春2
――春の国の王様は、馬車に揺られながらだんだんと近づく季節の塔をぼんやりと眺めた。
(あんな戯れ言に付き合う事になるとは……。相変わらず慎重な奴じゃのう)
向かいに座る大臣をちらりと見やり、塔に目を戻した。
(こやつの言うことじゃからこうして出ばってきたが……。どうせ何時もの如くニコニコと笑って終いじゃ)
塔の入り口に佇み、ニコニコと微笑む春の女王の姿を思い起こした。
春の女王の元へは何度も使者を送り、自らも会いに行った。しかし、春の女王はいつもニコニコと笑うばかりで何も答えてはくれなかった。
なぜ塔を離れないのか、なぜ夏の女王は来ないのか。まるで何も聞こえていないかのように、女王はニコニコと微笑むばかりであった。ただの世間話でもそれは変わらない。
塔を見つめ、王様はあの食い逃げ共をどう処罰しようかと考え始めた。
その時、崖の上を馬で駆ける一団に気がついた。
(あれは……)
ワナワナと口を震わせ、王様は腰を浮かせて窓に張り付いた。
「おのれ……!」
「いかがなさいました?」
釣られるように窓へ目を向け、大臣は目を見開いた。
牢へ押し込めたはずの食い逃げ共が馬に跨がり崖の上を疾走していた。
しかも、自らを王と名乗った男が跨がる馬は紛れもなく王様の愛馬であった。
「一体どうやって……」
沈着冷静なさしもの大臣も思わず声を漏らした。
「そんな事はどうでも良い!!」
王様は額に青筋を浮かべ、窓から身を乗り出した。
「貴様ら!! 食い逃げの次は馬泥棒か!!」
冬の国一行は、崖下の道を進む青筋を浮かべた春の国の王様に気が付き速度を緩めた。
「借りただけじゃ! 用が済めば返すわい!」
「やかましい! それはワシの馬じゃ!!」
「そうかそうか、お前のか。貴様には勿体ない馬じゃの! なんならこのままワシが貰ってやっても良いぞ!」
そう言って、食い逃げ共はガハガハと品のない笑い声を響かせた。
王様はギリギリと歯を鳴らし、額の青筋ははち切れんばかりに膨れあがった。
馬車の前後を進む兵士達を睨み付け。唾を飛ばして怒鳴り散らした。
「何をしておる!! さっさっと捕らえに行かぬか!!」
しかし、そう言われても……壁のように切り立った崖の上にどうやって行けと言うのか……。
まごつく兵達に王様は更に語気を荒げ、半ば裏返った声で怒鳴り散らした。
「捕らえるのが無理ならさっさっと射殺してしまえ!!」
兵の一人が慌てて放った矢を――食い逃げの一人がむずりと掴み、ガハガハと品のない笑い声を響かせた。
「王様。これは訂正せねばなりませぬな。こんな兵しか居らぬのであれば、一日――いや、半日でこの国を落として見せますぞ!」
「いやいや将軍。武器さえあれば今すぐにでも、我らだけで落として見せますぞ!」
別の食い逃げ達がそう言い放ち、先程の男と同じくガハガハと下品な笑い声を響かせた。
「これこれ、ちっとは手加減してやらんか」
自分の愛馬に跨がりガハガハと下品な高笑を飛ばす食い逃げに目を剥き、砕けてしまいそうな程にギリギリと歯を鳴らした。額の青筋は激しく脈打ち、今にも破裂してしまいそうであった。
「ワシらは先を急ぐゆえ、お前はそこで花冠でも作っておれ!」
何事か喚こうとして咳き込む王様を尻目に、「それ!」と食い逃げ共は速度を上げ、ガハガハと品のない笑い声を残し、瞬く間に見えなくなった。
馬車を止め、王様は背をさする大臣の手を払い退けると馬車を飛び降りた。
近くに居た兵士を馬から引きずり下ろすと同時に馬に跨がり鞭を入れた。
(おのれ……おのれぇ……おのれぇぇ!! 八つ裂きにしてくれる!!)
大臣はあっという間に小さくなってゆく王様の背を呆然と見つめていたが、ハッと我に返った。
「馬だ! 馬を寄越せ!」
大臣は馬に飛び乗り、近くに居た数名の兵を従え王様の後を追った。
――塔へ近づくにつれ、緑が濃くなった。風に乗り運ばれる花の香りが、塔が近いことを知らせる。
草木は鮮やかな緑の葉を広げ、花の香りに誘われた蝶が塔へ導くようにひらひらと舞った。
今は春の女王が住まい、塔を這う蔦は色とりどりの花を咲かせ、すっぽりと塔を包み込んでいた。
美しく彩られた塔の入り口に、食い逃げ共が佇んでいた。馬達は背に小鳥を乗せ、塔の側で草を食んでいた。
「貴様ら……覚悟は出来ておるだろうな?」
王様は剣を抜こうと腰に手をやり、はたと思い出した。馬車に乗り込んだ時、剣は外して脇に置いた……。
「ん? お前か。随分遅かったのう」
振り向いた食い逃げ共は――散々王様をなじり、スッキリとした顔をしていた。それが余計に腹立たしかった。
「王様!」
ようやく追いついた大臣と兵達が馬を飛び降り、王様に駆け寄た。
食い逃げ共に兵達が槍を構えると同時に、塔の扉が開いた――
花の香りに混じりふわりと暖かな空気が漂った。
「ようこそ。冬の国の王様でございますね?」
一行を迎えた春の女王は、微かに紅を帯びた頬を綻ばせた。
ウェーブのかかった豊かな黒髪は、思わず触れてしまいたくなる程に艶々と輝き、深いブラウンの瞳は無垢な子供を連想させた。
「いかにも。冬が国の王にござります」
「冬から知らせ貰っております。ようこそおいで下さいました」
その言葉を聞き、春の国一行に動揺が走った。
(ま、真の事を言うておったのか……?)
