猪豚の干し肉
ウルガスと共に、市場に買い出しに向かう。
実は、王都の市場は初めてなので、ドキドキしていた。スリも多いというので、お財布には紐を付けて、胸の前で握りしめている。
「リスリス衛生兵、大丈夫ですよ。騎士の財布をスル輩はいません」
「わからないので!」
人の物を盗む奴なんて、追い詰めた精神状態なので何をするかわからないのだ。用心に越したことはない。
それに、財布の中身はいつか使おうと貯めておいた、ご近所さんの帳簿を代わりにつけて稼いだお金が入っている。ひと時も離したら危険だと思った。
騎士隊の駐屯地から徒歩三十分くらいで王都の市場に到着する。
天幕の下に台を置いて商品を陳列させていた。
ずらりとお店が並んだ様子は圧巻の一言。
「凄いですね」
「お祭りの時は身動きが取れないほど混みますよ」
「ひや~~」
そこを巡回しつつ警備することになるらしいので、大変だと思う。
「あ、祭りの時は人手不足になるので、遠征部隊の俺達も駆り出されますよ」
「そ、そんな……」
私なんてぎゅうぎゅうに押されて肉団子になってしまいそうだ。
そんな話をしているうちに、市場の中へと入って行く。
まずは雑貨のお店が並んでいるようだ。
陶器のカップが所狭しと並べてあるお店は、植物や動物の絵が描かれていて、とても可愛い。そういえば、自分専用のカップを持ってないので、欲しいと思った。今は勤務中なので、買うのはお休みの日だけど。
次のお店はペンが綺麗に並んであるお店。花模様が彫られたペンの美しいことといったら! これも、欲しくなってしまう。インクも黒以外にたくさんあって、どんな色なのか気になってしまった。
次の通りはお花屋さんが出店している。
フォレ・エルフの森でよく自生しているお花が高値で販売されており、飛ぶように売れているので、私もここで商売できそうだと思ってしまった。
お隣はパン屋。香ばしいバターの匂いが堪らない。
山のように陳列される様子は圧巻の一言。
チョコレートやカスタードクリームなど、甘いパンもあるとか。そんなの食べたことないので、猛烈に気になってしまうが今は仕事中なのでまた今度。
「あ、保存食用のパンも買わなきゃですね」
パンはさすがに手作りではなく、買った物を薄くスライスして乾燥させていたらしい。
今まで、カビが生えていなければ食用としても問題ないという判断をしていたらしい。
乾かせば保存可能という考えをどうにかせねばと思った。
「リスリス衛生兵、保存食用のパンでオススメはありますか?」
「多分、ここにはないと思います」
普通のパンの保存期間は長くて二週間ほど。
けれど、私の知るパンは三ヶ月ほど保つ。
フォレ・エルフの森は、年に一度大雪が降る。そうなればかまどの温度が上手く上がらず、パンも焼けなくなるのだ。なので、大雪に備えて一ヶ月分のパンを焼く日があるのだが、その時だけ特別な天然酵母を使って作られる。
「特別な、天然酵母ですか」
「はい」
長期保存可能なパンは酸っぱい物が多いけれど、うちの村特製のパンはふんわりとした口溶けで、あまり酸っぱくない。雪の日はこのパンを食べる日を楽しみにしていたほどに美味しいのだ。
「へえ、そうなんですね」
「はい。村では、十五になれば天然酵母作りに森の外にある村に行くんですよ」
それを嫁入りまで種つぎをして、育てていく。だが、私の天然酵母は嫁入り道具にならないと思われる。なんとも切ない。
幸い、三年物の天然酵母を放置できず、ここに持って来ているので、パンはいつでも作れる。
「というわけで、パン作りも任せてください」
「それはありがたいです。酸っぱいパンはなるべく避けたいので……」
「ですね……」
あのパンの硬さと、独特な酸っぱさは忘れない。
酵母の酸っぱさだけだったらいいけれど。いやいや、お腹を壊さなかっただけ良しとしよう。
「そういえば、天然酵母作りにでかけるって、村では作れない物なのですか?」
