魚の塩釜焼き
青い空、白い雲、そして――どこまでも続く海!!
というわけで、私達は今、船に乗っている。
「隊長、見てください、海鳥がたくさん飛んでいます!」
「わかったから、騒ぐな」
隊長は青い顔で、舷縁にもたれかかっている。多分、三半規管が弱いのだろう。出港してからずっと、船酔いと戦っていた。
海原を眺めていれば、船が僅かに揺れる。
「ウッ!」
隊長は口元を押さえ、涙目になっていた。
「どうぞ。酔い止めの香り袋を差し上げます」
初めて船に乗るので、念のために船酔い対策を用意していたのだ。
これは林檎草、薫衣草、乳香を混ぜ合わせ、綿布に垂らしたあと、巾着袋に入れた物。匂いを嗅ぐと、船酔いが和らぐ。
林檎草は精神や体の強張りを解す鎮静効果がある。薫衣草は頭痛や吐き気を抑える効果があるのだ。
子どもの頃、村の医術師から教わった話をもとに、作ってみた。
「薬か?」
「いいえ。香り袋です」
「いい。今、強い匂いを嗅いだら吐く」
「そんな馬鹿な」
「お前は酔わないからわからないのだ」
「ふうむ」
お気の毒にとしか言いようがない。
こんなに弱りきった隊長、とても新鮮だ。けれど、少し可哀想に思う。
「あ、そうだ。船酔い緩和のツボがあるんですよ!」
これも村の医術師から教えてもらった知識だ。森暮らしをしている時は役に立たないと思っていたけれど、そんなことはなかった。どんな知識でも、いつか役立つものである。
「酔い止めのツボ……んなもんがあるのかよ」
「はい」
内関という、手首にあるツボを押せば、胸から胃の不快感がなくなるらしい。
「手を握りしめて、手首を内側に傾けてもらえますか?」
「こうか?」
「はい」
拳を握り、手首を曲げた時に、腕に二本の筋が浮かび上がる。その筋の真ん中をぐっと押すと習った。
「食欲不振や、胃痛、二日酔いにも効くらしいです」
「本当かよ」
「今からしてみますね」
ツボがある場所は手と手首の境目に、肘の方向に向かって指を三本置く。三本目の指の位置にある、二本の筋の間が内関だ。そこを、親指で押した。
「痛っ!」
「そんなに力は込めていませんが?」
「嘘吐け! 痛いんだよ!」
「少し強めに押すよう習いましたので」
「どこが少し強めだ! 全力じゃないか!」
意外と我慢弱い。はあと溜息を吐いてしまった。
それにしても、ツボ押しは結構大変だ。腕まくりをして、気合を入れ直そうとしていたら、背後より声が掛かる。
「メルちゃん、私が代わりにしましょうか?」
振り返れば、ザラさんが笑顔で助け船を出してくれた。
「どこを押せばいいの?」
「ここです」
「わかったわ」
「助かります。結構力仕事で」
「そうだと思ってね」
ザラさん。優しい。私の代わりにツボ押しをしてくれると言うので、お願いすることにした。
「そうだ。メルちゃん、副隊長と食堂でお茶して来たら?」
「いいのですか?」
「ええ。私は今まで休んでいたから、行ってくるといいわ」
「はい、ありがとうございます」
隊長のお世話にも飽きたので、お言葉に甘えてベルリー副隊長をお茶に誘うことにした。
「あ、そうだ」
肩掛け鞄の中から、香り袋を取り出す。
「これ、ザラさんの分です」
「あら、可愛いわね。何かしら?」
「酔い止めの香り袋です」
全員分作ったので、よかったらと言って差しだした。
ザラさんは喜んで受け取ってくれた。
隊長の分は、勝手に腰のベルトに括りつけておく。
「では」
「はい、いってらっしゃい」
くるりと踵を返せば、すぐさま隊長の叫び声が聞こえた。
「い、痛ってえ!! 何すんだ、この野郎!!」
「あら、治療なのよ、これ」
「絶対違う! お前のは暴力だ!」
隊長、元気になったみたいでよかった。ツボ治療の効果は絶大のようだった。
ベルリー副隊長は船尾楼にいた。じっと、海原を眺めていたようだ。
「ベルリー副隊長!」
名前を呼べば、ハッとしたようにこちらを見る。何かを考え込んでいたようだけど、すぐに笑顔を浮かべてこちらへ近付いて来た。
「リスリス衛生兵、どうかしたのか?」
「食堂でお茶でもどうかなと思いまして」
ベルリー副隊長の隣へ寄ろうとすれば、うち上げられていた海藻を踏んで転倒しそうになる。
「危ない!」
「おわっと!」
甲板の床に頭から突っ込みそうになったけれど、ベルリー副隊長が転ぶ寸前で腰を抱えてくれた。
「リスリス衛生兵、大丈夫か?」
「はい、ありがとうございます」
その後、危ないからと肩を支えて歩いてくれた。
怪我がなくてよかったと、耳元で囁かれる。
ベルリー副隊長、女性だけれどかっこいいので、ドキドキしてしまったのは言うまでもない。
