フルーツ牛乳
頑丈な鉄格子、硬く冷たい石の床、窓もなく一日中暗い。
三食、不味い食事が運ばれてくるばかりであった。
独房は卓子などなく、藁を編んだ寝台に雑巾を丸めたような枕、清潔ではない厠があるのみ。
見張りの騎士などは女性だけれど、なかなかきついところがある。最低最悪の環境だ。
周囲の独房からは物音一つもしない。きっと、この辺りは私以外誰もいないのだろう。
他の人達はどこに連れて行かれてしまったのか。拘束されてから丸一日経ったが、事情聴取などはいっさい行われていない。
隊長とか大丈夫だろうか。ああ見えて、繊細な人だ。大貴族のお坊ちゃまでもあるし、いろいろと問題になっていないといいけれど。
ふと、自分達がただの冒険者だったら、などと考える。
きっと、誰かが脱獄して、助けてくれるに違いない。それから、幻獣保護局に乗り込んで、鷹獅子を救いに行くのだ。
そんな妄想に耽り、時間を潰す。
二日目の夕方、だろうか。一日中暗いので、時間の感覚を失ってしまった。
二人分の足音が聞える。
食事も見回りも一人なので、いったいどうしたのかと、鉄格子に身を乗り出した。
やって来たのは女性騎士と、眼鏡を掛けた白衣を着ている知識人っぽい若い女性。年頃は二十歳前後か。
紫色の長い髪に、翡翠のような目を持つ、すらりとした体型の美人である。
女性騎士の淡々とした声で、驚きの内容が言い渡される。
「鷹獅子との契約刻印がないか、調べさせて欲しいそうです」
驚いた。まだ疑っていたのかと。
どうしようもない怒りが湧き上がった。
そのままの感情を口にする。
「失礼ですね。断固拒否します」
幻獣保護局の女性になぜだと、強い口調で問われた。
契約刻印なんかどこにもないからだと答える。
「それって任意ですよね。幻獣保護局に、強制する力はあるのですか?」
「それは――」
ないらしい。勘で言ったことだったけれど、当たっていたようだ。
「もしかして、鷹獅子が食事を取らないのでしょうか?」
沈黙する局員。これも肯定と解釈していいだろう。
「鷹獅子をここに連れてきてくれませんか? 食事を与えますので」
「あなたとの契約を解除すれば、鷹獅子は食事を食べるようになるわ」
だめだこりゃ。言うことを聞きそうにない。
「だったら、仕方がありません」
鷹獅子のために、幻獣保護局の要求に応じる。
その代わり、いくつかの条件を挙げた。
「自分だけ裸になるのは馬鹿みたいなので、あなたも裸になってください。それから、契約の刻印がなかった場合、局長共々謝罪に来てください。あと、ここからの解放も。第二部隊の隊員全員ですよ」
どうだと局員の女性を見る。
信じられないとばかりに、私を見下ろしていた。
「な、なんでそんな条件を、わたくしが呑まなければならないの?」
「別に呑まなくてもいいですが、このままだったら鷹獅子は死にます」
「!」
幻獣保護局の人は私達が想像もできないほど、幻獣を大切に思っているのだろう。
欲張りな条件だけれど、きっと呑んでくれると思った。
「もしも、契約の刻印があった場合は、好きにしてください」
契約刻印を焼き鏝で潰しても構わないと宣言しておく。
私の体の確認を命じられていたであろう局員は、最終的に頷いてくれた。
最後に、もう一つ提案をする。
「あの、体の確認なんですが、お風呂でしません?」
◇◇◇
契約刻印の確認は、騎士隊の女性専用大浴場で行われた。
女性騎士も数名いるが、もれなく全員裸である。
私達だけ裸だと恥ずかしいので、付き合ってくれたようだ。心遣いに感謝する。
お風呂に入るのは数日ぶりなので、我ながら素晴らしい提案だと思った。
女性騎士のみなさんは、まあ、引き締まったお体で。腹筋がバキバキになっているのを見て、さすがだなと思った。
