蜂蜜レモン水
翌朝、休憩所に顔を出したリーゼロッテは、げっそりとしていた。
「おはようございます」
「おはよう」
どうかしたのかと聞けば、うんざりとした様子で話し始める。
「昨日の妖精、幻獣保護局に押し付けられたの」
「うわあ」
やっぱり、という言葉は呑み込んでおく。
「それで、お父様が家に連れて帰ってきて、家をめちゃくちゃにされて……」
「それはそれは。大変でしたね」
家を荒らされ、最終的に侯爵様が強制契約を結んだらしい。
今は侯爵様の膝の上で大人しくしているとか。
「あんなの、幻獣でもなんでもないのに……。お父様も満更じゃない様子でいるなんて」
親子の溝は、ますます深まっているようだ。
侯爵様は幻獣好きというよりは、可愛い物好きの可能性も……。白鼬はふかふかで見た目は愛らしい。性格は生意気だけれど。
侯爵様の監視のもとでは、悪さもできないだろう。それどころか、贅沢な生活ができるにちがいない。この契約はいいことだったのではと思う。
「妖精じゃなくて、幻獣が家に来てくれたらよかったのに……」
切なげに呟く。
悲しげな様子に気付いたからか、アメリアは珍しくリーゼロッテに近づいた。
『クエ?』
「え?」
普段、寄って来ることはないので、驚きの表情でアメリアを見た。
そして、私に通訳を求める。
「え~っと、『大丈夫? 私をモフモフする?』って聞いています」
「そ、そんな」
リーゼロッテは顔を真っ赤にしながら、頬に手を当てる。
「ほ、本当に、いいのかしら?」
「存分に撫でてあげたらいいですよ」
「はあ、夢みたい……」
リーゼロッテは慎重な手つきでアメリアの嘴の下の羽毛に手を伸ばす。
まずはそっと撫でるだけ。次第に指先を埋め、櫛で梳くように動かす。
リーゼロッテの撫で方が上手いのか、アメリアは目を細めて気持ちよさそうにしていた。
「あ、ありがとう。アメリア。とっても綺麗で、滑らかな羽毛だったわ」
『クエクエ!』
褒められて嬉しかったのか、「いつでもモフモフしていいよ!」と言っていることを伝えた。
「そんな……嬉しい……」
感極まって、涙を眦に浮かべるリーゼロッテ。そんなに喜んでくれるなんて。
――とほっこりするような交流をする私達を、羨ましそうに眺める人物の様子が、視界の端に映る。言わずもがな、ウルガスだ。
「リスリス衛生兵、俺も、なんか落ち込んでいます」
「はい」
「どうすればいいでしょうか?」
「え~っと」
アメリアを見る。ウルガスのほうを指差せば、ぷいっと顔を逸らした。
そして、止めの一言。
『クエクエ!』
曰く、「ウルガスはダメ!」とのこと。
伝えなくてもわかるのか、ウルガスはがっくりと肩を落とす。
「しかし、リスリス衛生兵とアメリアさんの意思の疎通は凄いですよね」
「契約の力ですよ」
耳からは『クエクエ』としか聞こえないが、意味が何となく伝わって来るのだ。リーゼロッテに聞いたら、契約を結んだ結果、可能となる場合があるらしい。
「ってことは、全員が全員、契約を結んだからと言って、喋っていることがわかるわけじゃないんですね」
「そうみたいです」
ザラさんは山猫のしゃべることはわからないと言っていた。契約といっても、いろんな形があるようだ。
始業開始を告げる鐘が鳴り響く。リーゼロッテ、ウルガス、アメリアと共に、執務室へと向かった。
本日は訓練を行う日だ。近接戦闘が不得手なウルガスは嫌そうな顔をしていた。リーゼロッテは自分もするのかと質問する。
「当たり前だ」
そう。この訓練はもれなく全員参加なのだ。女性陣はベルリー副隊長に習う。
騎士隊の訓練所を借りて半日行うのだが、これがきついのなんの。
「まさか、わたくしまで巻き込まれるなんて」
「これは対人の訓練なので、仕方がないですよ」
もうすぐ王都のお祭りがある。その時、遠征部隊である私達も警邏部隊の応援として駆り出されるのだ。
まず、訓練場を走って体を慣らす。
信じられないくらい足が遅いので、ガルさんに抜かれ、隊長に抜かれ――あっという間に周回遅れとなる。
「メルちゃん頑張って」
「はい~~」
ザラさんに応援され、その後、ベルリー副隊長に追い抜かれる。続いて、ウルガスがやって来た。
「リスリス衛生兵、大丈夫ですか?」
「……はい」
「頑張りましょう」
ウルガスはまだ余裕があるようで、颯爽と駆け抜けて行った。
『クエ~~』
「えっ!?」
なんと、アメリアにまで追い抜かれるとは。意外と持久力があるようだ。
しかし、今回、私よりも運動音痴がいることが発覚した。リーゼロッテだ。
走ったのは十五分ほどだったが、終わったあと顔を真っ赤にして、今にも倒れそうに見えた。
「リーゼロッテ、訓練は見学しますか?」
「いいえ、わたくしも、参加を……」
「では、少し休んでからにしよう」
私も初めて訓練に参加をした時、リーゼロッテと同じような脱水症状だった。まともに水分補給もしていなかったので、寮に帰ったら具合が悪くなってしまったのだ。
今日は前日から訓練を行うと聞いていたので、ある物を用意していた。
蜂蜜檸檬水!
