夏2
さて、話は数刻前に遡る。
ガチャリと牢が開き、将軍を先頭に兵士達が一斉に飛び出した――
まず、牢番の悲鳴が聞こえた。続いて様子を見に来た衛兵二人。
大臣に続いて牢を出た二人の王様は、背伸びをして尻をさすった。
「なかなか快適じゃったが……」
「座布団でも置いてあればもう少し居てやってもよかったんじゃがの」
などと笑い合っていると、奥の階段から樽を担いだ将軍と、伸びた衛兵を担いだ兵士達が戻ってきた。
「王様、ご覧下さい。水を手に入れましたぞ」置かれた樽の上に兵士の一人が大きな袋を置いた「食料も」
「おお、これで道中は安心じゃの」
頷き合う王様に続き、大臣が呟いた。
「あとは地図があれば……」
「心配無用」
将軍はニヤリと笑みを浮かべ、懐の地図をチラリと見せた。
「まったく……お主が味方でよかった」
――大臣は地図を広げ、微かに唸った。
「歩くにはちと遠いな……。馬を拝借するか……」
「う、馬はおりません。王様達が乗って行きましたの……で」
声を振り返ると、伸びていた衛兵の一人が半身を起こし、おっかなびっくりとこちらを窺っていた。
ズンズンと歩み寄る将軍から逃げるように後退り、頭を抱えて踞った。
「や、やめ、お助け……」
「おい、詳しく話せ」
「う、馬は王様と供の分しかおりません……み、水を飲みますので、一月前に、家畜は必要最低限を残してみんな逃がしました……」
「ふうん……それで、王様達は何処を通って塔へ向かったか分かるか?」
大臣が地図を突き出した。
「この道を……ここをこう行って、こちらから塔へ……」
「ふむ」
頷く大臣の隣で、将軍はため息を漏らした。
「王宮を守る兵士ともあろう者がペラペラと……、情けない」
重ねてため息を洩らす将軍へ、彼はおずおずと返した。
「わ、私は兵士ではありません。仕立て屋でございます……」
「はあ?」
「採寸に伺いましたところ……、入り口の衛兵が居なくなったので代わりに立っておれと……」
「……」
「ほ、殆んど兵がそうです。本物の兵隊は殆んど居りません。将軍と一緒に療養中です」
「なるほど、まるで歯ごたえがないわけだ」
「近道はないのか? 鉢合わす事なく先に着ける道はあるか?」
「で、でしたら、地図には載っておりませんがここには道がございます。ここを通って……こちらから……これが最も近道でございます」
「よし、では早速向かうとしよう」
歩み出した王様と大臣らに続き、行きかけた将軍は衛兵を振り返った。
「我らがここを出た後、貴様はどうするのだ?」
「えっと……隊長に報せに行きます」
「ふむ……。余計なところだけはしっかりしているのだな」
将軍は縮こまる衛兵の肩に手を回し、グイと引き寄せた。
「い、異変があったら隊長に知らせる、そういう決まりなんです。ら、乱暴は止めて下さい……」
将軍はガハガハと笑い尚も衛兵を引き寄せた。
「よし、目を瞑れ。案ずるな、目を瞑って想像しろ。ここは湖だ。清く透き通った水を湛えた湖だ。好きなだけ飲んでいい、泳いでもいい」
ゴクリと、衛兵が喉を鳴らした。
「おい、あそこを見ろ。美女がお前に手を振っているぞ」
衛兵の頬がニヘリと弛んだ――と同時に将軍の手刀が首筋を打ち、ゴロリと床に倒れた。
「み、水……。ああ、美しいひと……せ、せめてお名前を……ムフフ」
将軍は「フンッ」と鼻を鳴らし、幸せそうにうわごとを呟く衛兵に背を向けた。
「あの……」
と別の声が将軍を呼び止めた。
「わ、私にもお願いできませんか……?」
振り返ると、別の衛兵が向くりと半身を起こして将軍を見つめていた。
「……」
「私もお願いしたい」
また別の衛兵身を起こした。
「わ、私も! ゆ、夢の中だけでもたらふ飲み食いしたいです!」
と、これまた別の衛兵が身を起こしたのに続き、「わ、私も!」「私も!」と次々と身を起こした。