幻獣保護局の局員の女性は、出るところは出ていて、引っ込んでいるところは引っ込んでいる。理想的な体つきをしていた。生まれ変わったらあんな美人になりたい。
「ちょっと、こっちを見ないでよ」
「すみません」
どうやら、局員の女性は裸を見られるのが恥ずかしい模様。両手で隠している。
普通、そうだろう。
私にそれを強制しようとしていた点を、よくよく思い出してほしい。
寮のお風呂は共用。さすがの私でも、いまだに裸を見られるのは恥ずかしいのだ。
一方で、女性騎士達は堂々としていた。
体を隠すことなく、こちらを監視している。
その自信も羨ましい。いや、仕事だからだろうけれど。お疲れさまです。
「先に髪と体を洗っても良いですか? ずっとお風呂に入っていなくて」
「……わかったわ」
粉石鹸を使い、頭をガシガシと洗った。
ああ、ここは天国か。
髪の毛が生き返る。
全身くまなく洗い、ぴかぴかになった。
最後に頭からザバーと湯を被り、振り向いてどうぞ調べてくださいと言う。
疲れていたので、もうどうにでもしてくださいという気分だったのだ。
待つのに疲れたからか、顰め面で確認を始める局員の女性。
耳の裏から首筋、舌、股、足の裏など、全身くまなく探した。
見つからなくて、女性騎士にも探すよう命じたが、結果は同じ。
「もういいですか? 恥ずかしいですし、なんかもう、湯冷めしちゃっているんですけれど」
「待って、もう一度、へっくしゅ~ん!!」
あ~あ。風邪を引いてしまったみたいで。
騎士さん達も寒そうにしている。
女性は体を冷やしてはいけないのに。
最後は皆で浴槽に浸かる。
体の芯から温まって、浴室を出た。
新しい着替えも用意してもらって、ホクホクだ。
そしてなんと、騎士隊より果物牛乳の差し入れが。
長い時間お風呂にいたので、水分補給をするようにとのこと。
すっきり甘い、果物風味の牛乳を一気飲みする。
たまらなく美味しかった。
湯あたりをしたからか、若干ふらついてしまった。
女性騎士が私の肩を支え、こっそりとパンを手渡してくれる。
お腹は空いていたけれど、鷹獅子のことを考えたら、食べることはできなかった。
そのあと連れて行かれたのは、会議室のような場所。
そこには、第二部隊のみんながいた。
「わ――」
喜んで駈け寄ろうとしたけれど、騎士隊の総隊長や幻獣保護局の局長もいた。
それから、鳥かごのような物に入った鷹獅子も。
「鷹獅子!!」
『クエクエ~~!!』
私は周囲の状況を忘れ、駆け寄ってしまった。
「お腹が空いたでしょう? 水は飲みましたか?」
『クエ~~!!』
何を言っているのかまったくわからない。けれど、思っていた以上に元気そうだった。
傍に立っていた局員が果物を私に差し出してくる。
果物を受け取った瞬間、鷹獅子の目はキラリと輝いた。
爪で皮を剥こうとしたら苦戦した。隣から、ナイフが差し出される。顔を上げれば、幻獣保護局の局長だった。
お礼を言って受け取り、果物を剥く。
鷹獅子は嬉しそうに食べていた。
その後、水をたくさん飲み、拳大の果物を五つ食べた。これで満足した模様。
「これで本当に、契約をしていないとはな」
ぽつりと、幻獣保護局の局長が呟く。
どうやら、契約はしていなかったと、認めてくれたらしい。
はてさて、これからどうなるのか。
双方睨み合うように座り、話し合いが始まった。
「今回の件は、いろいろと情報の行き違いがあったようだ」
騎士隊の総隊長が、重々しい口調で話す。
まず、幻獣を発見したら、幻獣保護局に報告がいく。けれど、今回は騎士隊に行ってしまったのだ。
「人が幻獣に襲われ、死亡する事件が起きていることは知っているだろうか?」
幻獣保護局の局長が、苦虫を噛み潰したような顔で話し始める。
「幻獣と気付かず、冒険者などから魔物のように討伐されることも珍しくはない」
