スッポンとザラさんと私
いや、川鼈って……。
香辛料も何もない状態で食べるのはかなりキツイだろう。けれど、空腹には勝てない。
川鼈はすでに息絶えているようで、微動だにしていない。
「これを、食べるしかないんですね……」
私の魔力と引き換えに生まれた食糧。無駄にするわけにはいかない。
腰のベルトからナイフを引き抜き、見つめたまましばし沈黙。
「鍋がないので、煮沸消毒もできないんですね」
「ええ、困ったわね」
うが~っと叫びながら、頭を抱える。調理前、食器類はすべて煮沸消毒をしたのちに使っているのだ。
「ま、まあ、ナイフは、洗ってあるので、きっと、大丈夫」
本当は凄く嫌だけど、背に腹は代えられぬ。
ザラさんと川辺に行き、川鼈を捌く。
「この辺りは川の流れも穏やかなんですね」
「ええ。でも、メルちゃんの身長と同じくらいの水深はあるから、気を付けて」
「はい」
川を覗き込むと、魚が優雅にスイスイと泳いでいた。道具がないので、あれを捕まえることは難しいだろう。蔓に餌を付けて、釣りのようにして……いや、無理だ。餌もないし。
はあと大きな溜息を吐き、血抜きを行う。
「ザラさん、血、飲みます?」
「そのままだときつそうね」
「はい、どぎついです」
栄養価は高いけれど、割る酒もないので川に流す。
サクサクと解体し、着替えのシャツに肉を並べた。
「これをどうやって焼けばいいのか」
「困ったわね」
周囲をキョロキョロと見るけれど、串刺しに使えそうな枝などはない。
そのまま火の中に入れたら、一瞬にして炭と化するだろう。
「そうね……だったら、石焼きにしたらどうかしら?」
「石焼きですか」
ザラさんは川辺にあった平たい石を持ち上げる。
「これを火の中で熱するの」
「ああ、なるほど。天然の石鍋になるわけですね」
その案を採用する。
ザラさんは平たい石を洞窟へ持ち帰った。魔法陣の傍に置き、魔棒グラで火の中に入れた。
すると、瞬く間に石は真っ赤に染まった。
「なんか、もう使えそうね」
「ですね」
そういえば、ここは魔石の原石があると言っていたような。
「だったら、魔法で作った炎と相性がいいのかもしれないわね」
「はい」
ザラさんが魔棒グラを使い、赤くなった石を火から出した。
川鼈の肉を、石鍋の表面に並べていく。
ジュウジュウと、音を立てて焼ける川鼈。その、なんて言うのか、漂う香りは少々独特だ。やはり、香辛料で臭み消しをしなければならないのだ。
思いっきり煙を吸い込んでウッとなり、口元を手で覆う。
ナイフで肉をひっくり返す。火力が高いので、短時間で焼き上がった。
川鼈肉は石鍋から手巾の上に移した。食欲をそそらない匂いと見た目が悪い意味でたまらない。
外を見ると、陽が沈んでいた。どうやら、ここで一晩過ごさなきゃいけなくなりそうで、こっそり落ち込んだ。
気を取り直して、食事の時間にする。
フォークや匙など、崖で紛失してしまったので、ナイフに肉を刺して食べるという、山賊スタイルで戴くことに。
神様に祈りを捧げ、いただきます。
表面がカリカリになった川鼈のお肉。獲れたて新鮮、できたてほやほやなのに――
「うっわ、まっずい!!!!」
叫んだ。力の限り叫んだ。
まずい……まずい……まずい……と、私の声が洞窟の中に響き渡る。
昼間、スープとして食べた時はあんなに美味しかったのに、臭み消しの香辛料がないだけでこんなに肉が不味くなるなんて。驚きだ。
「ザラさん、大丈夫ですか?」
「……ええ、春先の、雄の猪豚肉よりは、ぜんぜん平気」
繁殖期の動物はとにかく臭くて、食べられるような物ではないらしい。
けれど、春になっても雪解けが終わってない村では、食べるしかなかったよう。
ザラさんの故郷は、私が住んでいたフォレ・エルフの森よりも、ずっと過酷な場所だったのだ。
たくさん美味しい物を食べて、お腹いっぱいになってもらいたいけれど、材料が川鼈のみというのは、なかなか辛い。
「しかし、この魔棒の魔法は不思議ですね」
「ええ。どうして川鼈だけなのかしら?」
選べるのは、今日食べた物だろうか? それだったら、選択肢がもっといっぱいあってもいいはずだ。
朝食べたのは、燻製肉と冬根菜のチーズスープ。それから、ゆで卵に焼きたてのパン。
出勤前にはアメリアと果物を食べた。ザラさんから貰った焼き菓子も食べたし、リーゼロッテがくれたチョコレートも食べた。どれも美味しかったことを振り返る。
一日食べた物を思い出し、切なくなった。
「そういえば、お昼に川鼈の甲羅を魔棒グラで叩いた気がします」
