冬3
馬に跨がり颯爽と駆ける王様。
――と言いたいところだが、つい昨日まで馬屋で食っちゃ寝食っちゃ寝を繰り返し、丸々と肥えた馬の足取りは重く、国一の俊足と謳われた面影は最早ない。膨れた腹をゆっさゆっさと揺らしてのそのそと走った。
加えて城下を離れれば離れるほどに雪は分厚く積もり、足取りは一段と重くなった。
(なんじゃこの体たらくは……。同じ干物ばかり食うておるというに、人間とはえらい違いじゃな……)
王様は徒歩と変わらぬ歩みとなった馬を降り、忌々しげに尻をピシャリと叩いた。
「自分で帰れるな?」
馬はぶるりと顔を振り、のそのそと来た道を戻りはじめた。
(この長い長い冬は、お前にとっては極楽のようじゃの……)
馬を降りた王様は、雪をかき分け山道を進んだ。雪は腰の高さを超えており、なかなか思うように動けず悪態をついた。
「ええい! 忌々しい!」
子供の頃は積もった雪に心踊らせたものだが、今はどうしようもなく憎たらしい。
しかし、口では悪態をついているものの、王様の心は弾んでいた。
(こんな所まで来るのは初めてじゃの。しかも一人で城を出るなど子供の頃以来じゃわい)
その時、ふと大きな木が目に留まった。
(はて? 何やら見覚えのある木じゃな……)
木に歩み寄り、どっしりと佇む木を見上げた。
(昔……、ワシはここへ来たことがある気がする……)
遠い記憶の彼方を彷徨っていた王様は、ハッと我に返った。
「お~う~さ~ま~~」
振り返ると、将軍と数名の兵が雪をかき分け追って来ていた。
「ええい! 帰れ! 付いてくるな!」
王様は雪をかき分け、逃げるように山道を登った。
しかし……日頃から鍛えている将軍と兵士達の足腰に敵うはずもなく、ついに追い付かれてしまった。
雪に足を取られ、ふらつく王様を支えようと伸ばされる将軍や兵士達の手を払いのけ、王様は喚き散らした。
「ええい、帰れと言うておるじゃろ! 帰れ! 帰れ!」
口ではそう強がってみたものの……雪に押し返され、溺れるようにじたばともがくばかりでちっとも前へ進まない。
やがて王様は疲れ果て……プルプルと震える膝が抜けて転倒した――
そう思った瞬間、将軍と兵達がすかさず王様を支えた。
「…………」
王様は暴れるのを止め、座り込んで大人しくなった。
怒鳴られると思い慌てて手を離した兵士へ目を向け、王様は静かに呟いた。
「……すまん。……言い過ぎた」
続けて将軍へ目を向け、また静かに呟いた。
「……すまん。おぬしが勘違いしたのは無理も無い……。王たる者、もっと慎重に発言せねばならぬな……」
「いえ、王様の意を汲み取れなかった我が身の未熟さを恥じるばかりにございます」
将軍は膝をつき、深々と頭を垂れた。
(気を使こうたんじゃろが……そう言われるとますます気まずいではないか……。何時ものように、ガハガハとあの下品な笑いでも返せばよいのに……)
王様は気を取り直し、立ち上がって面々を見渡した。
「これから冬の女王に会いに行く。無論、戦う為ではない。話をしに行くだけじゃ」
王様は兵達が持つ槍を指差した。
「捨てよ。そんな物はいらん。必要ない」
「し、しかし――」
戸惑う兵達から王様は槍を取り上げ、雪の中へ放り投げた。
「いらん! 置いて行け~!」
続けてくるりと将軍を振り向き、腰に差した剣を見た。
「お、王様、丸腰ではいざという時に……」
「そんな事にはならん」
「し、しかし――」
「いらん!」
「ですが――」
「くどい!!」
将軍は渋々剣を外し、雪の中へ放った。
それを見届け、王様は面々の顔をゆっくりと見渡した。
「もう何も持っておらんな? 持っておるのなら、今、ここで捨てよ」
皆口を引き結び、じっと黙っていた。
「よし、では出発じゃ」
