メープルシロップ
馬車の操縦者が隊長に交代となり、目的地の森まで走る。
休憩所から一時間ほど走ると、森の管理者の小屋に到着した。
まず、管理人に話を聞く。
小屋から出て来たのは初老の男性。ここには樹液が豊富な木がたくさん生えているらしい。商人がやって来て管理者にお金を払い、蜜を採取しているとか。
樹液は冬から春先にかけて糖度を増す。今の時期が絶好の収穫期なのだ。けれど、笑い蔦騒ぎで商人は寄り付かなくなった。
「笑い蔓は商人を襲い、所持物を奪って逃走するんです」
目的は謎。奪った荷物も見つかっていないらしい。
形状は細長い蔓状で、全体的な形状は謎。地面を這って現れるらしい。
「あの~、一つ質問なんですが」
ウルガスが挙手して質問する。なぜ、『笑い蔦』と言うのだと。
「それはですね、笑い蔦は自身の蔓で攻撃対象を縛り――こしょこしょとくすぐるのです」
「あ~、なるほど。ありがとうございます」
なんでも、魔物図鑑に登録されていない種類らしい。
「だから、魔物研究所の局員が前のめり気味に情報提供を求めていたのか」
隊長は朝の定例会議の帰りに、魔物研究所の局員に詰め寄られたらしい。なんたる不幸。
「そういえば、後日別件で話があるとも言っていたな。局長直々に」
嫌な予感しかしない。
きっと、皆同じことを考えているだろう。
「あの、騎士様、よろしかったら」
小屋を出て行こうとしたところ、瓶とナイフ、ヘラを手渡される。
「これは?」
「樹液を採取する器具一式です」
ナイフには呪文が書かれている。これで木を切り付ければ、樹液が溢れてくるらしい。
「ここの木々は魔法使いである領主様が管理されておりまして、樹液は魔法のナイフでないと、採ることができないんですよ」
「なるほど」
凄い魔法だ。
なんでも、ここの土地の所有者は代々魔法使いで、独自に販売することにも興味を示さなかったが、研究費が稼げるという助言を受け、十数年前から商人と取引をするようになったらしい。
「よろしかったら、樹液を味見なさってください。とっても美味しいので」
ちなみに、ここの樹液は高級品として流通しており、ひと瓶金貨一枚もする。
それを聞いたら、是非とも味見をしたい。
「樹液……初めて食べます」
「パンケーキに垂らして食べるのが一番ですねえ」
「いいですね、美味しそうです」
樹液は一度濾して、煮詰めて蜜状にするらしい。
綺麗な琥珀色になれば完成だとか。
「そのお色は本物の琥珀よりも美しく――」
「へえ」
うっとりしていたら、隊長から釘を刺される。本来の目的は樹液の採取ではなく、笑い蔦の退治であると。
「わかっていますよ!」
手にしていた魔棒をとんと床に叩き付け、表情をきりりとさせる。
「お前、いくら良い装備を持っているからといって、戦闘になっても前に出るなよ」
「了解であります」
敬礼をしながら良い返事をしたのちに、森の中へと進んでいく。
◇◇◇
森の中はうっすらと雪が降り積もっている。吐く息は白く染まり、指先はかじかんでいた。
「アメリア、大丈夫ですか? 寒くないです?」
『クエ~』
アメリアの装備は頭巾と朝もらった手巾、ザラさんお手製のマントのみ。羽毛がもふもふなので寒くないらしい。
蜜が採れる木は樹液楓という名前で、黄色い幹が特徴だ。今は散っているけれど、手の平のような葉を付けることが特徴らしい。
さっそく発見。
「おい、リスリス。この木の蜜を舐めたかったんだろう。ちょっと切ってみろよ」
樹液が気になって任務に支障が出るからと、隊長は樹液の味見の許可を出してくれた。
任務よりも樹液を優先するように見えていたなんて。ちょっと酷い。けれど、せっかくなので、味見をしてみることに。
呪文が刻まれたナイフで幹を傷つければ、じわりと樹液が溢れてくる。樹液はヘラで掬った。
見た目は意外とサラサラしている。色も無色だ。煮詰めるとトロトロになるのだろう。
指先で掬って舐めてみる。
「――わっ、甘い!」
濃厚な甘さがあり、柔らかな風味が口の中に広がる。樹液の香りが良く、上品なカラメルのようだった。