「……よし、目を瞑れ!」
――右手を擦りながら地上へ出た将軍へ、大臣がターバンのような帽子を差し出した。
「急ごう。衛兵達が目を覚ますと厄介だ」
「その心配はない。あいつらは起きたくないそうだ」
「ふむ?」
斯くして、一行は再び炎天下へ戻った。だが今回は水も食料もある。とはいえ……汗みどろになり、ザラザラと纏わり付く砂を払いながら歩くのは不愉快極まりなかった。陽炎の立ち上る大地を進み、ジリジリと身を焦がす太陽を忌々しげに睨んだ。しかし、日はもうすぐ沈む。
(陽射しさえなければどうという事はない)
紅く色付いた太陽を見つめ、皆そう思っていた――
「さ、寒い……」
また誰かの呟きが聞こえた。皆ガチガチと歯を鳴らし、息は白くハッキリと見える。
この細道に入ってずいぶんと経つ。巨大な岩を引き裂くヒビ割れのような道だ。足元は砂、左右は絶壁のような岩壁で、草木があった痕跡すらない。
明るい月に照らされ、足元が見えるのがせめてもの救いだ。
「ふ、冬の国の……、お主が寒がるとは……」
「ふ、ふ、冬の方が暖かいわい。なんじゃ、こ、このデタラメな気候は……」
「夏の夜とは、こ、こんなに冷え込むものじゃったか……?」
「しょ、将軍。た、た焚き火でもして暖をとった方が良いのじゃないか?」
「わ、私も、そう考えていたところで、ございます。し、しかし、も、燃やす物がございません」
時折突風が吹き抜け、その度に体の芯から縮み上がった。ピタリと一列に並び、前を行く者の背に隠れた。
「しょ、将軍、交代です。ひゃ、ひゃっ、百歩きました」
顎を震わせながら、先頭の兵士が振り返った。
「う、嘘をつくな、まだ五十歩だ」
「しょ、将軍は、わざと歩幅を広くしておられます!」
「そんな小賢しいマネをするか! そう言うお前こそ、わざと歩幅を狭くしているだろう!」
そんな二人を嘲笑うように風が吹き抜け、互いに言葉を飲み込んで縮み上がった。
「わ、分かった。間を取って二十五歩だ。さ、先を急げ」
「は、はい」
しかし、何歩も歩かぬ内に再び足を止めた。だが今度は少し様子が違うようだ。
「……暖かい」
僅かではあるが、切りつけるような寒さが和らいだように感じた。
互いに顔を見合せ、一行は引きずられるように足を早めた。
進むほどに周囲は暖かくなり、皆先を争うように駆けた。やがて道は大きく曲がり、視界が開けた――
「と、塔じゃ」
小高い丘の上に、聳え建つ巨大な塔が現れた。
――扉が開き、乾いた熱気が流れ出た。
「冬の国と春の国の皆様ですね?」
艶のある黒髪は短く、よく焼けた肌は活発な少年を思わせた。しかし、月を丸々と映した紅い瞳は少女のそれだ。
彼女の動きに合わせ、揺らめくように動くドレスはまるで炎を纏っているように思えた。艶やかに――しかし威風堂々と歩く彼女の姿に、皆しばらくの間見惚ていた。
「貴方が冬の国の王様ですね」
「いかにも、冬が国の王でございます」
王様に続き将軍と兵士達が深々と頭を垂れ、春の国一行もそれに倣った。
「春が国の王でございます」
「では貴殿方が……」
将軍とその後ろに控える兵士達へ歩み寄り、口元に笑みを浮かべた。
「冬が大変勇ましい方々だと申しておりましたわ」
「み、身の程を弁えぬ振る舞い。平にご容赦を……」
より深く頭を垂れる将軍達を見つめ、「カッカッ」と笑う彼女周囲に、火打石を打ったように火花が舞った。
「冬は褒めておりましたのよ。貴殿方がついているのなら安心だと」
夏の女王は改めて一同を見渡し、楽しげな笑みを浮かべた。
「さあ、皆様お疲れでしょう。ささやかではありますが酒宴を用意致しましたの、どうぞ寛いで下さいまし――」
一方、夏の国一行は――
前を進む兵士がかざすランタンの灯りを頼りに、王様はとぼとぼと馬を歩かせた。
(彼奴等は何処まで……。まさか追い越したのか……?)
