を向いて相槌を打っていた。
「其れではラリー様、是を――」
そう言うと俺の目の前に歩み出てきたアン公女殿下は彼女が胸に付けていた大きなブローチを外してその場で俺の左胸に付け始めた。
「えっ、公女殿下? 是は?」
「是はリトホルム公爵家に伝わる宝玉のひとつですよベッレルモ公国の継承者の証となりますから」
俺の胸にそのブローチを付け終わるとフッと微笑みを返しながら俺にそう言ってきた。
「こ、公女殿下――その様な大切な物を俺如きが預かるわけにはいきません」
ビックリすると共に俺は直ぐさまにその宝玉を外そうとしたが……外れなかった。
「ラリー様其れはリトホルム公爵家の者でしか扱えない代物ですから、お外しになろうとしても無駄ですよ。其れが今回のあなた様達の加護をしてくれると私は信じておりますからお持ち下さい、是非とも」
アン公女殿下は踵を返して玉座に戻りながら顔だけ俺の方を向いてそう話しかけてきた、そして玉座に座り直すと朗々と告げた。
「我が国と父の事をよろしくお願いします、ラリー様」
「ははっ!」
俺とサギはその場に再び頭を垂れて跪いた。
次回【86-2話:アン・リトホルム公女殿下!】を掲載いたします。