春
「手数をかけもうした」
深いお辞儀を返し、扉へ踏み込もうする一行に女王は付け加えた。
「ただ……この扉は春の国の何処に出るかは分かりませんの」
そう言って、振り返った王様の頭に手を伸ばし、まるで子供をあやすようにポンポンと頭を撫でた。
「お気をつけて」
言葉と同時に女王を包むようにの雪が舞い、煙の如く消え去った。
(ワシらなぞ子供とでも言いたげな……)
王様は将軍と兵達をゆっくりと見渡し、息を整えた。
「行こう」
「ハッ!」
一糸乱れぬ敬礼を返し、将軍と兵士達は王様の後に続いた。
勇ましく歩み出したものの、門に踏み込む直前にふと不安になり、王様は思った。
(一番後ろに居ればよかったのう……)
最後尾を歩く将軍をチラリと振り返った――
将軍の視界から、王様の姿が一瞬で消え、あとに続く兵達の姿も次々と消えた。
(入り口の仕掛けとは少々違うようだな……)
そして門へ踏み込んだ将軍は、その違いが何であるかを理解した。
(あ、穴だ――)
突如床が抜けたように、将軍の体はすとんと地面へと吸い込まれた。
「……お……重い……」
微かなうめき声に、将軍は我に返った。
王様の上に兵達が、そしてその上に将軍が折り重なるように積もっていた。
将軍は慌てて飛び起き、兵達に掴みかかった。
「退け! 起きろ!」
折り重なったままぼうっとする兵達を掴み起こし、どうにか王様を掘り起こした。
「怪我はございませぬか?」
「帰りは先頭を頼めるか……」
腰をさすり、よろよろと身を起こした王様はぴたりと動きを止めた。
大地が、山が、緑を纏っていた。
一面の緑を美しい花ばなが彩り、白い帽子を被った山々を背に蝶が舞う――
「おお……おお……!!」
(春じゃ! 春じゃ!!)
「……暑い。暑いぞ」
王様は分厚いコートを脱ぎ、同じく薄着になる面々と顔を見合わせた。
「暑い、か……。久々に言うたのぉ。最後に言うたのはいつじゃったか……」
嬉しげな王様と兵士達の声に混じり、ガハガハと品のない笑い声が、春の景色にこだました。
とりあえず適当に歩き、行き着いた道を進みながら王様が呟いた。
「しかし、ここは一体春の国のどの辺なんじゃろな」
将軍が先頭を、兵達は王様を囲むように歩いた。その目は鋭く、ギラギラと輝いていた。
王様が「春じゃ。春じゃ」とはしゃいでいた時、将軍と兵達は違う理由で心踊らせていた。
わずか数名で見知らぬ土地放り出され、ろくな武器もない。信じるは己が肉体のみ。こんな状態で王様を守らねばならない……なんたる逆境! まるで――
おとぎ話の英雄のようではないか。
ここで活躍して王様を守り、「救国の英雄」そう呼ばれる様を妄想し、ニヤニヤ、ガハガハと笑っていたのだ。
王様は周囲を見回したが、山に囲まれて季節の塔は見えない。
「せめて塔が見えればのう……」
その時――視界が開け、眼下に大きな城とその城下、そしてその向こうには小さく季節の塔が見えた。
さらにその向こうには、切り立った山脈が壁のように聳えていた。
(ここにも「狭間」があるのか……?)
