塩豚と豆のスープ
なんでも、非火山性の温泉が湧いているらしい。これは、雨水が地中に染み込んでできた地下水脈が、地熱によって温められてできた物だとか。
「草原の中に湯気が漂っていたので、何かと思って近づけば、温泉だったのだ」
「おお……!」
なんて素晴らしい発見。
昨日と違い、今日は晴天だ。きっと、青空の下でお風呂に入るなんて、気持ちいいだろう。
「リーゼロッテさんも行きますよね?」
「温泉って、天然のお風呂なのよね?」
「そうです」
「外と隔てる仕切りみたいな物は――」
「ないです」
顔が引きつるリーゼロッテさん。
「でも、温泉なので肌がツルツルになりますし、こびり付いた泥も落とせてすっきりしますよ」
「けれど、はしたないわ」
「そうですか。残念です」
アメリアも行くかと聞けば、『もちろん』と答える。
踵を返そうとすれば、ぐっと肩を掴まれる。
振り返れば、顔を真っ赤にさせているリーゼロッテさんが。
「やっぱり、行くわ」
「わかりました」
なぜか、蜂蜜を要求される。
「もしかして、美容に使うのですか?」
「そんなことするわけないでしょう」
肌に塗って新陳代謝を促す美容法かと思ったけれど、違うと言われた。
「蜂蜜で結界を張るの」
どうやら、魔法の媒介に蜂蜜を使うようだ。場所が草原なので、自然と関わりのある物が必要なのだとか。
結界を張れば、外から覗けないようになるらしい。非常に便利だ。
「というわけだ。入浴中の見張りは不要だな」
ベルリー副隊長は誰かに見張りを頼むつもりだったようだ。
ウルガスが「残念です」と発言していた。にやけもせずに堂々と言っていたからか、逆にいやらしさを感じないのが凄い。
そんなわけで、私達は温泉へと向かう。
「アメリア、結構泥だらけですね」
『クエ~』
お風呂に浸からせたことはないけれど、羽根の奥のほうまで汚れているので、可能ならば丸洗いしたい。どうだろうか? リーゼロッテさんに聞いてみる。
「問題ないと思うわ。耐性あると思うし。嫌がらなければ大丈夫」
「そうですか。ありがとうございます」
さすが専門家だ。子育ての悩みが一瞬で解決するのは非常に助かる。
歩くこと一時間。湯気が上がる草原温泉に到着した。
温泉の色は乳白色。匂いは薬草っぽい。お湯はサラサラしていて、肌への刺激もない。
早速、リーゼロッテさんは蜂蜜を取り出し、魔法陣を描き始める。
惜しげもなく地面に垂らされる蜂蜜。あとで買って返してくれるらしいのでいいけれど。
詠唱と共に、組み立てられる結界。
温泉を取り囲むように、光の柱が空へと上がっていく。
結界は透明になったが、外からは覗き込めないようになっているらしい。
「これでよしっと」
「リーゼロッテさん、お疲れ様です」
「ええ、よろしくってよ」
準備が終わった。まずは体にこびり付いた泥を落とさなくては。
無表情で服を脱ぐベルリー副隊長と、ためらうリーゼロッテさん。対照的な二人だ。
私は時間がもったいないので、サクサクと脱ぐ。
「リーゼロッテさん、何を恥ずかしがっているのですか。この前も一緒に入ったでしょう?」
「あ、あれは、仕事だったから」
リーゼロッテさんがもだもだしている間にも、ベルリー副隊長はどんどんと服を脱いでいく。
ふと見れば、ベルリー副隊長が胸に包帯を巻いていたので、ぎょっとする。怪我でもしているのかと聞けば、そうではないと否定する。
「邪魔だからこうしているだけで、負傷しているわけではない」
「邪魔……?」
意味が解らず、包帯を取り外すベルリー副隊長をじっと眺めてしまう。
その下にあったのは……うん。
そうか……ベルリー副隊長、そうだったのか。そんなご立派な……。
自分の物と見比べ、切なくなる。瞼を閉じて、気分を落ち着かせた。
ぼやぼやしているうちに、先にベルリー副隊長が湯に浸かる。
「ふむ」
「どうですか?」
「実に面白い」
なんでも、温泉の底はぶよぶよの泥らしい。湯の上はサラサラだけど、下にいくほど、とろりとした泉質になっているとのこと。
