エヴァハルト伯爵家へ
朝食後、侯爵様のもとへ行く。
温室で摘んだ花を部屋に生けてもらおうと思ったのだ。渋いおじさまなので、真っ赤な薔薇が似合うだろう。
執事さんに聞くと、執務室にいるというので、訪問する。
昨日、ブランシュにモフモフにっこりな姿を目撃してから、少しだけ苦手意識が薄くなっていた。
トントントンと執事さんが扉を叩き私が来た旨を伝えてくれると、『ハ~イ、ド~ゾ!』という明るい返事が聞こえて来た。この声は、アルブムだ。
中から扉が開かれる。
『ヨッ、パンケーキノ、娘!』
「あ、はい」
ドアノブにぶらんとぶら下がった姿で私に声を掛けてくる。どうやら扉を開いてくれたのは、アルブムだったようだ。
侯爵様は険しい表情で執務机についている。
歓迎の姿勢はまったく見せない。
「失礼します」
ぺこりと頭を下げ、部屋に入る。
私のあとに続いて来る者がいた。アメリアだ。
『クエ~』
静々と、部屋に入って来る。
アメリアにも心境の変化があったのか。自分から侯爵様に会いに行くなんて。
『オイ、パンケーキノ娘、今日、暇ダロウ。アルブムチャンニ、パンケーキヲ、作ッテクダギャイッ!!』
アメリアは私に近寄って来たアルブムを前足で踏む。
『ギャアアア、コイツ、コイツ、アルブムチャンヲ、三度モ足蹴ニ、シヤガッテ~~』
『クエ!』
最低限身動きが取れなくなるくらいの力しかかけていないのだろう。アメリア的にはかなり手加減をしている模様。
前方より侯爵様の冷ややかな視線を感じていたので、とっとと用事を済ませることにした。
「あの、この薔薇の花、朝、温室でアメリアとリーゼロッテの三人で選んだんです。良かったら」
執事さんに手渡して任務完了。そう思っていたのに、想定外の事態となる。
侯爵様は立ち上がり、ずんずんとこちらへやって来た。そして、威圧的な視線を私に向けつつ、薔薇の花を受け取ってくれた。さらに、想定外の一言が。
「……ありがとう」
お、お礼を言っただと!? 天変地異の前触れか!?
微笑むとまではいかないけれど、眉間の皺は解れ、いつもより優しい表情を浮かべているような気がしなくもない。
それからさらに侯爵様は、アメリアを見て頭を下げた。
「鷹獅子、アメリア。以前、手荒な真似をしたことを、謝罪する」
『クエ!?』
アメリアにとっても、驚きの展開だったらしい。
「あの事件以降、幻獣の扱いについては話し合った。二度と、幼い幻獣を無理矢理革袋に詰めるなどの対応はしないと誓おう」
『ク、クエクエ……』
もじもじとしながら、「そ、そこまで言うのならば、許してやらなくもないけれど」と言っていた。
良かった、仲直りの機会があって。
ここで、消え入りそうな声が聞こえる。
『ミンナ、ホッコリ、シテイルケレド、アルブムチャンノコト、忘レテイナイヨネ?』
……すみません、すっかり忘れていました。
◇◇◇
リーゼロッテの部屋に戻ると、ブランシュがいた。
「うわ~」
『クエ!』
なんと、赤いリボンを首元に巻いてもらい、オシャレをしていたのだ。とても可愛い。
『ク、クエ~クエ~……』
思いがけない反応を示したのは、アメリアだった。
自分からブランシュに近づき、「そ、そのリボン、可愛いね」と声を掛けている。
『にゃあ、にゃあ』
『クエクエ』
どうやら、侍女さんに結んでもらったらしい。アメリアはかなり羨ましいようで、ブランシュの周りをくるくると回って眺めている。
「リーゼロッテ」
「はあ、可愛い。ここは天国……」
「リーゼロッテ」
「きゃあ!」
肩をポンと強めに叩いて、話しかける。
自分の世界に入り込んで、私の呼びかけに気付いていなかったのだ。
「メ、メル、何かしら?」
「リボン、ブランシュみたいにアメリアにも結べないかなと。羨ましがっているようなので」
「あ、そ、そうなのね。わたくしったら、ぜんぜん気付かなくて。ええ、可能よ。頼んでみるわね」
リーゼロッテが指示を出すと、侍女さん達がやって来てリボンを結んでくれた。
アメリアはかなり嬉しかったようで、尻尾をブンブンと振っている。私に似合っているか、質問もしてきた。ブランシュとお揃いのリボンで、仲も深まったように見える。
身支度が整ったら、エヴァハルト伯爵家に馬車で向かう。