「そうですね。村の天然酵母は産まれたての仔牛が初乳を飲んだあとの腸内物質が必要になるんです。家畜は飼っていないので、外に取りに行かないといけないんですよ」
「へえ、仔牛の腸内物質。そんな物で天然酵母が作れるんですね~」
「はい。保水性と防腐性、防菌性のある美味しいパンなんですよ」
家畜農家さんは森で採れた木の実や茸などと交換で、仔牛の腸内物質を快く提供してくれる。
ただ、酵母の管理が大変で、気付けば駄目になっていたということも少なくない。村では地下に穴を掘って、大切に保管している。
幸い、寮の食堂には大きな地下倉庫があるので、そこに置かせてもらっていた。毎日見守っている物なので、遠征から帰ってきた時にきちんと生きているか心配だったけれど、問題ないようだった。
ふっくら柔らかで、長期保存を可能にするパンの秘密は酵母と乳酸菌の共生にあるのだ。
整腸作用や免疫力向上などの効果もあり、健康にも良い。
ただ、パン生地が通常のパンよりも柔らかく扱いにくい。なので、村の女性は面倒に思って作りたがらないのだ。
私はそこまで苦手ではないので、一ヶ月に一度作るくらいならば、別に問題はない。
「では、楽しみにしていますね」
「ええ、ご期待を」
次に通りかかった甘い香りが漂うお菓子屋さんは食べたくなるのでなるべく見ないようにして通過し、青果、瓶詰め、乾物とさまざまな店の前を通り過ぎて行く。
食料街の端が肉屋となっている。
いろんな種類のお肉が店先に吊り下げられており、圧巻の一言であった。
「あ、リスリス衛生兵、ちょうどお肉のセールをやっていますよ!」
店員がオススメしているのは、三角牛肉の脂身の多い部位である。
「ウルガス、ちょっと待ってください。干し肉を作る時、脂身は全部削ぐので、なるべく赤身の多い部位にしてください。それと、三角牛の干し肉は確かに美味しいと聞きますが、素人向きではありません。それに、脂身を取ったら食べられる量は僅かです」
村では山鹿肉で作っていた。一番美味しいのは猪豚。家畜を飼っていない村では高級品である。
「あ、猪豚の塊、安いです。こっちにしましょう」
市場で売っている猪豚肉は村にやってくる商人が売っていた値段の半額以下だ。ぼったくり価格だったことを今になって知った。許さん。
怒りはとりあえず忘れることにして、予算が許す限りの肉塊を購入する。
今まで角牛肉を買っていたので、意外と安く済んだらしい。
調味料は塩と胡椒はあるらしい。なので、あとは砂糖と香辛料を数種類、それから葡萄酒を二本購入した。
購入した品物を買って帰宅。
悪くならないうちに、ちゃちゃっと加工に取りかかる。
第二遠征部隊騎士舎の簡易台所で調理を開始した。助手はウルガス氏。
手を綺麗に洗い、髪を纏め、前掛けを掛けてから作業を始める。
「まず、肉の表面にフォークを刺していきます」
肉全体に塩などが行き渡るようフォークで穴を開ける。それに塩、粉末香辛料と乾燥香辛料を振りかけ、しっかり揉んでいくのだ。
あとは清潔な革袋に入れ、氷室の中で七日ほど保管。その間、ひっくり返したり、汁気を拭き取ったりする。
「結構時間かかるんですね」
「ええ、ひと手間かかります」
塩漬けに七日、塩抜きに半日、乾燥に一日、その後、数時間燻製させれば完成。
「ってな感じで、完成はしばらく先ですが」
「なるほど」
手帳に作り方を記してくれる。ウルガスは勉強熱心な青年であった。
「保存食って、他にどんな物があるんですか?」
「保存食とは言いませんが、乾燥果物入りのケーキは一、二ヶ月日持ちしますし、日が経てば経つほど美味しくなります」
他に、茸も乾燥させれば長期保存も可能となる。スープの良い出汁になるのだ。
「なんか、遠征先でも美味しい物食べたいですよね~」
夢を語るようにウルガスが言う。すぐさま同意する私。
辛い遠征で、食事が楽しめるように、いろいろと考えたいと思った。