ここまでの道すがら、それらしい一行の姿はなかった。それどころか、人っ子一人見ていない。
その時ふと空気が変わり、暑さが戻った。塔はもうすぐそこだ。
料理長が振り返り、不安な様子で王様へ尋ねた。
「王様……。やはり追い越してしまったのでは……?」
その時、何やら楽しげな声と手拍子が微かに聞こえた。
塔に近づくにつれ、それははっきりと聞こえるようになった。
塔の建つ丘を上り始めた頃になると、料理長は声の主が誰なのかを確信していた。
王様も、怯えた目を向ける料理長を見るまでもなく理解していた。
(もう着いていたのか……)
王様は足を止め、塔の壁面で揺れる長く伸びた影を呆然と見つめた。
揺れる影を見つめ、料理長は連中が焚き火を囲み、酒盛りをしている様をありありと思い浮かべることができた。まるで盗賊のアジトにでも赴く気分だった。
塔の前に、舞い踊る炎を囲み手拍子をする一団があった。
炎は激しく、艶やかに、右へ左へ舞い――宙を舞った。
女王の体は光をおび、揺れ動く真っ赤なドレスは燃え盛る炎のようであった。
女王がふわりと地面に足を下ろすと、取り囲んでいた連中から歓声と拍手が巻き起こった。
女王は深いお辞儀でそれに応え、王様に目を向けた。
「ようこそ。皆様お待ちかねですわよ」
呆然と立ち尽くす王様に、春の国の王様がからかうように声をかけた。
「遅かったのう。待ちくたびれわい」
「何をぼうっとしとる。さっさと来んかい」
冬の国の王様に促されるまま、ふらふらと歩み寄る王様と、その後ろに続いて現れた人物を見て皆同じ事を思った。
(なんでコックを連れてきたのだ?)
状況が飲み込めず、夏の国の王様には目を白黒させた。
「これは……、一体……」
「揃うまで待てと言われての、お主を待っておったんじゃ」
「じゃが、おかげで良いものを見せていただけたわい」
春の国の王様は嬉しげに女王へ目を戻した。
「ま、ともかくそこに居れば良い」
冬の国の王様の言葉を合図に、一同は姿勢を改めて女王と向かい合った。
「それでは……。お伺いしますわ」
冬の国の王様が、皆を代表して女王に尋ねた。
「なぜ世界を廻る事をお止めになられたのか、その理由をお教えいただけまいか?」
「それは……私にもよく分かりませんの」
そう言って微笑む女王に、冬の国の王様は何か悟ったように微笑み返した。
「では、秋の女王にお伺いするしかないですな」
女王は少し驚いたように王様を見つめ、「アッハハハ」っと声を上げて楽しげに笑った。
「ええ、そうしていただけますかしら?」
「では、門を使う許可をいただきたく」
「ええ。ご案内しますわ――」
門へ向かう道すがら、流されるままに付いてきた夏の国の王様がようやく口を開いた。
「のう……。どちらが冬の国の王でどちらが春の国の王なのだ……?」
「ん? なんじゃ、口が聞けぬのかと思っておったわい。ワシが、冬が国の王じゃ。前を歩いとるのが春の国の王じゃ」
「世界には……、知らぬ国が二つもあったのか……」
「三つじゃ。春の国、冬の国。そしてこれから向かう秋の国じゃ」
「これから向かうじゃと……?」
「そうじゃ。これから秋の女王の元へ向かう」
(そんな事をしている場合では無い!)
「この状況でワシが国を離れるなど……、そもそもワシは雨を降らせてもらえんかと――」
「それなら大丈夫じゃ」
そう言って空を指した。
「女王が舞うと嵐が来るそうじゃ。なんでも、舞う事の出来る回数が決まっておるらしくての、長い夏に女王自信も苦慮しておったそうじゃ」
空見上げ、一面に広がる分厚い雲に初めて気が付いた。
「おお……」
(暫くは水には困らずに済みそうじゃな……)
ホッと安堵のため息を漏らす夏の国の王様に、冬の国の王様が尋ねた。
「ところで……。なんでコックなのじゃ?」
「……あれは大臣であり、将軍であり、料理長じゃ。人が居らぬのじゃよ。水を求めて多くの者が国中に散ってしまっての……」
そう言うと、後ろを歩く衛兵を振り返った。
「戻るまでの間、留守を頼む」
急遽、副大臣兼副将軍を拝命した衛兵の背を見送り、料理長を従えて一行の後に続いた。