魔物と違い、幻獣は数が少なく、そのほとんどが絶滅危惧種らしい。
幻獣保護局は種の保存を第一として、幻獣保護に努めてきた。
元々、局長が私財を擲って設立した機関で、大きな実績がないことから、国からの予算はほとんどない。機関名に王宮と冠しているが現実はこうだと、局長は苦々しい表情で語る。
「ここ数日、幻獣が討伐されてしまうかもしれないと考えていたら、気が狂いそうだった」
王女に危害を加えたことから、討伐も致し方なし、という命令が出ていたらしい。知らなかった。
隊長は発見し、なるべく捕獲しろ。捕獲が不可能なら撤退、という命令しか出していなかったのだ。
幻獣保護局は幻獣捕獲のあれこれを熟知し、戦闘訓練も積んでいる。
なので、今回騎士隊が幻獣のもとへ派遣されたと知り、気が気でなかったのだろう。
「まだ、多くの人々の幻獣への理解は浅い。魔物との違いを、わかっていないのだ」
やっぱり、幻獣保護局の人達は、幻獣愛をこじらせた集団なんだなと思った。
「鷹獅子を保護したあと、冷静になってみれば、私は間違ったことをしたのではと、疑問が浮かんだ」
幻獣が絡んだ事件なのに、幻獣保護局を頼らず、騎士隊を派遣した。国から存在をないがしろにされたのだ。
いろいろ対応は間違っていたけれど、怒るのも仕方がないのかなと。
言われたことや、打たれた件に関しては絶対に許せないけれど。
幻獣保護局の局長は言った。乱闘騒ぎの原因を作ったのは自分だと。
騎士隊の総隊長は、判断を下す。
「事情は理解できた。だが、騎士隊としては、暴力をふるってしまったことは無視できない」
ちらりと隊長のほうを見た。
無表情で話を聞いている。怒っているようには見えなかった。
「幻獣保護局の処分は国に一任する。第二遠征部隊へは、私が処罰を決める」
どきんと、嫌な感じに鼓動を打つ。
処罰と聞いて、血の気が引くような思いとなった。
ぱらりと、書類を捲る音が嫌に大きく感じた。
額には汗が浮かび、緊張感で落ち着かない気分となる。
処罰の内容が、読み上げられた。
「幻獣保護局と話し合った結果――メル・リスリスに鷹獅子の世話役を命じることを決めた」
「え?」
幻獣保護局の局長の顔を見る。
今日も安定して、神経質そうだった。いや、そうじゃなくって。
局長が持って来た鳥かごに入っていた鷹獅子を、手渡される。
「あ、ありがとうございます」
しっかりと毎日、記録を取るように言われた。
「いまだ、私は信じられないでいる。契約なしに幻獣と心を通わすことなど、物語の世界の話だ」
驚きの事実である。
しかし、なんで私が――その疑問を投げかけた。
「おそらく、身を呈して護ったことが、鷹獅子の心に響いたのだろう」
なるほど。だから、ガルさんにも少しだけ気を許しているのか。
鳥かごから鷹獅子を出す。
抱き上げれば、頬ずりしてきた。
幻獣保護局の局長曰く、私のことを母親だと思っているらしい。
愛い奴めと、顎の下を指先でガシガシと撫でた。
「そういえば、鷹獅子ってどのくらいの大きさになるのですか?」
「馬より大きいだろう」
「え!?」
そんなに大きくなるなんて。
お世話、できるだろうか。心配になる。
「まあ、幻獣保護局から手も貸してやる。困ったことがあれば言え」
「ありがとうございます」
最後に、幻獣保護局の局長から一言。
「このたび、気持ちが急いていて、港で第二遠征部隊の隊員らに不適切な発言をした。この場を借りて謝罪する。すまなかった」
本当に局長は謝ってくれた。よかったと一安心。
鷹獅子は戻ってきたし、最低最悪の獄中暮らしからも解放された。
これにてめでたしめでたしと思っていたけれど――総隊長よりオマケの処罰が言い渡される。
「第二部隊の面々には、一週間の謹慎を命じる」
……ですよね。
こうして私達は、一週間の謹慎処分が言い渡されたのだった。