――それから、幾つかの山を越えた。兵士達の差し出す携帯食の不味さに顔をしかめ、夜はかまくらを掘って薄い布にくるまって震えながら眠った。
しかし、王様の心はウキウキと弾んでいた。何もかもが新鮮で楽しかった。何かと口うるさい大臣もいない。ガハガハと品の無い将軍の笑い声が耳を突く以外は割と快適であった。
そして城を発って二日後、ようやく季節の塔へが見えた。
すらりと佇む塔の向こうには、世界の果てへ至ると云われ「狭間」と呼ばれる頂の見えぬ切り立った山脈が壁のように聳えていた。
塔の周囲には、巨大な水晶のような氷の柱がそこかしこに無数に生え、さながら氷の森を進んでいる気分であった。
見上げた塔は氷に覆われ、鏡のように周囲の景色が映り込んでいる。歩を進める毎に、それは万華鏡のように姿を変えて見る者を魅了した。夢中で回す内に、一行はあっという間に塔の入り口に立った。
ややあって……王様は一同を振り返った。静かに頷き合い、ノッカーを鳴らし一歩下がった。
その時、将軍の握る短剣が目に留まった。
「まだ持っておったのか!?」
声を潜め、将軍にそう言いながら兵達を見ると――揃いも揃って何処へ隠していたのやら、皆短剣を手に身構えていた。
「貴様ら! 何処に隠しておった!? 仕舞え! 仕舞え!」
「しかし、王様――」
反論する将軍と兵達を遮り、王様は声を潜めて一同を睨み付けた。
「しかしもヘチマもあるか! いいから仕舞え!!」
そう言って、早口にまくし立てた。
「もしも、もしもワシが雪だるまにされようと氷漬けにされようと、決して抜いてはならんぞ!!」
「し、しかし――」
「よいな!!!」
王様の剣幕に押され、一同は渋々短剣をブーツの隙間に押し込んだ。と同時に、ガチャリと扉が開いた。
「これはこれは、王様自らおいで下さるなんて。嬉しいですわ」
真っ白い肌と髪。透き通った青い瞳。
「知らせていただければ何かおもてなしを用意致しましたのに」
口を開く度に氷の結晶がキラキラと舞い、ひやりと冷たい空気が頬を撫でた――
冬の化身――冬の女王がにこりと微笑み、一同を迎えた。
(はて……。初対面のはずじゃが……)
「お初にお目にかかる。突然の訪問、どうかお許し願いたい」
「とんでもございません。お客様なんて滅多にありませんのよ。歓迎致しますわ」
冬の女王は口元に笑みを浮かべ、一同を促した。
「さあ、どうぞお上がりになって下さいまし」
――女王の後に続き、ぐるぐると階段を上った。
女王の動きに合わせ、真っ白いドレスにあしらわれた幾つもの雪の華がふわふわと揺れ、こんこんと降り注ぐ雪を見つめているようだった。
長い長い階段を上り……膝がプルプルと震え始めた頃、ようやく塔の一室へと辿り着いた。
「どうぞ、お掛けになって下さい」
王様一行はへたり込むように、テーブルを囲む椅子へ腰を下ろした。同時に、尻から頭へ駆け抜けた冷たい感触にピンと背筋が伸びた。
「何か暖かい物をお出ししたいのですけども……。あいにく私は冷たい物しかご用意できませんの」
「いやいや、お構い無く」
王様がそう返すと、冬の女王は将軍と兵士達のブーツに視線を巡らせた。
「それで……、今日は私と戦いにいらしたのですか?」
「いやいや、滅相もない」
慌てて答える王様に、冬の女王はまた口元に笑みを浮かべた。
その優しげな声と美しい笑みに、何処までも見透かすような、底知れぬ冷たさを感じた。
人知を越えた者。人知を越えた存在。それを見せつけられた思いがした。
「では、早く出て行け。早く春を連れてこい。またそういったお話ですか?」
王様は苦笑いを返し、バツが悪そうに頬を掻いた。
何故春の女王と交代しないのか? 何故塔を離れようとしないのか? 冬の女王に直接問うてみればいい。当然と言うか、寄せられた案にはういったものが非常に多かった。