「だったら、触れた食材を作りだせるようになるとか?」
「そうかもしれな――あ」
そういえば、この前隊長が魔棒グラで野兎を倒していたような。けれど、選択肢に野兎はなかった。
「ってことは、メルちゃんが直接触れた食材?」
「その可能性もありますね」
野兎肉があったらどんなによかったことか。よりによって、川鼈のみとか。
「今はありがたく、川鼈を戴くしかないわね」
「ええ」
私は意を決し、川鼈肉をナイフに突き刺す。
そのあとも……
「えんぺら、えんぺらは無理!!」
「じゅわっと、生臭さが口の中に広がって……えんぺらっ、ぐぬぬ!」
「ウッ、川の恵み、ありがとウッ!!」
「頑張れ、頑張れ私!!」
などと、声を上げながら、頑張って川鼈を食べきった。
ザラさんは終始お上品に食べていたけれど、死ぬほど不味い思いをしながら飲み込んでいたに違いない。こういう時に育ちの差が出てしまう。
お腹いっぱいにはならなかったけれど、飢えはしのげた。
ザラさんは足りなかっただろう。
「メルちゃん。もう、寝ましょう」
「はい」
交代で見張りをするらしい。
ザラさんは先に寝て良いと言ってくれた。
眠れるかどうか不安だ。布団もなければ枕もない。と、思っていたけれど――
「ぐう」
意識はあっという間に飛んでしまった。
◇◇◇
洞窟に差し込む陽の光で目を覚ます。
朝日が眩しい……。ん、朝日だと!?
「――うわ!!」
私は慌ててガバリと起き上がる。交代しなければいけなかったのに、うっかり一晩中眠っていたのだ。
「メルちゃん、おはよう」
「おはようございます、って、あの、すみませんでした!!」
平伏しつつ謝罪する。
「いいの。なんか、ぜんぜん眠れそうになくて」
「すみません、本当にすみませんでした」
「気にしないで」
「ですが~~」
だったらと、ザラさんは提案してくれる。
「今度、いつでもいいから、また肉団子のシチューを作ってくれるかしら?」
「はい、もう、喜んで!」
とびきり美味しい肉団子のシチューを作る約束をした。
肉団子の話をしていたら、お腹がぐうと鳴る。
「どうします?」
「私、考えたんだけど」
ザラさんは食糧確保案があるらしい。
「魔石の原石を熱するでしょう? それを、川に放り投げるの」
「なるほど!」
そうすれば、川の一部は沸騰状態となり、魚が水面に浮かんでくる。
普通の石ならば難しいけれど、魔石ならば上手くいくような気がする。
さっそく、手の平大の石をいくつか拾い、火の中に投下。すぐに真っ赤になる。
その中でも大きな石を、ザラさんは魔棒グラでかき出し、コロコロと器用に川のある方向へ転がしていった。
そして、どぶんと熱した石を川に落とす。
一瞬だけ、ゴポリと沸騰するような気泡が浮かんだ。
そして――
「うわ、凄い!」
魚が数匹、ぷかぷか浮かんできたのだ。
私はシャツを広げ、魚を掬う。全部で十匹獲れた。
「大漁です!」
「良かったわ」
ザラさんの作戦は大成功。
「よく、こういうのを思いつきましたね」
「実は、うちの村にある、古い漁の知識なの」
「そうだったのですね」
おかげさまで、まともな食料にありつけそうだ。
もう、臭い食べ物を口にしたくないので、腸はナイフで取り除いておく。
「あ、そうだ」
石鍋で焼く前に、魚を魔棒グラでポンッと叩いておいた。
「これで、魚が作れるようになればいいのですが」
「ええ、そうね」
魚は調味料などないので、そのまま石鍋で焼こうとしたが――
「ん?」
スラちゃんが魔法瓶の中でガタガタと震えていた。
何かを伝えたいのか。さきほど水は与えたので、空腹ということではないと思うけれど。
こんな風に震えることはないので、いったいどうしたのだろうかと。
わかるのは、危険を知らせる系のものではないということ。なんとなくだけれど。
「散歩に行っていないから、出して欲しいのでしょうか?」
「わからないわね」
でも、ガルさんがいないので、出さないほうがいいだろう。
ごめんね、スラちゃん。
手と手を合わせ、謝罪しておいた。
調理を再開させる。
石鍋に魚を並べ、ジュウジュウと焼いた。火力が強いので、すぐ焼ける。
石に身が付かないのは、魔石の原石だからか。かなり助かる。
こんがり焼けた美味しそうなお魚。
神様に祈りを捧げ、戴く。
ナイフで魚を解し、刃に身を載せて食べた。
「――ウッ!!」
身は柔らかく、口の中で解れて、そして、噛むとほんのりとした甘味が……。
「おいし~い!!」
獲れたての魚は、驚くほど美味しかった。




