冬2
翌朝、王様が目を覚ますと少年の姿なかった。ベッドの横には、昨夜少年が座っていた椅子だけが残されていた。
(夢……。いや、この椅子は昨夜ワシが置いたものだ。夢ではない)
王様は部屋を出ると入り口に立っていた衛兵に尋ねた。
「あの少年は何処に居る?」
衛兵は首を傾げ、王達に尋ねた。
「あの少年とは?」
「昨夜この部屋にいた少年じゃ。何処に居る?」
衛兵はまた首を傾げた。
「いえ、昨夜は誰も……この部屋には王様しか……」
もごもごと答える衛兵に痺れを切らし、「もうよい」そう言い捨てて王様は大臣の元へ向かった。
すでに起きて執務室で仕事をしていた大臣に、王様は尋ねた。
「あの少年は何処へ行った?」
大臣は王様をぽかんと見つめ、先程の衛兵と同じく首を傾げた。
「あの少年とは……?」
「アポロと名乗った吟遊詩人のことじゃ」
「……吟遊詩人? それはどういった者を指すのでしょう?」
「世界を旅し、歌や物語を――そもそもお前が連れてきたのではないか」
「私が? はて……」
「ええい、もうよい!」
荒々しく扉を閉めた王様は、今度は将軍の元へ向かった。
(どいつもこいつも、まるでワシが寝ぼけておるとでも言いたげな顔をしおって……!)
肩を怒らせツカツカと歩いていた王様は、訓練をする兵達の声に驚いて足を止めた。
つい昨日までは「え~……ぃ」「やぁ~……」とやる気のない声だったのがウソのように「エイ!」「ヤッ!」と気合の入った声を響かせ、覇気のなかった瞳は鋭い光を取り戻していた。
(はて……、これは一体どうしたことだ?)
「王様!」
嫌な声が聞こえた。
立ち止まり首を傾げる王様の後ろから、勢いを取り戻した将軍のどら声が響いた。
「ご覧下さい! この兵達の気合いを! 今こそ、季節の塔へ攻めかかる好機ですぞ!!」
王様は大きくため息をつき、将軍を振り返った。
「さあ! 出陣のご命令を! 一時間――いや、三十分で支度してみせますぞ!」
そう言って将軍は豪快な笑い声を響かせた。
(やれやれ、余計な奴まで元気になりおって……)
「それはならんと何度も言うておるだろう……。それよりもだ、昨日来た少年は何処へ行った?」
すると、将軍はぽかんと王様を見つめて答えた。
「昨日? 昨日謁見を願い出た者はおりません。そのような報告も受けておりませんが……」
(どういう事じゃ……?)
王様もぽかんと将軍を見つめた。
しかしよくよく考えてみれば……何処の誰かもわからない者が、ふらりと城を訪れ王様に謁見することなど出来ない。普通はいくつもの面倒な手続きを行い、謁見の間で将軍や大臣と一緒に会う。
その二人が知らないと言う。
(ワシが寝ぼけておるのか……? あれは夢じゃったのか?)
それに、大臣がいきなりあの少年を連れて現れた時に不思議に思わなかった自分もおかしい。
普通はまず何処の誰が来た、会いたいと言っている。などといった話が先だ。いきなり連れて来る事などない。
(ワシが寝ぼけておっただけか……? 大臣と衛兵にはちと悪い事をしたのぅ)
「すまん、勘違いじゃ。忘れてくれ……。ところで、今日はやけに元気じゃの。昨日は死人か干物と話しとる気分じゃったが……なんぞ精の付く物でも食うたのか?」
すると、将軍は腕を組み「んんん……」っと深く唸った。
「昨夜、夢を見まして……」
「夢?」
「はい。歌を聴いている夢を見まして……。それはそれは美しい歌声で、聴き入っている内に、こう、腹の底から気力が沸き出してまいりまして――」
(歌を聴いたじゃと……)
「――兵達も口々に同じ夢を見たと申して、この通り」
将軍は得意気に両手を広げ、訓練をする兵達を振り返った。
(夢ではない。やはりあの少年は居たのだ。そしてその歌声はワシにだけでなく……)
王様は少年の奏でた美しい旋律と歌声を思い出した。体の奥底へ、魂にまで届くような透き通った歌声……。
(そう言えば大臣も血色がよかった……)
「これはきっと神の思し召し、塔へ攻めかかれという神のご意志に他なりません!」
(そうじゃ、その通りじゃ。あの少年は我らの窮状を憐れんだ神々が遣わした神の御使い……!)
