メープルシロップパン
アメリアは地面を蹴ると、ふわりと飛び上がった。
『――クエエエエッ!!』
バサリ、バサリと羽ばたき、こちらへ近付いて来る。
空を飛べたなんて、びっくりだ。拘束されているのも忘れて、「凄い、アメリア凄い! 空、飛んでる!」と叫んでしまった。
飛んで接近したアメリアは、蔓に噛み付く。
『クエックエ!』
「貴様、何奴!」と叫んでいた。ビクリと、蔦が震えるのがわかった。
「――メル、アメリア、動かないで! 一瞬だけ」
リーゼロッテの叫びを聞き、体をピンとさせる。
アメリアは退避していた――その刹那、ヒュンと風を裂く音が聞こえた。ドスリ! と木の幹に何かが刺さる。体を捻り、視線を音がしたほうへと向ければ、矢が蔓を貫通し、木に刺さっていたのだ。これは、もしかしなくてもウルガスの矢だ。
その後、続け様に矢は放たれ蔓は千切れる。
ウルガス、さすがだ。と、感心していたら突然、締められていた手足と胴が自由になった。
「――ぎゃっ!」
『クエエ~』
落ちる! と思ったけれど、アメリアが私の体を受け止めてくれた。
空中で上手く跨ることができなくて、妙な姿勢のまま落下。アメリアをクッション代わりにしてしまう。申し訳ない。
さらに、そこそこ勢いがあったので、ごろごろと地面を転がった。
「メル!」
「リスリス衛生兵!」
ウルガスとリーゼロッテに支えられて起き上がる。
その脇を、ベルリー副隊長が走り抜けた。
どうやら、笑い蔓は完全に倒したわけではなく、逃げられてしまったらしい。
足の速いベルリー副隊長が追い、ガルさんもあとに続いていた。
灰色狼の討伐は完了したようだ。
「あ、うわ……」
放心状態であったが、アメリアが心配そうに顔を覗き込んできたのでハッとなる。
「アメリア、あなた、凄い! 空、飛べるようになったんですね!!」
『クエクエ~!』
アメリアは再度、地面を蹴って翼をはためかせる。すると、ふわりと浮かんだ。くるくると、私の頭上を旋回している。
良かった。一度は折れてしまった翼だけれど、空を飛ぶことはできたのだ。感激して、目頭が熱くなる。
アメリアの翼を治療してくれた侯爵様には、お礼を言いに行かなければならない。
本当に嬉しい。
地面に降り立ったアメリアを、ぎゅっと抱きしめ、羽毛に顔を埋めた。
『クエ~』
「助けてくれて、ありがとうございました」
『クエ!』
アメリアは「いいってことよ!」と言っていた。ウルガスにも、お礼を言う。
顔を上げると、ザラさんが近付いてきていた。
「メルちゃん、大丈夫だった?」
「あ、はい、おかげさまで」
「良かった……」
い、いや、良かったのか?
私はザラさんの斜め後ろに視線を移し、ぎょっとしながら思う。
そこには、血まみれの剣を手にした隊長が、いつもより怖い顔で立っていたのだ。
「おい、ザラ」
隊長はザラさんの肩を掴み、振り返った瞬間に頭突きをかます。
が、ここで想定外の事態となった。
頭をぶつけたほうの隊長が額を押さえ、苦悶の声を漏らしたのだ。
「――っ、痛ってえなあ、この石頭!」
隊長よりもザラさんのほうが、頭は固かったらしい。ちょっと笑いそうになったけれど、唇を噛んで我慢した。
「くそ……」
「ごめんなさい、頭が固くて」
「お前、何食ったらそんなに頭が固く……って、そうじゃねえ!」
ザラさんは私が笑い蔓に捕えられてしまった瞬間、灰色狼から目を離した。それは、命取りになる行動だったのだ。
「次に、こういうことをすれば、お前は第二部隊から脱隊してもらう」
「ええ、わかったわ。二度とないように、気をつけるから」
隊長はバン! と、ザラさんの肩を叩く。「頼むぞ」と、脅すように言っていた。
次に、私に怖い顔を向けた。
「リスリス、お前は――」
顔が怖すぎる。多分、今までの中で一番恐ろしい。
額にぶわりと嫌な汗が浮かび、心臓がバクバクと鳴っていた。
「気を付けろ」
「は、はい」
怒鳴られる覚悟を決め、隊長を見上げていたが、お小言はそれだけだった。
シンと、静かな森に戻る。
隊長は地面を掘って、灰色狼の骸に土を被せていた。ザラさんも手伝う。
安心したからか膝の力が抜け、その場に崩れ落ちてしまった。
『クエクエ!』
今度はアメリアが体を支えてくれた。
「す、すみません」
『クエクエ~~』
灰色狼との戦闘からの、笑い蔓に囚われるという一連の出来事は、私の図太い神経をゴリゴリと削いでくれたのだ。