「お久しゅうございます」
女王は王様に声をかけると、兵達に向け「フッ」と息を吐きかけた。
すると、兵達の構えた槍がニョキニョキと枝を生やし根を伸ばし始めた。
枝は葉を広げ、ポンポンと花も咲いた。根は地面を掴み、そのまま植わってしまった。
それを見届け、女王はニコニコと微笑み一行を塔の中へと誘った。
「どうぞ。お上がりになって下さい」
「こ、このように押し掛けて上がり込むなど……。ひ、日和もよろしい事ですし、外でというのもなかなか風情があって……のう!」
冬の国の王様は、何やら慌てた様子で将軍に後を振った。
「そ、そうでございますな! こういう日は外にかぎります。な!」
と将軍は兵達に後を振った。
「お、仰る通り。この美しい塔を眺めながら――これ以上の贅沢はありませんな!」
「そうですか……」
女王は不思議そうに首を傾げたが、すぐに笑顔に戻った。
「では、私はお茶の支度をして参ります」
女王が塔へ戻るのを見送り、一行は側の草地へ腰を下ろしてホッと息をついた。
(あの階段を上り下りするのだけは嫌じゃ……)
将軍も兵達も、皆考えていたことは同じであった。
王様が腰を下ろすと、大臣が歩み寄り膝をついて頭を垂れた。
「無知がゆえ、無礼の数々――」
「よいよい、ワシらこそちとやりすぎたわ。あいこじゃ」
王様は謝罪を口にする大臣を制し、バツが悪そうに頬をかいた。
その隣に、春の国の王様がどかりと腰を下ろした。
「まさか本当の事だったとはの……」
「ああは言うたがの、実のところワシらもあの少年が来るまでは知らなんだ」
「少年?」
「会うておらぬのか? 竪琴を持った美しい少年じゃ」
「ふむ……ご機嫌伺いの貴族以外はとんと来ておらんの」
「……そうか」
(直前まで春の国に居たと……。ワシ以外には会うておらぬのか……?)
「しっかし、あれほど喚き散らしたのは初めてじゃ」
「ワシも牢に入ったのは初めてじゃわい。そうじゃ……牢番や馬丁を絞め落としてしもうて……。ワシが詫びておったと伝えてもらえるかの」
「いやいや、最近たるんでおったからの、良い薬じゃわい。ついでに将軍も懲らしめてきてはくれんかの?」
二人の王様のやり取りを見守っていた面々は、楽しげに笑い合う二人の様子にホッと胸を撫で下ろした。
程なくして、塔の入り口にティーセットを持った春の女王が姿を見せた。
女王の歩みに合わせるように、周囲の草木は緑を増し、花はより鮮やかに咲き誇った。
ふわりと漂う花の香りと暖かな空気に包まれ、面々にお茶を注ぐ女王を、皆見とれるようにぼうと見つめた。
ドレスにあしらわれた花に蝶が留まる様子をぼんやりと見つめ――王様は微かな記憶を掘り起こした。
(前にも……遥か昔、母の腕に抱かれ……)
母の口から溢れる聞き思えのあるメロディに耳を傾けた。
女王はカップに口を付け、ぼんやりと見とれている王様に尋ねた。
「何か、私に尋ねにみえると冬が申しておりましたが……」
ハッと我に返り、王様は姿勢を正した。
「……単刀直入にお尋ね申し上げる。なぜ、世界を廻ることをお止めになられたのか?」
その問いに、女王は首を傾げた。
「実は……、私にもよく分かりませんの。冬が塔出ない事には私もここを動けませんの」
(そうきたか……。これはもう腹を括るしかないの……)
「では、夏の女王、秋の女王に目通りを願いたい」
「そうですわね……。夏か秋ならば何か存じているやも知れませんわね」
そう言って女王はニコニコと微笑んだ。
「では、夏の元へ皆様をお送り致しますわ」
季節の門は、やはり塔の背に聳えた山の中にあった。
女王の後に続き、一同はぞろぞろと山へ分け入った。
「冬の国の、何故塔に入るのを断ったのじゃ?」
「あんなものを上り下りしとったら、半日は動けんぞ」
「……なるほどのう」
「ところで、春の国の。この山は何と申すのじゃ?」
「ワシらは『狭間』と呼んでおる。世界の果てへ通じると云われておる」
「……ワシの国も、塔の背には『狭間』と呼ばれる世界の果てへ通じると云われる山が聳えておる」
「なんと……、真か?」
「ワシも驚いておる」
「……かつては、ワシらの国は交流があったのやもしれぬな……」
――季節の門へ辿り着くと、女王は真ん中の扉を開いた。
「この向こうに、夏の国がございます」
ニコニコと微笑む女王を包み込むように風が巻き起こり、「お気を付けて」という言葉残し、風に溶けるように女王は姿を消した。