アメリアは空を飛んでついて来るようになっていた。
エヴァハルト伯爵家は広い庭に大豪邸を構えていた。
「お祖母様は、ここで山猫と二人暮らしをしているの。使用人も数名しかいないわ」
「何故、お一人で?」
「お祖父様が亡くなってから、ふさぎこんでしまって、誰も寄せ付けなくなったというお話よ。わたくしも遊びに行くんだけれど、門前払いされたことも何回かあるわ」
「そ、そうなんですね」
「でもそれは、わたくしが悪いの。以前、ブランシュを欲しいと言ったことがあったから」
そういえば、ザラさんとリーゼロッテは顔を合わせた際に、そんなことを言っていたような気がする。
「本当、少し前のわたくしは、幻獣のことしか考えていなくて、我儘で、どうしようもない人だったわ」
けれど、リーゼロッテも変わった。
騎士隊の隊員としての責任も感じているからか、顔付きもしっかりしてきたような気もしなくもない。良い変化だ。
しかし、人嫌いの大奥様か。
上手くいくだろうか。わからない。
ドキドキしながら、家の中へお邪魔させてもらった。
『みゃ~~!!』
と、玄関に踏み込んだところ、大きな黒い猫が飛び込んでくる。
アメリアに向かって突進してきたが――
『ク、クエ~~!』
『にゃう!!』
『みゃ?』
驚いて目を閉じるアメリアに、庇うように前に出て来たブランシュ、妨害されて驚き顔の黒山猫。三者三様の反応を見せていた。
「あらあら、ノワール、お客様に飛びかかってはいけませんよ」
のんびりとした、老婆の声が聞こえた。
その瞬間、黒山猫は動きを止め、『ミャ~~』と返事をするように鳴く。
「あ、お祖母様……」
「あれが、リーゼロッテの……」
びっくりした。まさか、お屋敷の主がじきじきに玄関までやって来るなんて。
白髪頭にピンと伸びた背中、品のあるドレス。表情は、どこか険しい。あれが、リーゼロッテのお祖母様。喋り方はおっとりしているけれど、表情は厳しそう。貴族の貴婦人という雰囲気がビシバシ伝わっていた。
「あなたが、噂のメルと、アメリアですね」
「初めまして、メル・リスリスと申します。こちらは、鷹獅子のアメリア」
『クエ~~』
アメリアは姿勢を低くして、挨拶の姿勢を取っていた。
「お、お祖母様、お久しぶりです」
「あら、リーゼロッテも来ていたのね。本当に、久しぶり」
「え、ええ。そうです、ね」
会話が途切れ、気まずい雰囲気となる。
「その、本日は大奥様にお願いがあって――」
「話は部屋でしましょう」
ぴしゃりと言葉を遮られた。
話は聞いてもらえるのだろうか。ドキドキしながら、あとに続く。
客間に案内され、勧められた長椅子に腰を掛ける。
朝摘んだ薔薇の花束も手渡した。けれど、反応はいまいち。まあ、何も持って行かないよりはいいだろう。
私より二つか三つくらい年下の侍女がやって来て、お茶を淹れてくれた。卓子には、チョコレートの焼き菓子が置かれる。
沈黙の中でお茶を飲み、お菓子を戴いた。けれど、緊張し過ぎて、味はほとんどわからなかった。
ひと息吐いたところで、話し掛けられる。
「……そういえば、挨拶がまだでしたね。わたくしはローゼリンド・エヴァハルト」
「お、お会いできて、光栄です」
「わたくしもよ」
なんでも、ザラさんは私の話をエヴァハルト夫人にしてくれていたようだ。
「この子は、ノワール。見てわかる通り、山猫です」
伏せた姿勢でいながらも、そわそわとアメリアを見上げるノワール。好奇心旺盛なのだろう。
山猫には、さまざまな毛色があるようだ。ブランシュは真っ白で、ノワールは真っ黒。
「それで、鷹獅子とここに住みたい、という話でしたね」
「はい」
いきなり話は核心を突く。
ザラさんはほとんど話をしてくれていたようだ。
どういう判断がくだされるのか。はらはらしながら答えを聞く――が、話は想定外の方向へと向かった。
「条件があります。ノワールの好物である、スノードロップという花を、鷹獅子と探しに行ってください。見つけることができたならば、ここに住んでも構いませんよ」
「!」
良いか、ダメかの二択かと思っていたのに、まさかの条件が。
「どうします?」
エヴァハルト夫人に聞かれたが、答えは一つしかない。
「――やります!」