これは水分補給をして、かつ健康になり、美容にも良い最高の飲み物なのだ。
蜂蜜は疲労回復効果があり、檸檬は代謝を促進し、染みや皺を防いでくれる。さんさんと太陽の光が降り注ぐ中で、ぴったりの飲み物だろう。
作り方は簡単だ。沸騰させた湯に蜂蜜を溶かし、塩を一つまみ入れる。熱が引いたら、皮ごと輪切りにした檸檬と絞った檸檬を投入し、混ぜて一晩冷暗所に放置。翌日、濾せば完成だ。生姜を入れて、温めて飲んでも美味しい。
「はい、どうぞ」
「いえ、喉は渇いていないの」
「でも、飲んでください。体は無意識のうちに水分を欲しているのです」
ベルリー副隊長も飲んだ方が良いと勧めてくれたので、リーゼロッテは瓶を受け取って栓を抜く。
「えと、何か注ぐ器は……」
「すみません、忘れました」
そのまま飲んでくれと言ったら、微妙な顔を向けられる。
「両手を器にして飲みますか? 手の平がべたべたになりそうですが」
「……まあ、瓶に直接口を付けるよりはましね」
両手を器のようにしたリーゼロッテの手に、蜂蜜檸檬水を注ぐ。
おお、指先の隙間から凄い零れている。もったいない。
「リーゼロッテ、早く飲んでください」
「え、ええ」
慌てて口を付けて飲むリーゼロッテ。瓶の半分ほどを飲んでもらった。
「どうでしたか?」
「慌てて飲んだから、味なんかわからなかったわ」
「そ、そんな」
私は瓶に口を付けてごくごくと飲む。うむ、美味い。
ベルリー副隊長からも「美味しく飲みやすい」と褒めてもらった。
アメリアにも飲ませようかと思ったけれど、器がないのでどうしたものか。
「だったら、わたくしの手を貸しましょうか?」
「いいのですか」
「ええ、もちろんよ」
なんという親切なお嬢様なのか。
リーゼロッテは地面に膝を突き、アメリアが飲みやすい高さに手の平を持って行く。
蜂蜜檸檬水を注げば、アメリアは尻尾を振りながら飲んでいた。
『クエ~~』
どうやらお気に召した模様。リーゼロッテにも、優雅に頭を下げながらお礼を言っていた。なんて律儀で品のある鷹獅子。年頃になれば、周囲は放っておかないだろう。
休憩を経て、訓練を開始する。
男性陣はすでに開始していた。ガルさんが隊長を投げ飛ばす様子を見て、「お~」と感嘆の声を漏らす。
「やだ……。わたくし達もああいうの、しなきゃいけないの?」
「いや、覚えてもらうのは基本的な体術だから安心してほしい」
まず、ベルリー副隊長は人間の急所について説明した。
「上から、まず、こめかみ。ここに衝撃を受けると、平衡感覚を失う。次に、乳様突起。耳の後ろにある突起した骨だが、これも攻撃を受けると平衡感覚が狂う。あと、顔面では人中という、唇と鼻の間にある部位。ここを打つと呼吸困難になる。あとは顎、強く打てば失神する」
この辺は打ち所が悪くなると、生命の危機に繋がるので、攻撃するのは最後の手段にするように言われる。
他にも数か所、急所を伝授してもらった。
「まあ、二人の様子を見ていたら、体術などあまり向いていないだろう」
「どうすれば、上手く対処できるのでしょうか?」
「そうだな――」
ベルリー副隊長は隊長がいる方向を見る。
ああいう大柄の男性が暴れ回っていたら、拘束することは不可能だろう。そう思っていたが――
「一つだけ、方法がある」
私とリーゼロッテ、アメリアは、固唾を呑んで話を聞いた。
ベルリー副隊長は遠い目をしながら、語り始めた。
「金的だ」
「あ~~」
「え、なんなの?」
確かに、隊長でも、そこを攻撃すれば一発で沈むだろう。
金的の部位がどこかわからないリーゼロッテのために、ベルリー副隊長がはっきりと伝えた。
「……えっ、そうなの? し、知らなかったわ」
眼鏡の位置を直し、頬を赤らめながらちらりと隊長を見るリーゼロッテ。
「私にも、隊長を倒せるのね」
体術に関して絶望的な様子を見せていたリーゼロッテだったが、自信が付いたようだ。
「あの、一度だけ、隊長相手に技を試してみることはできるかしら?」
リーゼロッテの質問に、ベルリー副隊長がすっと目を細めながら答える。
「……気の毒だから、それは容赦してやってほしい」
パチパチと目を瞬かせ、「凄い技なのね」、と呟くリーゼロッテだった。