そこで、これまで数回、冬の女王の元へ使者を送っている。
しかし、使者達は皆一様に雪だるまのように雪にまみれ、白紙の手紙を持ち帰っただけだった。
「……今日は、尋ねたき事があって参った」
「私にお答え出来きる事でしたらなんなりと」
世界にはここ以外の国があるのか? 今は春、夏、秋の国となっている国があるのか? かつて季節は廻らぬものだったのか? 尋ねたい事は多くあった。しかし――
(何やら試されているように感じる……。額面どうりに受け止めるわけにはいかぬようだの。まどろっこしい事をしとると適当にはぐらかされてしまいそうじゃ)
全身にもこもこと雪をくっ付け、ガチガチと歯を鳴らしながら白紙の手紙を差し出した使者達の姿が王様の脳裏を過った。
笑みを浮かべる冬の女王を見つめ、王様は暫く考え、聞くべき事を絞った。
「……ここ以外の国の話をお聞かせ願いたい」
「まあ。他の国の事などとっくにお忘れになっているのかと思っておりましたわ」
「で、では……!」
目を見開く王様に、冬の女王は楽しげに微笑みかけた。
「そうですわね……。ここを冬の国とするならば……春の国、夏の国、秋の国。今、世界にはこの四つの国がございますわ」
(やはり、あの物語は真実を語っておったのだ)
そう確信すると同時に、王様はあの少年の言葉を思い出した。
『私はつい先日までもう一年も春の女王が塔を去らないと嘆く国に居りました』
(ならば――)
「春の国に行くにはどうすれば良いかご存じか?」
「春の所に行かれるおつもりなのですか?」
「春の女王に目通りを願いたい」
「フフフ」と冬の女王は楽しげな声を漏らした。
「分かりました。春の元へお送り致しましょう」
そう言った冬の女王の笑みには、先程までの冷たさは感じられなかった。
(……当たりを引けたようじゃの)
――冬の女王に案内され、一行は「狭間」へと分け入った。
女王が一歩進む度に、深く積もった雪がサッと舞い上がり、まるで平伏するかのように道の両脇へと舞い降りた。
(一体何処まで行くのじゃ……)
塔を登って下り、今度は山道を登り……もうヘトヘトだった。
先程絶壁の側を通った時、塔が遥か下に見えた。しかし、上を見上げても「狭間」の頂きは見えない。
(まさか頂上まで行くのではあるまいな……)
やがて、道は深い谷底を通り、壁のように立ち塞がった崖の前でぷっつりと途絶えた。
訝しむ一行を他所に、冬の女王歩みを止める事なく進み、するりと崖の中に吸い込まれた。
後に続き、恐る恐る崖に近づき手を伸ばすと……そこには何もなく、手はするりと崖の中へと入った。
(なんじゃこれは……。壁があるように見えるだけか……?)
するりと崖の中に吸い込まれた王様に続き、一行の姿は次々と崖の中に消えた。
中は大きな空洞になっており、石造りの巨大な三つの扉が聳えていた。正面と左右に一つずつ、入り口を囲うよう配されていた。
右の扉の前で、冬の女王が王様達を待っていた。
「これは一体……」
巨大な扉に圧倒されながら、王様は尋ねた。
「季節の扉。とでも申しましょうか……。私達姉妹は、この扉を通り世界を廻っておりました。神々の園を出た私達姉妹が、唯一ほんの一時顔を合わせる場所にございます」
女王の言葉に頷きつつ、三つの扉を改めて見上げていると、女王の背で一つの扉がゆっくりと開き始めた。
ゴリゴリと重々しい音と微かな地揺れが起こり、扉が開いた。
しかし、扉の向こうには特に何も見えない。只単に扉が開き、その向こうが見えるようになっただけだった。だが、この場所へ入った時の事を思えばどういう事なのかは想像がつく。
「この向こうに春の国がございます。春にはもう知らせが届いておりますので、安心して春をお訪ねになって下さい」