将軍がおもむろに単眼鏡を取り出し、王様に差し出した。
単眼鏡で城と城下を眺めながら、王様はほくそ笑んだ。
(なかなか立派な城と城下のようじゃが……。ワシの国には敵わんの)
「まあ、そこそこじゃの」
王様から単眼鏡を受け取り、城と城下の様子見た将軍がガハガハと品のない笑い声を漏らした。
「我らが国には及びませんな。三日――いや、二日あれば落として見せますぞ」
「これこれ、三日と言うといてやれ」
王様はニヤニヤと上機嫌に笑い、眼下の城を眺めた。
(このまま塔へ向かっても良いが……。まあ、挨拶ぐらいはといてやるかの。腹も減ったしのう)
「一先ずあの町で何か食うてから行くとしよう」
◆
「――脱走した家畜は全て捕獲致しました」
大臣の報告に、春の国の王様はため息混じりに頷いた。
「兵を割いても構わん。一刻も早く国中の牧場におる家畜を雄雌別けて隔離せい」
「直ちに手配致します」
「産めや増やせや……早うどうにかせんと国中が禿げ上がってしまうわ……」
長い長い春に、動物達は無限に繁殖を続け、このままでは国中の植物は食い尽くされてしまう勢いであった。
家畜はどうにか対策が効をそうしてきているが、野生動物達はどうにもならない。
夏や秋に実をつける作物は葉を伸ばすばかりでちっと実を付ける様子は無い。
深いため息をつき、大臣に次の報告を促した。
「城下の様子はどうじゃ?」
「それなのですが……」
「なんぞあったか?」
「……少々変わった連中を捕らえまして」
「其奴らは何をしたのじゃ?」
「食い逃げを働いた為、牢に押し込めております」
「食い逃げ? ならそのまま牢に押し込めておけばよかろう」
「それが……」
珍しく歯切れに悪い大臣に王様は尋ねた。
「なんじゃ? らしくないのう」
「自分は王様で、春の女王に会いに来た。というような事を申しておりまして……」
(……春じゃの。とうとう頭のおかしな奴が湧きよったか……)
王様は暫く考え、思い付いたように大臣に命じた。
「連れて参れ」
「ここに……でございますか?」
「そうじゃ」
(どんな馬鹿面か拝んでみとうなったわ)
また何時もの気まぐれかと、大臣はさほど気にと留める様子もなく答えた。
「畏まりました」
「ところで……。そういう報告は将軍の仕事ではないのか?」
「持病の腰痛が悪化したそうで、自宅で臥せっております」
「……昨日は膝であったな」
「そのように聞いております」
「その前も腰ではなかったか?」
「そのように聞いております」
王様は大きくため息をついた。
「食い逃げどもを連れて参れ」
「はっ。直ちに」
――程なくして、何やら廊下から喚き声が聞こえてきた。
「無礼者! 離さんか!」
「真っ直ぐ歩け!」
「貴様!!」
「あっ! こらっ、暴れ――ぎゃっ!」
「こいつ手枷を……あっ! やめ――ああ!」
「ヌハハハ! いいぞ! やってしまえ!」
「縄――鎖を持ってこい!」
ガハガハと下品な笑い声が響き、次々と何かを壊すような音と慌ただしい足音に続き、ドカドカベチベチと鈍い音が聞こえた。
やがて廊下が静かになり……体にぐるぐると鎖を巻かれた見慣れぬ風体の男達が王様の前に引き出された。
それを囲むように、大勢の兵士達もゾロゾロと入ってきた。
揃いも揃って顔を腫らし、視線を逸らす兵達に王様はため息をついた。
(あの将軍にしてこの兵か……)
王様は気を取り直し、どかりと玉座に座った。男達を顎で指し、側に控えた大臣に尋ねた。
「此奴らが例の食い逃げか?」
「はい」
「それで――王様と言うのはどいつじゃ?」
先頭の男が王様を睨み付け、ふてぶてしく答えた。
「ワシじゃ」
「食い逃げとは貧乏な王様があったものじゃの」
「金なら払うたではないか!」
王様は大臣が差し出した硬貨を受け取りしげしげと眺めた。
「なんじゃこれは。せめて似せる努力ぐらいせい」
そう言って、ニタニタと男を見下ろした。
「ほれ、言うてみぃ。本当は何処の誰なんじゃ~?」
男はキッと王様を睨み付けた。
「ワシは……冬の国の王じゃ!」
「冬の国じゃと?」
「そうじゃ。季節の廻りが止まり、ワシの国は冬のままじゃ」
「ならワシは春の国の王じゃのう」
王様は尚もニタニタと笑いながら男を見下ろした。
「では、夏の国と秋の国もなくてはいかんのう」
「フン。そんな事も知らんのか? 春が長すぎて頭の中にも花が咲いてしもうたみたいじゃの。お前なぞそのまま花畑で遊んでおれ」
「なんじゃと?」
目つきの変わった王様を、男はギロリと睨み付け更に続けた。
「ワシらは春の女王に会わねばならん。冬の女王から春の女王にワシが向かうと知せがいっておる」
「世迷い言を……」
「フン。春の女王に聞いてみればよい。こんなマネをして――貴様ただで済むと思うてか?」
王様は顔を歪め、吐き捨てるように大臣に命じた。
「不愉快な奴じゃ……。牢へ戻しておけ!」
男達が連れ出され、不機嫌な王様に大臣が思いがけない事を言い出した。
「春の女王にお会いになられてはいかがでしょうか?」
「まさか信じたのか?」
「いえ。念のためにございます。嘘か真か、確かめてから処分を行っても遅くは無いかと」
「ふむ……」
一方、牢では――
膝を抱えて座り、冬の国の王様は打ちひしがれていた。部屋の角に挟まるように身を寄せ、涙を滲ませた。
(ワシが……王たるワシが牢に居るじゃと……。しかも食い逃げなどと……)
町でたらふく飲み食いをした王様一行は、確かに代金を払った。しかし、店を出た途端食い逃げだと店主が騒ぎ出し、衛兵達に取り囲まれた。
何故か?
