エスメラルダの怒り その六
なんだかソワソワして、胸がドキドキする。
なんだろう、この落ち着かない気持ちは。
切なくて、苦しくて、ギュルルルルって感じの。
「ん? ギュルルルル?」
今、私の耳は確かに『ギュルルルル』という低い鳴き声のようなものを拾った。
この鳴き声は──覚えがある。
ザラさんの手を掴み、私は叫んでしまった。
「メルちゃん?」
「ザラさん、大変です! 雪熊の鳴き声がします!」
雪の地方最強で最低な魔物──雪熊。
以前、雪山捜索のさいに戦った中型魔物である。
隊長に、ベルリー副隊長、ガルさん、ウルガス、ザラさんとフルメンバーだったにもかかわらず、苦戦した魔物だ。
『クウクウ!』
私がザラさんに訴えたのと同時に、ステラも雪熊の接近を教えてくれる。
「に、逃げましょう!」
かまくらを出て、鳴き声が聞こえたほうを見るが──吹雪いていて何も見えない。
「メルちゃん、どっちから聞こえたの?」
「えっと……ごめんなさい、分からないです」
『クウクウ、クウクウ!』
すぐに、ステラが教えてくれる。上のほうから聞こえてきたと。最悪だ。
「分かったわステラ、ありがとう。早く逃げましょう」
『リスリスちゃん、お兄さん、どうしたの?』
「雪熊……狂暴な中型魔物が接近しているのです」
『うわ! 大変だ!』
ザラさんはアリタに、私はステラに跨った。
タタタと歩調を早め、だんだんと速さを上げていく。しだいに、全力疾走となった。
雪山の坂道を半ば滑るように、前に、前にと進んでいく。
『ギュルオオオオオ!!』
「げっ!」
全力疾走を始めたのは私達だけでなく、雪熊もだ。
恐る恐る背後を振り返ったが、横殴りの雪で後方は何も見えない。
前回、雪熊にエノクの騎士が遭遇したのは久々だと聞いた。半年空けただけなのに、また遭遇してしまうなんてツイていない。
だんだんと、距離が近づいてきているような?
再度振り返ってみると……。
「ヒイ!!」
姿を完全に目視できなかったが、吹雪の中でうっすら見えた雪熊の姿は以前戦った個体よりも大きく見えた。
雪熊は基本、物理攻撃による弱点がない。
毛の一本一本は針のようで、毛皮は金属のような硬さと耐久度がある。
これは、雪山で戦ったあとに魔物図鑑を読んで知った情報だ。
そんな雪熊に、一撃食らわせていた第二部隊のみんなは本当にすごい。
今はザラさんしかいないので、できれば戦闘は避けたかった。
やはり、リーゼロッテに付いて来てもらったほうがよかったのか。
雪熊唯一の弱点が、炎属性の魔法攻撃なのだ。
『うわぁ!!』
アリタは叫び、急停止する。
「どうしたのですか!?」
『もう一匹、雪熊が!!』
「ええ~~~~!!!!」
なんてツイていないのか。
山道なので、上は岩肌覗く絶壁、下は急斜面。道を逸れて逃げることは不可能だ。
前後から雪熊に挟まれるなんて、どうしてこうなったのかと叫びたい。
アリタから降りたザラさんが、ステラに問いかける。
「ステラ、絶壁を登ることはできる?」
『クウ……』
自信はないけれど、一応頑張ってみるとステラは返す。
「ごめんなさい、メルちゃん。先に、登っていて。アリタも」
「え、ザラさんは?」
「ここで、雪熊を引き留めるから」
「そ、そんな、ザラさんを一人置いて、逃げることはできません」
「メルちゃん、お願い。私は、大丈夫だから」
「ザラさん!」
いくらザラさんが強くても、二体の雪熊を相手に戦うのは無謀だろう。
「ザラさんも一緒に行きましょう」
「ダメ。そうしたら、登る時間がないでしょう? こうして話している間ももったいないから」
「ザラさん!」
ステラから降り、引き留めようと伸ばした私の手をザラさんは掴む。傍へと引き寄せ、それからぎゅっと抱きしめてくれた。
そして、耳元で囁く。
「私は大丈夫。秘策があるから」
「ひ、ひさく?」
ザラさんはそのまま私を抱き上げ、ステラに乗せてくれた。
「ステラ、アリタ、メルちゃんをよろしく」
『クウ』
『わ、分かった。お兄さんも、気を付けて』
「ありがとう」
そんな、ザラさん……!
「わっ!」
ザラさんのほうを見ている場合ではない。ステラは絶壁を上り始めた。
しっかり掴まっていないと、真っ逆さまに落ちてしまう。
『ギュルルルル!!』
『ギュルオオオオオ!!』
二体の雪熊の鳴き声が聞こえた。
ぎゅっと目を閉じ、どうか無事であるようにと願う。
私は無力だ。
なんて、情けなくちっぽけな存在なのか。
「ザラさん……」
瞼が熱くなり、涙が零れた。
いったいどうやって、雪山最強とも云われる魔物を倒すのか。
鳴き声と足音で、雪熊がザラさんに迫っていることが分かる。
「ザラさん……ザラさん……!」
王都にいる侯爵様、どうか、ザラさんを守ってください!!
なんて、願っても無駄だけど。
侯爵様は神様でも大精霊でも、なんでもないのだから。
『ギュルルルル!!』
『ギュルオオオオオ!!』
雪熊が、ザラさんに迫る。もう、音だけでも聞いていられない。
しかし、絶壁を登るステラにしがみ付いている今の私に、耳を塞ぐ術などなかった。
『ギュルルルル、ギュルッルル!!』
ついに、二体のうちの一体がザラさんと対峙したようだ。
雪熊とザラさんの距離は、三メトルほどだろうか。
「ザ、ザラさ」
「勝てると思って、襲いかかってきたのね。残念だけど──くたばりなさい! ……………………ミラクルボンバー・シューティングスター!」
何か呪文のような言葉が聞こえたのと同時に、爆発が起こった。




