三角牛の乳シチュー
やっとのことで王都に帰ることができた。
三日ほどお風呂に入っていないけれど、寮に辿り着いた頃には限界だった。
くたくた過ぎて何もする気にならず。
顔と手と足を洗って、泥のように眠った。
十日ぶりにお休みをもらった。今日ほど休日が嬉しい日はないだろう。
朝、起きたら全身筋肉痛だった。辛すぎる。
馬車は負傷者優先で使い、元気な私達は馬に跨って帰ったのだ。
遠征+山登りの組み合わせだったので、体がバキバキになるのも頷ける。
のろのろと起き上がった。騎士隊に入隊した時にもらった懐中時計の蓋を開き、時間の確認をする。
残念なことに、朝食の時間はすでに終わっていた。深く深く落ち込んでしまう。
はあと溜息吐いたら、お腹がぐうと鳴った。
朝食を寝過ごすなんて最悪だ。昼食まであと二時間もあるのに。
しかも、部屋に非常食は置いていない。急に遠征に行くことになり、私物のビスケットなども持って行って食べてしまったのだ。
よって現在、室内にはまったく食料がない状況にある。
意気消沈して、寝台にごろりと転がる。
お昼まで寝よう。まだ、眠気は残っている。けれど――。
ぐう。お腹が切なそうに鳴る。どうやら、空腹>眠気のようだ。むくりと起き上がる。はあと溜息。
仕方がない。街に何か食べに行こう。
暖炉に火を入れ、湯を沸かす。体を拭いて、服を着替える。
灰色のワンピースを着て、髪を三つ編みにしてお団子に纏めた。
窓を開けばひやりと冷えていたので、アルテンブルク侯爵家より支給された外套を着込む。なんと、これは私物として使っても良いらしい。なんて太っ腹な。
けれど、中に着ているワンピースがダサくて残念過ぎる。
先日、給料が出たので、何かお洋服も買いたい。
髪飾りとか、靴も欲しい。
そんなことを考えていたら、この前隊長に買ってもらった胸飾りを思い出す。
箱を取り出し、包装を丁寧に剥がした。蓋を開いて、ほうと溜息を吐く。
銀製で、五枚の花弁があり、中心に真珠がはめ込まれている綺麗な物である。
灰色のワンピースに合わせたが、いまいちしっくりこない。
きっと、王都で売っている素敵な服にしか合わないのだろう。
今日はいいかと思い、胸飾りは箱にしまう。
外套の頭巾を被り、外に出た。
今日は市場ではなく、商店街のほうに向かった。
朝でもなく、お昼でもなく。そんな時間帯だからか、人通りは少ない。
買い出しでウルガスと何度も行き来した場所だったけれど、私用で買い物に来るのは初めて。
給料をもらっていなくてお金がなかったこともあるけれど、休日は疲れていて部屋でぼんやりと過ごすことも多かったのだ。
まだ、騎士隊の仕事に体が慣れていないせいもある。
そんなことはさておき。
初めてのお買い物に心躍らせていたら、見知ったような人物の背中を目にする。
絹のように輝く金の髪を高い位置にくくり、背筋がピンと伸びた姿。真っ赤な外套に、丈の長いスカートを穿いた、女性にしては背の高いその人は――
「あれ、ザラさん?」
きっと間違いないだろうと思い、駈け寄ってみる。
「ザラさ~ん!」
声をかければ振り返る美人。
「あら、メルちゃんじゃない」
「奇遇ですね」
ザラさんはどうやらお買い物中だったようで、荷物を両手に抱えていた。
一週間分の食材らしい。
「メルちゃんもお買い物?」
「え~と、お買い物といいますか、実は食事を食いっぱぐれてしまって」
「まあ!」
どこかお手頃で美味しい食事処でも教えてもらおうとしたら、想定外のお誘いを受ける。
「だったら、私の家に来ればいいわ。朝からシチューを煮込んでいたの」
なんでも、残り物で作ったシチューらしい。買い置きのパンがなかったので、食べる前に買い物に出かけたとか。
「えっ、でも、なんか悪いですし」
「いいのよ。一人で食べるのも寂しいし。それに、家の見学もできるでしょう?」
「見学?」
「一緒に住む約束をしていたでしょう?」
「あ!」
そういえばすっかり忘れていたけれど、ザラさんの家に下宿させてもらう話があったのだ。
でも、あれから他の部隊の騎士が近付いて来ることもないし、大丈夫なんじゃないかと思う。
「騎士が寄って来ないのは、私が一緒にいるからよ」
「あ、で、ですよね」
そうなのだ。
あの日から、毎朝ザラさんは女子寮の門まで迎えに来てくれて、一緒に出勤している。
こういうことを普通の男性騎士がすれば、寮長をしている女性騎士に叱られてしまう。けれど、ザラさんは女性達が出入りしている寮の出入り口に、完全に溶け込んでいるのだ。
それどころか、女性騎士さんと仲良く世間話をしている姿も良く見られる。
悪いなと思いつつも、甘えている状態だった。
それにしても、女性騎士に混ざっても違和感がないザラさんとはいったい……。
しかし、お休みの日に家に上がり込んでしまうなんて。
ザラさんも疲れているだろうに。
今日は遠慮をしておこう。そう思ったが、空気を読まない私のお腹がぐうと鳴ったのだ。
ザラさんは私の腹の虫を聞いて、「あら、大変」と言う。恥ずかしくなって、顔から火が出るかと思った。