「隊長、この蔓、なんだかわかります?」
ウルガスは木に登り、矢に刺さっていた笑い蔓を引き抜いてきたようだ。
蔓の太さは成人男性の親指くらい。色は黄緑。棘などはなく、断面は外皮と同じ色をしていた。動きだしたり毒などがあったりしたら大変なので、蔓は瓶の中に入れて、聖水漬けにする。
「怪植物の蔓とは違うような気がする」
かの、根菜系魔物の蔓は濃い緑色だったらしい。そして、中身はゼリー状のようになっていたとか。今回の蔓とは、見た目と中身が違っていた。
「リスリス衛生兵、何か、蔓の先にある物とか見えなかったですよね?」
「すみません、宙づりにされていて、いまいち状況が把握できず」
「ですよね」
すぐ下にいたリーゼロッテやアメリアも、蔓しか見えなかったらしい。深まる謎。
瓶の中の蔓を囲み、ああじゃない、こうじゃないと話していたら、ベルリー副隊長とガルさんが戻って来る。
追跡したが、見つけることはできかなったらしい。
「逃げた方向は把握している。しつこく探すしかないだろう」
キリッとした顔で隊長は言っているけれど、どうしてこの任務を一日で終わるかもしれないと口にしたのか。理解に苦しむ。まあ、怪植物の仕業だと思っていた可能性は高いけれど。
一度道を戻り、先ほど通過した森の少しだけ開けた場所に向かう。ベルリー副隊長が私達へ指示を出す。
「リスリスとリヒテンベルガー、アメリアはこの場に待機」
「わかりました」
「了解」
『クエ!』
リーゼロッテが結界を張ってくれるので、心配はないだろう。
どうせ、ついて行っても足手まといになる。
私とアメリア、リーゼロッテを残し、隊長達は笑い蔓の再捜索に向かった。
ちょうど、リーゼロッテが結界を張った辺りに、樹液楓があった。せっかくなので、樹液を採取することにした。
ナイフで数回切りつけると、じわじわと蜜が溢れる。
ヘラで掬い、瓶に垂らす。地味な作業を繰り返した。
一時間ほどで、瓶が満たされる。若干木くずなどが浮かんでいるけれど、濾す道具がない。
「それ、どうするの?」
「暇なので、煮詰めてみようかと思いまして」
「ふうん」
その辺にあった石を積み上げ、簡易かまどを作る。この前作った泥炭燃料を入れ、リーゼロッテに火を熾してもらった。
かまどに鍋を置き、採れたての樹液を入れた。
ぐつぐつと音を立てて煮立つ樹液。ふわりと、甘い香りが漂う。
しばらく煮込めば、樹液は煮詰まって無色から琥珀色に変化していった。
三十分ほど煮込むと、キラキラと輝く蜜が完成した。
「では、お昼にしましょうか」
「そうね」
隊長達はパンと干し肉を持って出かけた。多分、どこかで食べているだろう。
時計を見ると、お昼は疾うに過ぎていた。蜜の色の変化を見るために、鍋の中を時間を忘れてぼんやりと見入っていたのだ。
アメリアは鞄を漁り、干し果物の入った革袋を探し当てていた。
私は丸いパンを取り出し、切り分ける。
そして、できたての蜜をたっぷりとパンに塗って頬張った。
「う~~ん!」
煮詰める前の物より、コクがあって、甘味に深みが増していた。香ばしさもさることながら、鼻に抜ける香りがたまらない。
ふかふかのパンとよく合う。甘いのにくどくなく、何枚でも食べられそうだった。
甘いパンのあとの、しょっぱい干し肉もまた美味しい。
普段は一枚食べたら満足するのに、続けて三枚も食べてしまった。
リーゼロッテも気に入ったようで、王都に帰ったら買いに行くと張り切っていた。
金貨一枚の蜜を、本気で購入検討しているらしい。恐ろしや。
樹液を煮込んだ鍋に水を入れて、沸騰させる。洗いに行けないので、これで綺麗にするのだ。
しかし、これも良い香りがする。
カップに注いで飲んでみれば、ほのかな甘みがするお湯だった。これはこれで美味しい。
アメリアも飲むというので、注いであげた。
ふうふうと冷ましながら飲む様子は、可愛らしいの一言だろう。
「それはそうと、隊長達、大丈夫ですかね」
「あの人達が負けている姿、想像できないけれど」
「確かに」
それでも、どうか無事に帰ってきてほしいと、祈りを捧げる。
それから一時間後に、隊長達は戻って来た。
「――酷い目に遭った」
珍しく、ベルリー副隊長が疲れた様子で漏らす。
「え?」
「あれって――」
隊長の手には、驚く物が握られていた。




