変化
結局、引っ越しまでリーゼロッテの家でお世話になることになった。
「なんだか、申し訳ない気持ちでいっぱいですが」
「そんなことないわ。お父様も使用人も、みんなメルと鷹獅子が大好きだから、気にしないで。ずっと、ここにいてもよかったのだけれど」
「いや、侯爵様は、私に鋭い視線を向けていますが」
「老眼なのよ、きっと」
「いや、老眼って遠くは良く見えるのですよ」
「あら、そうなのね」
好かれているわけはないと思っていたが、想定外の情報がもたらされる。
なんと、侯爵様は私の作った冬苺のタルトを、完食してくれたらしい。
「美味しかったって言っていたし、肩の痛みも治ったって、喜んでいたわ」
「あ、そう、だったのですね」
どうやら、スノードロップの実は五十肩にも有効だったようだ。
「今度、アルブムを連れてスノードロップの実探しに行きたいと言っていたのよ」
「そんな、侯爵様直々に……。言ってくれたら、私が行きますよ」
「いいのよ。お父様もたまには運動もしなきゃ、体が鈍るから」
「しかし、なんか気の毒で」
主にアルブムが。
「侯爵様よりご用命があれば、なんでもします。一応、師弟関係になる予定ですし」
すると、リーゼロッテは切なそうな、可哀想な物を見るような、なんともいえない視線を向けてくる。
「あの、何か?」
「あのね、メル。あなたは師のもとで学ぶ生徒なの。使い走りじゃないのよ」
「あ!」
ここで、ハッとなる。
リーゼロッテの指摘通り、なんか侯爵様の下僕みたいに思っていた部分もあった。
「課題を命じることはあるだろうけれど、お父様の私的な用事を命じることはないと思うの」
「ですね。ちょっと、侯爵様との師弟関係を勘違いしていました」
上手く付き合えるか不安ではあるけれど。
まあ、信頼関係などはおいおい築いていきたいと思っている。
◇◇◇
そして、休日明け。
侯爵家の使用人が制服などを洗濯してくれたおかげで、身支度は難なく終えることができた。
広い大理石の洗面所で、顔を覗き込む。
髪型はいつもだったら三つ編みのおさげにしているけれど、ちょっと子どもっぽいかなと思い、左右の髪を編み込んで、頭の高い位置で一つ結びにしてみた。
なんか、リーゼロッテと一緒にいたので、美意識とか、ちょっと影響を受けてしまった。
準備万端! よし、今日からお仕事頑張るぞ~! と気合いを入れ直したが、あることに気付き、私は頭を抱える。
「そういえば、三連休、ぜんぜん休めてなかった!」
『クエ~~』
傍にいたアメリアがよく頑張ったと、頬ずりしてくれた。なんて良い子なのか。
「でも、ザラさん元気になりましたし、アメリアと住む家も決まりましたし、侯爵様の五十肩も治りましたし」
『アルブムチャンモ!』
「そうですね、アルブムとも仲良く……うわっ!」
いつの間にか足元にアルブムがいたので、びっくりする。何かを入れた唐草模様の風呂敷を首に巻いている。いったい、何を持って来たのか。
『木ノ実……オ弁当ダヨ』
「格納術を使えるのに?」
『ミンナ、荷物ヲ、持チ歩イテイルカラ』
「なるほど」
人の真似をしたいお年ごろなのか。
それにしても、アルブムの登場にアメリアも驚いているので、転移魔法とかを使って来たとか?
『ソウダヨ!』
「さ、さようで」
やはり、ザラさんが言っていたとおり、アルブムは高位妖精なのだろう。転移魔法など、朝飯前と言うわけか。
しかし、私のもとで預かって、本当にいいものか。
本気で騎士隊の仕事について来るみたいだけど。
「アルブム、先に言っておきますが、私はあなたに対価を与えることはできません」
『アルブムチャン、対価ハ貰ッテイルヨ!』
まさか魔力を知らないうちに奪っているとか!?
思わず、アルブムから距離を取ってしまった。
「いつの間に魔力を奪ったのですか!?」
『チ、違ウヨ! アノ、パンケーキ作ッテクレタリ、エット、ソノ、アリガトウッテ、言ッテクレタリ……ソレガ、対価』
「そんなことでいいんですか?」
『ダッテ、今マデ誰モ、シテクレナカッタシ……』
だめだ。私、こういうのに弱い。
こんなんだから、ザラさんに心配されるんだけど。
『クエクエ』
たった今、アメリアにも小声で耳打ちされた。「アルブムとは契約を結んでいないので、隙は見せないように」と。
強制力のある侯爵様との契約はあるわけで、そこまで大変なことにはならないだろうけれど。まあ、用心に越したことはない。
リーゼロッテは馬車で行くらしい。私はアメリアに跨って、出勤する。ここでお別れだ。
「メル、またあとで――あら?」
「どうかしました?」
「その髪型、良く似合うわ」
「本当ですか?」
「ええ」
嬉しい!