皆も、口にしては驚いた表情を浮かべていた。
是非とも採取して、料理に使いたい。
「満足か?」
「はい、ありがとうございます」
採取はまたあとで。調査を再開する。
「それにしても、地面を這う蔦って、謎ですねえ」
ウルガスが呟く。
蔓系魔物で有名なのは大根に似た怪植物。頭上から蔓を生やし、敵を締め付ける攻撃をしてくるとか。
でも、報告書によれば怪植物を目撃した人はいないらしい。皆、実体が見えない蔓が地面から這って現われ、拘束されてくすぐられるという攻撃を受けたとか。
「クエ!」
「ん?」
アメリアが言う。「敵接近!」と。
耳を澄ませば、前方から四足獣の足音が聞こえた。ガルさんは気付いていたようで、隊長に数を報告していた。
ベルリー副隊長が叫ぶ。
「――総員戦闘態勢を取れ。リスリス衛生兵はリヒテンベルガー魔法師、アメリアと共に後方待機せよ」
皆、魔物を迎えるために武器を構える。
襲いかかって来たのは――灰色狼。アメリアよりも一回り大きく、額には角が突き出ていた。数は十。群れだろうか。若干多い。
『クエエ!』
アメリアは私とリーゼロッテの前に立ち、翼を広げる。どうやら守ってくれるようだ。
「リスリス衛生兵、背後にも注意しておくように」
「了解です!」
ひと際大きな狼が低い声で鳴いたのは、群れの統率者だろう。すると、次々と勢いよく飛びかかってくる灰色狼。
隊長は大きな黒剣を振り上げ、灰色狼を迎え討つ。あいさつ代わりに鋭く重い一撃を食らわせていた。薙いだ首が胴から離れて宙を舞い、あとを追うように滴っていた血が孤を描く。
ガルさんは次々と飛びかかって来る灰色狼に一撃を与え、ふらついている隙にベルリー副隊長は首を双剣で裂く。
隊長、ガルさん、ベルリー副隊長を掻い潜った灰色狼はザラさんが一刀両断する。
ウルガスは後方で様子を窺っていた灰色狼の統率者に向けて矢を番え、射った。見事、角の下に鏃を命中させる。
「私の出る幕はなさそうね」
「ええ、強いんですよ。皆さん」
『クエ~』
あまりにも強すぎるので、私は油断していた。
上から忍び寄る、蔓の存在にも気付かずに、後方ばかり気にしていたのだ。
「――へ?」
くるくると、腰に何かが巻き付く。
『クエエエ!!』
「え、メル、嘘っ!?」
「ぎゃあ~~!」
気付いた時には、木の上に引き上げられ、宙ぶらりんになっていた。
私の腰に巻きついている何かは、笑い蔓だ。まさか、上空から襲ってくるなんて。
「やだ、メルちゃん!」
「ザラ、戦闘に集中しろ!!」
私のせいで隊長に怒られるザラさん。申し訳ない。
それにしても、恥ずかしい。真っ逆さまに吊るされているので、外套は捲れ、ズボンを穿いた脚が剥き出しになっている。さらに手足にも、くるくると蔓が巻き付いた。
「待っていなさい、メル。私が助けてあげ――」
「待て、リヒテンベルガー魔法師! 魔法は撃つな!」
今度は、ベルリー副隊長の注意がリーゼロッテに飛んでくる。
一度、大炎上した悪制球魔法を目の当たりにしていたからだろう。私も、ちょっと怖い。
「ウルガス、リスリスの救助を頼む」
「了解しました!」
隊長はウルガスに指示を出す。申し訳ないの一言だった。
助けていただくまで大人しくしているつもりだったけれど、二本目の蔓が私に襲いかかってきた。
「――へ!?」
蔓はするりとシャツの合わせ部分から入り込み、素肌へと触れる。
そして、お腹を撫でるように動きだし。
「あひゃ、あはは、やっ、はははは!」
緊張感に満ちた森の中で、私の笑い声だけが空しく響き渡る。
くねくねと動く蔓。手足を拘束されている状態なので、抗えない。
蔓の行動はそれだけではなかった。
「あははは、えっ、うわっ、ひゃあ~~!」
左右にぶらぶらと、揺れ始めたのだ。
多分、ウルガスの攻撃を回避するためだと思われる。
くすぐったいし、目は回るし、もう、ダメ――
意識を失いそうな中で、アメリアの咆哮を耳にする。空気がびりびりと震えるような、低い鳴き方だった。
『クエエエエエエエ!!』
バサリと、大きな羽音が聞こえた。