国が違えば通貨も違う。
つい先日まで世界には己が国しかないと思っていた彼らには分かるはずもなかった。
そのまま大人しく連行されていればまだマシな扱いだったのかもしれぬが……目をギラつかせた将軍と兵達が大立ち回りを演じ、わらわらと集まってきた衛兵に押しつぶされるように取り押さえられた。
壁に向かい膝を抱える王様を他所に、将軍と兵達は少し離れた所で頭を付き合わせて何やら談合をしていた。
「いやいや、将軍。英雄譚というものはですな、無名の兵士がそうなってゆく様がうけるのであって――」
「その通り。既に将軍という地位におられる方では興ざめですぞ」
「将軍には、王様から称号と勲章を我らが賜る際に、唇を噛みながら嫌みを言う大役がございます」
将軍は「フン」と鼻を鳴らし、パンツに手を突っ込み小さな油紙の包みを取り出した。
カサカサと包みを開き、小さく折り曲げた針金を摘まみ上げた。
兵士達は目を見開き、「おお!」と感嘆の声を漏らした。
「お前達にはちと荷が重いようだな」
得意げに微笑む将軍を、兵士達は尊敬の眼差しで見つめたが……次々と鼻を摘まみ顔を顰めた。
「将軍。なにやらお釣りが付いておりますぞ……」
「フン。英雄になろうという者が小さい事を言う」
将軍はサッと鍵穴へ取り付き、牢番がコクリコクリと眠りをしているのを確かめ、鍵穴へ針金を差し込みカチャカチャと動かした。
――鍵穴へ取り付き、何やらゴソゴソとやっている将軍に王様が尋ねた。
「何をしとるんじゃ?」
その時、ガチャリとカギが開いた。
「お、おぬしどうやって……?」
目を丸くして尋ねる王様に、将軍は得意気に微笑み針金を見せた。
「そんな物何処に隠しておったのじゃ? 下着の中まで探られたというに……」
将軍は床に転がったクシャクシャの油紙を指し、得意気に説明を始めた。
「あれにくるみまして、グイッと尻のあ――」
「よい。聞きとうない」
王様は鼻を摘まみ顔をしかめて将軍を遮った。
「さ、お早く」
入り口から顔を突き入れた兵士が将軍と王様を促した。
牢を出ると、絞め落とされた牢番が床で伸びていた。
兵士達が先行して進み、次々と歩哨に飛びかかり絞め落とした。
「このまま、季節の塔へ向かいましょう」
将軍の言葉に、王様は大きく頷いた。
「一先ず馬を確保して参りますので暫しお待ちを……」
程なくして、一人の兵士が外へ通じる扉から顔を覗かせ手招きをした。
「さ、参りましょう」
馬屋へ向け、まるで道しるべのように、絞め落とされた歩哨が点々と地べたに伸びていた。
用意された馬へ跨がり、王様は弱々しく呟いた。
「食い逃げの次は馬泥か……」
「何を仰います。借りるのでございます」
将軍は側で伸びている馬丁を見下ろして声をかけた。
「おい、馬を借りるぞ」
将軍に続き、兵達も次々と馬へ跨がり馬丁へ声をかけてパッカパッカと馬屋を出た。
王様は諦めたように溜め息をつき、馬丁へ声をかけた。
「すまんの。ちと借りるぞ」
その時、意識を取り戻した馬丁がむくりと身を起こし、驚いた馬が嘶きを上げ、馬丁を蹴り飛ばして走り出した。
「や、お見事!」
走り出した王様に拍手を送り、将軍と兵達が後に続いた。