エスメラルダの怒り その四
ザラさんの機転のおかげで、雪山までの近道を通ることができた。
なるべく早く帰りたいので、手早く片付けて出発する。
残りの初雪のドーナツは、通路を作った甘大蟻にあげた。
『え、これ、全部貰っていいの?』
「いいわよ」
『あ、ありがとう。帰りは、無料で通っていいから』
帰りもお菓子を要求するつもりだったんかい。
ザラさんのおかげで、帰りのお菓子を渡さずに済んだ。
『よし、行こう』
「ええ」
「了解です!」
『クウ!』
通路を作った甘大蟻は、口いっぱいに初雪のドーナツを頬張った状態で手を振ってくれた。私も手を振り返す。
ザラさんはアリタに跨りながら、呟いた。
「それにしても、ここは本当に不思議な空間ね」
『まあ、単独で通路を作る蟻もいたら、複数で作る蟻もいる。人を雇う蟻もいるし』
「人って……?」
ふと、疑問に思う。ここは冒険者が出入りしているわりに、知られていないと。
いや、冒険者事情に詳しいわけじゃないけれど。
「アリタ、ここって、どんな冒険者が利用するのですか?」
『九割は獣人だね』
「ええっ、そうなのですか?」
『うん。兎とか、犬とか、猫とか。いろいろだよ』
街で獣人を見かけないのは、甘大蟻の地下通路を通っているからなのか。
『獣人は珍しいから変な注目受けるらしく、あまり街中での活動はしたくないとか話していたなあ』
「……」
この国にはほとんど獣人がいない。そのため理解が少なく、奇異の目で見られることも多いのだとか。
『あ、でも、ここ数年で、だいぶ印象がよくなったらしいよ。なんでも、エノクっていう集団が、獣人を受け入れるようになったみたいで』
「あ、エノクって、私達が所属する集団です」
『あ、そうなんだ。待遇がいいから、獣人はエノクに行ったみたい』
「そうだったのですね」
『冒険者を辞めて、エノクに行きたいと言っているんだって』
「なるほど」
騎士隊は協調性が必要だという印象が強いようで、給料や待遇は惹かれるけれどなかなか一歩踏み出せない獣人が多いようだ。
獣人は体力があり、力持ち。騎士に向いた種族だろう。
騎士隊エノクでも、たくさんの獣人が活躍している。
気になるのに尻込みしているのはもったいない。そんな私の呟きに、ザラさんも深く頷く。
「見学とか、体験入隊とか、企画したら来るかもしれないわね」
「隊長に相談してみます?」
「そうね」
『何か決まったら、宣伝とか協力するからね~』
「ありがとうございます」
積極的な獣人もいれば、消極的な獣人もいる。
集団行動ができる獣人も、できない獣人もいる。
それは、獣人だけではない。人も同じだ。
適性を見て、正しい部隊へ入隊できたら、活躍できるだろう。
そんな話をしているうちに、雪山近くまで辿り着いたようだ。
『地上は寒いから、外套を着こんだほうがいいかも』
「ですね」
甘大蟻の通路は結界があるので、寒さも暑さも感じない仕様になっているのだとか。
妖精鞄ニクスの中からザラさんの分と私の分と、二枚の外套を取り出した。
「メルちゃん、ありがとう」
「いえいえ」
雪山に行く前に、しばし休憩する。
「雪山に入る前に、しっかり活力を得ておきましょう」
雪が降り積もる中登山をすると、驚くほど活力を消費する。
それを補うのは、食事だ。
『へえ、そうなんだ~』
「妖精や精霊はどうか知りませんが、人はあっさりと力つきてしまうのです」
最低でも、一時間半から二時間に一度の補給が必要となる。
「この前の雪山任務の時も、メルちゃんがこまめに料理を用意してくれて、助かったわ」
「いえいえ」
貴族の坊ちゃんが行方不明になり、雪山に探しに行くことになった事件。
半年ちょっと前のできごとだけれど、なんだか遠い記憶のように思える。
「いろいろありましたね。無許可の森林檎酒を、山賊と飲んだり……」
「メルちゃん、それ、一緒に飲んだの山賊じゃなくて、クロウだったはずよ」
「あ、そうでした。山賊の一味ではなく、隊長でしたね。すみません、記憶が曖昧になっていて」
そうだった。密造酒を一緒に飲んだのは、隊長だった。
「え~っと、思い出話はここまでにして、料理を作りますね」
「私も手伝うわ」
「ありがとうございます」
鍋の中に乾燥キノコを入れてしっかり出汁を取る。
続いて、乾燥野菜を入れ、沸騰させてふやかした。
「塩漬けベーコンは、豪勢に分厚く切る!」
この前シエル様が狩った大猪豚の塊に、塩、香草をたっぷり揉み込んで作った特別なベーコンだ。
食べよう、食べようと思っていたのに、もったいなくて手を付けていなかった。
せっかくの機会なので、贅沢に厚切りする。
ぐらぐら沸騰してきたら、刻んだ赤茄子の水煮を投入。鍋の中が真っ赤に染まる。
ここで入れるのは、水で洗った白米だ。これを鍋に入れて、煮詰める。
ある程度火が通ったら、蓋をする。
数分後──蓋を開くと、ふんわりと良い匂いが漂った。
「美味しそうね」
「ええ。でも、これで完成じゃないんですよ」
最後にチーズを振りかける。これが溶けたら、チーズリゾットの完成だ。
『うわぁ~。なんか、良い匂い!』
「アリタも食べてみますか?」
『うん。ちょっと、味見してみようかな』
甘大蟻は基本、甘い物しか食べない。チーズリゾットは大丈夫なのか。
ステラには果物を与える。その間に、ザラさんが皿についでくれた。
「よし、これで準備はいいわね」
「ありがとうございます」
手と手を合わせて、いただきます。
匙を入れてリゾットを掬うと、チーズがびょ~んと伸びる。
酸味のある赤茄子を、チーズがまろやかにしてくれる。
白米はいい感じに炊けているし、コリコリとしたキノコの食感もいい。
ベーコンはほどよく塩気が抜けていて、噛めばじゅわっと肉汁が溢れる。
ザラさんはにこにこしながら食べていた。どうだったか聞くまでもないだろう。
一方、アリタは匙を口に入れたまま、止まっていた。
「アリタ、どうですか? お口に合いませんでしたか?」
『お、美味し……』
「はい?」
『これ、すっごく、美味しいよ!!』
アリタは目をキラキラ輝かせながら、感想を言ってくれる。
『なんだろう、酸っぱさの中に濃厚さがあって、食感もいろいろあって、すごい!!』
興奮しているのか、ざっくりとした感想になっている。
しかしまあ、美味しかったようなので、その点はホッとした。