王様はそう結論すると同時に、湧き上がってくる興奮と閃きに打ち震えた。何やら喚いている将軍の言葉は右から左へと抜けていった。
「さあ、王様! 出陣の下知を!」
(だとしたら、昨夜少年が語った物語は――)
王様はハッと顔を上げ、将軍に告げた。
「季節の塔へ向かう。支度をせい」
将軍は飛び上がるように敬礼し、ドカドカと足音を立てて兵舎へ走って行った。
王様が部屋へ戻り着替えをしていると、大臣が駆け込んで来た。
「王様! どうか、どうかお考え直し下さい!!」
「神託を賜ったのじゃ。ワシが行かなくてどうする」
「いいえ! なりません!!」
考え直せと食い下がる大臣を無視し、着替えを済ませた王様は部屋を出た。
廊下をツカツカと歩く王様の前を、大臣が器用に後ろ向きに歩きながら王様を押し留めようと食い下がった。
「どうか! どうかお考え直し下さい!」
(うるさい奴じゃ……。しかし今日はやけに食い下がるの)
「どうか! 今一度お考え直しを!!」
扉に手を掛けようとする王様の前に割り込み、最後の抵抗とばかりに大臣が両腕を広げて立ち塞がった。
「ええい! しつこいぞ!! 行くと決めたのじゃ、そこを退かんか!」
王様に一喝され、大臣は諦めたように肩を落とした。
「……分かりました。そうまで固く決意されて……。もうお引き留めは致しません。しかし、しかし! 王様自らのご出馬だけは相成りません!!」
「は? 出馬?」
王様はぽかんと大臣を見つめた。
「上手く事が運べば良いですが……。もしも、もしも失敗した場合、王様御自ら兵を率いてとあっては言い訳がたちません」
「兵を? 何を言うておるんじゃ?」
大臣はサッと王様の耳に顔を寄せ、声を潜めた。
「ここは、あの男の独断ということで……」
「はぁ?」
「上手く行けばそれでよし、もしもの時は……あくまでもあの男の独断。王様の命に背き、独断で兵を動かしたものと……」
大臣がそっと扉を開け、その向こうに広がった光景を目にして――王様は「しまった」と思った。
そこには鎧兜に身を包み、槍を携えた兵達が城門へ続く道の両脇にずらりと整列していた。目下の階段の下には、王様の馬を従え、片膝をついて頭を垂れた将軍が居た。
サッと顔を上げた将軍は、宣言通り三十分で支度を整えた事にどんな誉め言葉を貰えるのかと目を輝かせ、得意げに微笑んでいた。
興奮してつい塔へ行くと口走ってしまった……。あの状況で「支度をしろ」と言えばこうなるのは当たり前。将軍に非はない。
王様はにこにこと微笑み将軍に声をかけた。
「本当に三十分で支度が調ったのじゃな。うん。素晴らしい。満足じゃ」
「はは!」
いつもならガハガハと下品な笑いを返すだけなのに、今日に限って神妙に……。
(やりにくい……)
頭を垂れる将軍に歩み寄り、王様は馬に跨がるとすっとぼけた。
「うむ。ご苦労じゃった。今日はゆるりと養生致せ」
「はは! 必ずや、ご満足いただける働きを――は?」
将軍は顔を上げ、ぽかんと王様を見つめた。王様は目を逸らし、尚もすっとぼけた。
「これならば、何があっても安心じゃ。安心して眠れるわい。そ、そうじゃ、せ、せかっかくじゃ、皆で城内の雪掻きでもせぬか」
王様に塔を攻める意思はなく、将軍の早とちりであったようだと――ホッと胸を撫で下ろす大臣を、将軍はキッと睨み付けた。
「貴様の仕業か……」
将軍はツカツカと大臣に詰め寄り、掴みかかった。大臣も負けじと将軍を掴み返した。
「王様に何を言うた?」
「はて? 何の事か……。王様には最初から塔を攻める気など無かったように見受けるが? また貴様のお得意の早とちりであろう?」
「とぼけるな。貴様が翻意を促したのだろう」
「何をたわけた事を……。あれは正真正銘王様ご自身の意思。貴様はそれに異を唱えると申すか?」
大臣と将軍は、はじめこそ聞き取れぬ小声でボソボソとやりあっていたが、徐々に声を荒げ互いを罵りはじめた。
「これ、止めんか。落ち着け」
王様が慌てて声割り込ませるも、二人は額に青筋を浮かべ、口に泡を溜めてまくし立てた。
「がさつ、下品、筋肉ダルマ。貴様が陰でそんな事を言うておる事ぐらい承知しとるわ!」
「そういう貴様こそ、もやし、腹黒、青瓢箪。そんな事を言うておるそうだの!」
王様の声など耳に届いてないらしく、大臣と将軍の言い争いはますます激しくなってゆく。
「わかった、わかった! ワシが悪かった! 塔へ行くというのはだな、冬の女王に話を聞きに行くという意味であってだな……」
その声は二人には全く届いておらず、ついには二人とも顔の横で拳を構えた。
「ええい! もうよい! 誰も来るな!!」
王様は馬に鞭を入れ、城門へ向けて駆け出した。いや、逃げた。
「王様!」
「王様ー!」
単騎で駆けて行く王様に、兵達は口々に叫びどよめいた。
「将軍!」
「大臣!」
兵達の叫びに我に返った将軍と大臣が振り向くと、城下を駆け抜け小さくなってゆく王様の背が見えた。
大臣は慌てて手を離し将軍を怒鳴り付けた。
「何をしている! 早う追わんか!! 王様を一人で行かせるつもりか!!」
将軍は慌てて馬に飛び乗り、同じく馬に乗った数名の兵を従えて城門を飛び出した。
遅れて後に続こうと城門へ押し掛けた兵達の前に、大臣が両腕を広げ立ちふさがった。
「お前達は追うてはならん! そ、そうだ、雪掻きだ! 雪掻きをせい!」
大臣は小さくなった王様と将軍達の背を振り返り、憮然と顔をもどした。
「何をしている! 雪掻きだ! 早よう散れ!」
なんだかんだと罵り合っていても、あの男が一緒なら王様に危険が及ぶことはあるまい。そう思う大臣であった。