ならば、泥は落とさなくてもいいかと思い、そのまま湯に浸かった。
「ひやぁ~~、温かくて、気持ちいいですね」
「ああ。生き返るようだ」
アメリアはどうだろう。
湯を覗き込んでいたので、爪の先にかけてみる。
『クエ?』
「湯加減はどうですか?」
『クエ~』
問題ないらしい。手を差し出せば、どぷんと浸かる。
『クエ~、クエ~』
気持ちいいらしい。スイスイ泳ぎながら、温泉を堪能していた。
リーゼロッテさんはアメリアが入ったのを確認すると、服を脱ぎ始める。
相変わらず、出るところは出て、引っこむところは引っ込んでいる、素晴らしい体つきをしていた。
リーゼロッテさんは、手巾で体を隠しながら、恐るおそる湯に浸かる。
「――あ」
ほんのりと頬を染め、息を吐いている。
どうやら、お気に召してくれたようだ。
それにしても、意外な事実が発覚する。
――胸って、お湯に浮くんだ……。知らなかった。
世界は不思議で溢れている。
ベルリー副隊長とリーゼロッテさんの御乳を見ながら、しみじみ思った。
湯を手で掬い、じっと観察する。匂いは薬草のよう。
周囲の草木の成分が溶け込んだ、天然の薬草湯なのだろう。荒れていた手先が良くなるように、しっかりと擦り込んでおく。
パシャパシャと、アメリアが温泉を泳ぐ音だけが聞こえる。
皆、喋らずに、ゆったりのんびりと、温泉を堪能していた。
体が温まれば、湯から上がる。
水分を拭き取り、綺麗な服に着替えた。アメリアの体も丁寧に拭き取る。
「いやあ、さっぱりしました」
温泉は最高だ。近くにあれば、毎日通いたい。
リーゼロッテさんは実家に温泉を引きたいと言っていた。侯爵家のご令嬢が言えば、実現しそうで恐ろしい。
「それか、ここに温泉地を作るの。幻獣温泉……」
幻獣饅頭を作り、世に幻獣の素晴らしさを伝える観光地にしたいと、熱く語るリーゼロッテさん。野望は尽きないようである。
体がさっぱりすれば、食事の時間にする。いろいろと材料を持って来ていたのだ。
石を積んでかまどを作り、鍋を置くまでは良かったが、肝心の固形燃料を忘れてきてしまったことに気付く。
「ふ、不覚!」
リーゼロッテさんの魔法は調理に使えない。小さな火を維持するのは難しいことらしい。
お腹は空いている。パンなどはあるけれど、なんだか温かい物を食べたい気分だったのだ。
「そういえば、ここの泥は燃料になるとザラが言っていたような」
「そうでした!」
しかし、泥は水分をたくさん含んでいて、ぶよぶよだ。
ちらりと、リーゼロッテを見る。
「私の魔法で土の水分を飛ばせと?」
「可能ならば」
揉み手、擦り手でお願いをする。
太っ腹なリーゼロッテさんは、私の願いを快く引き受けてくれた。
杖を握り、早口で唱えられる呪文。
――大爆発!
ドカ~ンと、遠くで爆発が起こった。想定外の規模に、目を剥く。
「あれくらいで足りるかしら?」
「……十分過ぎるほどに」
こうして、私は遠く離れた場所にある泥炭を取りに行くことになった。
気分を入れ替えて、調理に取り掛かる。
リーゼロッテさんが作ってくれた泥炭はよく燃えていた。
作るのは、シンプルなスープ。
塩漬け猪豚で出汁を取り、その辺で摘んだ香草を入れる。途中で炒った豆を入れ、味を調えてひと煮立ち。
豆が柔らかくなれば、完成だ。スープを器に注ぎ、薄く切り分けたパンを配る。
アメリアの前には、果物を並べた。
食前の祈りを捧げ、食べ始める。
アメリアは器用に爪で果物の皮を剥いていた。上手くなったものだと、感心する。
その様子をじっと眺めるリーゼロッテさんに気付いたアメリアは、果物いる? と尋ねるかのように、『クエ?』と鳴いていた。優しい子だ。
「リーゼロッテさん、食べましょう」
「え、ええ、そうね」
スープを一口。猪豚の出汁はこってりしている。それが疲れた体に沁み入るようだった。
しょっぱさもちょうどいい。
塩漬け豚は脂身がプルプルしていて、舌の上で蕩ける。
ホクホク食感の豆も美味しかった。
リーゼロッテさんが作ってくれた燃料のおかげで、美味しい食事にありつけた。
満足である。