魔棒グラ
ガタガタと震えながら、洞窟の中で陽の当たる場所にしゃがみ込む。
上下の下着は行き場が見つからなかったので、鞄の中に入れた。
騎士隊の制服は洞窟の入り口付近に干していた。これで、隊長達が見つけやすいようになるだろうと。多分、アメリアも探してくれるだろう。魔物との戦闘に勝っていたらだけど。
「それにしても、あの魔法を使う魔物、なんだったんでしょう?」
「わからないわ。でも、ここの魔力量が増えていることが、関係あると思う」
「ですよね」
皆、無事だといいけれど。
幸い、まだお腹は空いていないけれど、時間が経てば辛くなるだろう。スラちゃんは――大分落ち着いたようだ。魔法瓶の中で大人しくしている。
唯一、革袋の中の水は無事だったので、スラちゃんに与えておいた。
遠征中腐らないよう殺菌作用のある薬草入りの水なので、スラちゃんは緑色に変化した。……これ、大丈夫だよね。透明に戻りますようにと、祈るしかない。
「あ、ザラさん、頬が切れてる」
幸い、傷軟膏は無事だったので、衛生士の仕事をさせていただく。まず、傷口の血を綺麗に洗い流す。飲み水でもあるので、必要最低限の量で洗い流した。
「痛いですか?」
「え!?」
眉間に皺を寄せ、辛そうにぎゅっと瞼を閉じているのだ。
「すみません、回復魔法が使えたらよかったのですが」
「い、いえ、大丈夫だから! つ、続けて」
「はい」
濡れた頬を拭おうと、鞄から手巾を取り出しザラさんの頬を拭おうとしたが――フリルが見えてぎょっとする。
フリル付きの手巾なんぞ、遠征に持って来ているわけがない。これは――なんというか、その、強いて言えばパンツだ。
慌てて鞄の中に仕舞い込む。危なかった。危うく大変な物でザラさんの顔を拭ってしまうところだった。
改めて手巾を取り出し、頬を拭って傷薬を塗る。
「終わり?」
「いや、ちょっと待ってください」
ザラさんはまだ、瞼を閉じている。
辛そうな感じはなくなったけれど、まだ顔が赤いような。
解熱剤は粉薬だったので、溶けてなくなってしまった。
そこで思い出す。風邪を引いた時に、母がしてくれたおまじないを。それをしてもらえば、すぐに良くなったのだ。今思えば、あれは魔法だったのかもしれない。
楽になるかもしれないので、試してみる。
「ちょっと失礼しますね」
「え?」
ザラさんの前髪をかき上げ、額と額をくっつける。
「メ、メルちゃん!?」
「動かないでください」
母親が言っていた呪文を必死になって思い出す。
――かように骨のおれたぬも、打ち身の傷も治れかし、四肢の捻挫も癒えよかし。
骨子は骨に付けられよ、血汁は血へと戻されよ、肢体は四肢に付けられよ、しかと膠で付くが如
なんとか思い出せた。
顔を離し、ザラさんの前髪をちょいちょいと指先で綺麗に整える。
いいですよと言ったら、目を丸くしながらこちらを見ていた。
「これ、風邪の時に母にしてもらった、おまじないなんです」
「おまじない……」
「はい。すみません、こんなことしかできなくて」
「いいえ、ありがとう」
とても元気になったと言ってくれた。
◇◇◇
はてさて。応急処置は済んだけれど、依然としてガクブルと震えている。寒いのだ。
ザラさんは火を熾そうと頑張ってくれた。その辺で蔓を採って来て、石と石を打ち付ける方法を試したのだ。火花を発生させることには成功したけれど、蔓に燃え移らせることができなかった。多分、蔓が湿気ているのだろう。
「そういえば、メルちゃんのおまじないで思い出した」
ザラさんの村で火は命を守る大切な物で、十歳になれば発火魔法を習う。
「私も祖母に習ったんだけど、魔力の量が少なくて使えなかったのよね」
大人になったら魔力値も上がるので、じきに使えるようになると言っていたらしい。
「十五の時に村を出て以来、試していなかったんだけど」
ザラさんは拾った石を使い、地面に魔法陣を描く。
「これは古代語の呪文、『イグニス』。篝火という意味があるの」
円陣の中心に、三角形にゆらゆらと波打つ線が描かれる。
ザラさんは呪文を呟いた。
――発火せよ!