「じゃあ、急ぎましょう。焼きたてのパンも買ったのよ」
残り物で作ったシチューだけど、かなりの自信作らしい。そこまで聞いたら、お誘いを断ることなんてできなかった。
「早く行きましょう。ここから近いの。ぐずぐずしていたら、パンも冷めてしまうわ」
「えっ、あ……はい。あ、ありがとうございます」
結局、私はザラさんの家にお邪魔することになった。
◇◇◇
ザラさんのお宅は商店街から少し離れた住宅街にあった。
そこは、二階建ての細長い家が並ぶ場所で、黄や赤など、色とりどりに塗られた壁がとても綺麗である。
「ここが私の家」
「はあ、ご立派なお家で」
「賃貸だけどね」
聞けば、そこまで家賃は高くないらしい。さらに、騎士隊には住宅手当もあるので、払う金額は僅かだと話す。
「そういえば、同居されている方はご在宅ですか?」
「ええ」
「あ、あの、大丈夫ですか?」
「平気よ。少し人見知りをする子だけど」
そんな。私だって若干人見知りをする。
ドキドキしながら、ザラさんの家にお邪魔をする。
「ブランシュ、ただいま!」
同居人のお嬢さんはブランシュさんというらしい。
どんな女性なのか、心待ちにしていたら――
「にゃあ」
「うわっ!?」
ザラさんは振り返り、満面の笑みで紹介する。
「この子、山猫のブランシュっていうの」
「イ、山猫ですと~~」
山猫とは、北部の雪深い土地にのみ生息する大型の猫で、一部地域では愛玩用として飼っていると聞いたことがあった。
その山猫が玄関で「にゃあ」という可愛らしい声で鳴いていたのだ。
大きさは、成人男性が四つん這いになったくらいで、私の体よりも大きい。大人しい気性だと聞いたことがあったが、間近で見ると迫力がある。
毛並みは雪のような白。ふわふわで、可愛い――じゃなくて!
「も、もしかして、同居人って‐―!?」
「ええ、ブランシュよ」
「そ、そんな~~!!」
騙された。女の子の同居人が雌の山猫だったなんて。
「メルちゃん、散らかっているけれど」
山猫のブランシュさんはお座りをして、じっと私を見ている。
尻尾はぶんぶんと振られているので、敵対心はないようだが。
「メルちゃんのこと、観察しているみたい」
「お、お気になさらず……」
ぎこちない動きでお邪魔をさせていただく。
ビビるのは仕方がないということで。だって、こんなに大きな猫、見たことないし。
よく見れば、首によだれ掛けみたいな物を巻いている。フリルで縁取られていて、とても可愛い。もしかして、ザラさんの手作りだろうか。
「にゃん」
「うわっ!」
じっと眺めていたら、姿勢を低くして私の顔を覗き込んできたので、びっくりしてしまった。
ザラさんは笑いながら、大丈夫だと言う。
「どうぞ、奥へ」
「あ、はい。お邪魔します」
ブランシュの横を通り過ぎ、食堂兼台所へと向かう。
食器の並べられた棚に、整理整頓された調味料入れ、手入れのされたかまど――そこは、男性の一人暮らしには見えない綺麗な台所だった。
山賊兄弟の台所とは天と地ほども違う。
食卓に掛けられている布の織り柄がまた見事で。ほうと溜息を吐いてしまった。
「それ、私の故郷の織物なの」
「すっごく綺麗です!」
雪の結晶や森の木々、動物などが織り込まれている。
うちの村は刺繍しかしないので、凄い技術だと、感心してしまった。
「細かい意匠はできないから、刺繍のほうが凄いと思うけれど」
「そんなことないですよ。とても綺麗です」
なんと、この織物はザラさんが機織りをした物らしい。
手先の器用さを羨ましく思った。
そんな話をしているうちに、シチューが温まったようだ。
三角牛の乳シチューである。
「しばらく家を空けていたでしょう? バタバタしていたから、遠征に行くって牛乳配達の人に言っていなくて、今日、四日分くらいまとめて持って来たのよ」
一人で消費するのは大変なので、シチューの材料にしてしまったらしい。
うちの村では乳製品は貴重品だったので、シチューに使うことはなかった。
「お口に合えばいいけれど」
「あの、実は水を使わずに作ったシチューは初めてで」
「あら、そうだったの」
いつもだいたい水と乳の割合は八対二くらいだ。十割乳のシチューなんて贅沢だろう。いったいどんな味なのか。ドキドキである。
食卓には、焼き立てパンに三角牛の乳シチューが並べられる。
ふわりと漂うバターの香り。橙色の根菜に、黄色い豆といろどりも綺麗だ。
まさかのご馳走に、ごくりと生唾を呑み込んだ。
食前の祈りをして、いただくことにする。
「どうぞ」
「いただきます」
まずは、ごろごろと大きく切ってある芋を匙で掬って食べる。
芋はほくほくで、かすかに甘味があった。三角牛の乳のまろやかな風味と濃厚なコクが、よくしみ込んでいた。
「ザラさん、美味しいです!」
「そう、良かった」
お肉は猪豚の燻製肉だった。強めの塩気がシチューの味を引き立てていた。
丸いパンを手に取る。フワフワで、二つに割ったらふわりと湯気が漂う。小麦の香ばしい匂いがたまらない。
一口大に千切り、シチューに浸して食べた。
言葉にできない美味しさ。
これは王都一のシチューだと思った。