私も頑張れば、リーゼロッテみたいな大人っぽい女性になれるだろうか。
これからも、気を抜かずに努力しなければ。
「じゃあ、今度こそまたあとで」
「はい!」
私は空を飛んで、出勤だ。ザラさんの家まで行って、仕事場まで歩いて行く。
アルブムは革袋に入れて、鞍にぶら下げておいた。
「では、アメリア、行きますよ!」
『クエ~~』
『エ、飛ブノ、マダ? マダ……アアア、ヤッパリ怖イ!』
顔は出さずに、全身革袋に収まっているアルブム。何も見えないほうが怖いのではと思ったが、見えるほうが怖いらしい。
「アルブム、飛びますからね」
『ア、ウ、ウン。優シク、飛ンデネ』
『クエ!』
アメリアは軽やかに助走を付けて、翼をはためかせる。
大きく跳ねて、飛翔。
「おおおおおお……」
『オロロロロロ……』
飛行系の三半規管が弱い私とアルブムは、さっそく鷹獅子酔いしてしまう。船や馬車は平気なのに。大空の中で風を切る恐怖感が大きいのだろう。
そのうち、慣れる、はず。
あっという間にザラさんの家に到着する。
ゆっくりと降下して、ふわりと地面に着地。
「あ、おはようございま~す!」
ザラさんは玄関の段差に座っていた。手を振って、挨拶する。
「おはよう、メルちゃん」
顔色は完全に良くなっていた。
完治したようで、ホッとする。
「昨日は、夕方から全快状態で、体が鈍っているかもしれないから、隊長と訓練したりして」
「大丈夫だったのですか?」
「ええ。六回中、三回勝ったの」
「おお、それは凄い」
ザラさんと歩きながら出勤する。
アメリアは街中で、大きな注目を浴びていた。
もう、すっかり大きくなっている。馬と同じくらいだろうか。
出会った頃は胸に抱けるほど小さかったのに……。感慨深い。
「あ、そうそう。メルちゃん、今日の髪型、とっても可愛い」
「あ、はい、ありがとうございます」
言われた瞬間、カッと頬が熱くなる。
髪型を褒めてもらって嬉しいけれど、ちょっと恥ずかしい。
なんだろうか、この羞恥心は。
リーゼロッテの時は、そんなことなかったのに。
突然美意識が湧いてきたり、ザラさんの褒め言葉に照れたり、私はいったいどうしたのか。
もしかして、これが大人になるということ?
わからない。今度、ベルリー副隊長に相談しなければ。
「メルちゃん、どうかした?」
「いえ、なんでもないです」
「そう」
守衛門を抜けて、第二部隊の隊舎へと向かっていたが、驚きの光景が広がっていた。
「あれ?」
「これは……」
『クエ~~?』
『ア、アノ、飛行、終ワッタ?』
約一名、革袋の中にいて、情報が遅れている妖精が。
「え、なんですか、これ?」
目の前に広がるのは、一部の壁が取り払われた隊舎。執務室が剥き出しになっていた。
レンガや木材などが大量に運び込まれ、いかにも建設中な様子だったのだ。
「おう、来たか」
執務室に入ってきた隊長が、外で呆然としている私達に気付き、挨拶をする。
「あ、あの、これは?」
「増築工事だとよ」
なんでも、アメリアのために幻獣保護局が部屋を作ってくれるらしい。
「調理場や、調合室、風呂、宿泊室、魔導保冷庫まで作るらしい」
「えっ、それはすごいです!」
侯爵様が手配をしてくれたらしい。
「これで、厨房にかまどや調理器具を借りに行ったり、保管庫の温度を気にしたりしなくてもよくなるんですね」
「みたいだな」
お肉とか買ったら、腐る前に加工! みたいに、必死になって調理していたのだ。
保冷庫があったら、お買い物もしやすくなる。
とても嬉しい。
「だが、問題もある」
「なんでしょう?」
「完成まで二週間かかるらしい」
「おお、それは……」
そして、ここで驚きの発表がなされた。
「そんなわけだから、長期の仕事が入った。竜車に乗って、サファイア砂漠に遠征に行く。大蠍退治だ」
三連休明けも、やっぱり遠征だった。