ボン! と音を立てて火が巻き上がる。けれど、一瞬で消えてしまった。
「やっぱり、ダメ、か……」
魔力の消費が激しいからか、ザラさんは額にびっしりと汗をかいていた。
私は鞄から手巾を取り出し――おっと、これはパンツ。本日二回目でイラッとしてしまい、遠くへと投げつけてしまった。
改めて手巾を取り出して、額の汗を拭ってあげた。
「大丈夫ですか?」
「ええ、平気。もう一度――」
「ちょっと待ってください」
私はナイフを取り出して一回ふうと息を吐き、手の平に刃を当てた。じわりと、血が滲み出る。
「やだ、メルちゃん、何を――」
「魔力は血に多く溶け込んでいるんです。私の血を媒介にすれば、きっと成功するはず。これを魔法陣に描くことに使っていただけますか?」
「なっ!」
早くしないと血が固まってしまうので急かした。
血の量が少ないので、先ほどよりも小さな魔法陣を描くザラさん。そして、呪文を口にする。
すると、ボッっと音を立てて、火柱を上げる炎。ごうごうと燃え盛り、消える気配はない。
「や、やった~~!」
ばんざいをして喜ぶ。ザラさんは、辛そうにしていた。
水分不足だろう。水の入った革袋を差し出す。
このようにして、なんとか火は確保できた。洞窟の中は一気に暖かくなる。
ザラさんの作った火はとても暖かく、震えることもなくなった。
「でも、メルちゃん。ああいうの、今回で最後にしてね」
「すみません」
自分の血を提供する突拍子もない行動は止めてくれと、やんわり注意されてしまった。
◇◇◇
それから、ザラさんとぼんやりと過ごすことになった。
倒れそうになるので、魔棒グラを杖代わりに強く握って座っている。
太陽は傾き、だんだんと暗くなっていった。
「隊長達、夜は行動しないだろうから、捜索再開は明るくなってからでしょうね」
「ええ、そうね」
気を紛らわすためにポツリ、ポツリと会話していた。
スラちゃんは外に出たそうにしていたけれど、ガルさんがいないので、魔法瓶の中で我慢してもらっている。
色は緑色から透明になったので、一安心だ。
あとは救出を待つだけ。
口には出していないけれど、お腹が空いた。
ぶよぶよパンは食べる気にはならない。川には魔物が棲んでいるのだ。そこに浸かったパンなんて、とても――。
けれど一応、パンは火の傍に置いて、水分を飛ばしている。
極限までお腹が空けば、食べることになるだろう。
「メルちゃん、その、大丈夫?」
「……」
ザラさんには言えないけれど、お腹空いたよ~~!!
あつあつのスープに、ふかふかのパン、脂滴るお肉に、ふっくら焼かれた魚。酢漬け野菜に、塩を振った炒り豆、干し肉……。
食べ物のことで、頭がいっぱいになる。
ああ、お昼にたくさん食べていればよかった。
夜にいっぱい食べようと思って、我慢なんてしなければ、今、こんなに飢えていないだろう。
ふやけたパンは食べたくない。
不味い物は嫌だ。
美味しい物が食べたい。
私は、私は――
ぐうと、お腹が鳴った。ザラさんにも聞こえただろう、恥ずかしい。
カッと、顔が熱くなったが。
「え?」
「んん?」
同時に声をあげる私とザラさん。
いつの間にか、目の前に黒い魔法陣が出現していたのだ。
「も、もしかして、魔棒グラの能力?」
グラは古代語で暴食という意味がある。
まさか、食べ物関係の能力?
私は魔法陣に浮かんでいる文字を読んだ。
「えっと……」
――食材を選べ
「うわ!」
食材を生み出す魔法陣?
私は震える手で、あとを追う。すると、選択肢のような円が浮かんできた。
食材名:タルタルーガ
「タルタルーガ……響きは古代語みたいですが、意味はわかりません」
「なんか、ちょっと聞いたことがあるような、ないような」
「そんな感じですね」
多分、これは食材を作り出す魔法なのだろう。
選択肢は一つしかないけれど、空腹なのでありがたい。
私は魔法陣に浮かんだ文字を押した。
魔法陣は光に包まれる。
同時に、襲われる脱力感。どうやら、自身の魔力を消費して作り出す仕組みらしい。
タルタルーガとは、どんな食べ物なのか。
ドキドキしながら光が退くのを待っていたら――
「んん?」
「あら?」
魔法陣の上にある食材を見て、呆然とする。
そこにあったのは、黒い甲羅を持ち、長い首と短い手足を持つ――川鼈。
まさか、食材ってこれなの? タルタルーガは川鼈という意味の古代語だったのだ。
一部抜粋
高橋輝和『古期ドイツ語の呪文における異教の共生と融合』