食堂では南国果物のジュースを飲んだ。
甘酸っぱくて美味しい。
「それにしても、大変なことになったな」
「そうですね」
今回、私達は王族の行楽地である、南の島へと向かっている。
この船も、海兵部隊が特別に出してくれたものだった。
なぜ、私達は南の島に向かっているのかと言えば、王族の尻拭いをするためである。
問題を起こしたのは第七王女様(七歳)。誕生日に国王から幻獣鷹獅子の子どもを贈られるも気に入らず、一緒の船に乗りたくないと言うので、南の島に置いてきてしまったらしい。
放置期間は一週間ほど。
「鷹獅子の子ども、生きているんですかねえ」
「どうだろう。生後三か月くらいまでは、自分で食べ物を得たりなどできないだろう」
「なるほど」
鷹獅子との契約はまだ結んでいないらしい。
第七王女様は絵本で鷹獅子の姿を見て、飼いたいと父王にせがんだらしいが、一生懸命探してきた幻獣はいささかやんちゃだったのだ。
王女様は絵本の心優しい姿と、現実の生態の差に驚き、契約を拒否した。鷹獅子側も、歩み寄ろうという姿勢を見せなかったらしい。
「簡単に人と契約を結ぶと言うが、幻獣側も主を選ぶ。誰しもが、契約をできるわけではないのだ」
「ほうほう」
今回の任務は幻獣を捕獲すること。
王女はもういらないと言っているらしいが、鷹獅子は保護幻獣でもある。
希少生物の数を減らしてはいけないと、国は保護に必死だった。
一週間と日にちが経っているわけは、王女様が召使いや近衛騎士などに黙っておくようにきつく命じていたらしい。命令に逆らえない彼らは、苦渋の思いを抱えていたことだろう。
けれど、国王様が王女様のもとへ訪れたさいに、鷹獅子がいないことが発覚してしまったのだ。
「捕まえられますかねえ、鷹獅子」
「繊細な生き物らしいからな。隊長やガルに驚かなければいいが」
そんな話をしているうちに、夕食の時間となったようだ。
先ほどから厨房よりいい香りが漂っていたので、楽しみにしていた。
隊長とザラさん、ウルガスにガルさんを呼びに行った。
「隊長、大丈夫ですか?」
食卓についた隊長は、ずいぶんと顔色は良くなっているように見えた。
「メルちゃんのツボ押し療法のおかげね」
「ツボ押し療法ってなんですか?」
隣に座ったウルガスが聞いてくる。
「専門的には経穴と呼ぶみたいですが――」
簡単に言えば、体の不調を訴える場所と繋がる経穴を刺激すれば、血の流れが変わって体調も良くなる、というものである。
「へえ、凄い治療法があるんですね」
「はい。村の医術師からの受け売りですが」
「医術師、ですか」
「魔法で治療を行う医師のような存在ですね」
医術師は魔法を使って治療をすることを推奨せずに、薬草やツボ療法など、誰にでもできる知識を教えてくれたのだ。まさか、将来役に立つ日がくるとは。人生、何が起きるかわからないものである。
そんな話をしていれば、食事が運ばれてきた。
「わあ!」
大皿に載ったそれは、真っ白い石のようだった。
これはいったい……?
私のぽかんとした顔をみた料理人のお兄さんが答えてくれた。
「こちらは魚の塩釜焼きです」
どうやら、これはメレンゲと塩を混ぜた物で魚を包み、かまどでしっかり焼いた物らしい。初めて見る魚料理に感動を覚えた。
「これ、どうやって食べるのですか?」
「金槌で割って食べるんだ」
「へえ」
ベルリー副隊長が答えてくれる。港街で育ったようで、よく塩釜焼きを食べていたらしい。
ガルさんが魚を覆っている白い塩メレンゲを、金槌で割ってくれた。
中から、赤い魚が顔を出す。
ザラさんがナイフで切り分ければ、お腹から野菜が出てきた。
「なるほど、お腹に野菜を詰めて焼くんですね」
とても美味しそうだ。
ザラさんは人数分、お皿に取り分けてくれる。
パンと魚の酢漬けに、殻貝のオイル漬け、長海老のチーズ焼きなどが運ばれて来た。
豪華な海鮮料理が所せましと並べられている。
食前の祈りを捧げ、食事を始める。
フォークで突き刺せば、白身からじわりと脂が滲む。そのまま、口に持って行った。
塩辛いかと思っていたけれど、そんなことはなくて、旨味がぎゅっと濃縮していた。
さすがに、表面の皮はしょっぱいけれど、パンの上に載せて食べたら美味しい。
柑橘を絞って食べるのも、あっさりとした風味になって非常に美味である。
魚のお腹に入っていた野菜がまた美味しくって……! 葉野菜や根菜が魚の出汁を吸って、お上品な味わいとなっていた。
海の幸は最高だ。
幸先の良い、遠征一日目の夜だった。




