表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エノク第二部隊の遠征ごはん  作者: 江本マシメサ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

24/412

三角牛の乳シチュー

 やっとのことで王都に帰ることができた。

 三日ほどお風呂に入っていないけれど、寮に辿り着いた頃には限界だった。

 くたくた過ぎて何もする気にならず。

 顔と手と足を洗って、泥のように眠った。

 十日ぶりにお休みをもらった。今日ほど休日が嬉しい日はないだろう。

 朝、起きたら全身筋肉痛だった。辛すぎる。

 馬車は負傷者優先で使い、元気な私達は馬に跨って帰ったのだ。

 遠征+山登りの組み合わせだったので、体がバキバキになるのも頷ける。

 のろのろと起き上がった。騎士隊に入隊した時にもらった懐中時計の蓋を開き、時間の確認をする。

 残念なことに、朝食の時間はすでに終わっていた。深く深く落ち込んでしまう。

 はあと溜息吐いたら、お腹がぐうと鳴った。

 朝食を寝過ごすなんて最悪だ。昼食まであと二時間もあるのに。

 しかも、部屋に非常食は置いていない。急に遠征に行くことになり、私物のビスケットなども持って行って食べてしまったのだ。

 よって現在、室内にはまったく食料がない状況にある。


 意気消沈して、寝台にごろりと転がる。

 お昼まで寝よう。まだ、眠気は残っている。けれど――。

 ぐう。お腹が切なそうに鳴る。どうやら、空腹>眠気のようだ。むくりと起き上がる。はあと溜息。

 仕方がない。街に何か食べに行こう。


 暖炉に火を入れ、湯を沸かす。体を拭いて、服を着替える。

 灰色のワンピースを着て、髪を三つ編みにしてお団子に纏めた。

 窓を開けばひやりと冷えていたので、アルテンブルク侯爵家より支給された外套を着込む。なんと、これは私物として使っても良いらしい。なんて太っ腹な。

 けれど、中に着ているワンピースがダサくて残念過ぎる。

 先日、給料が出たので、何かお洋服も買いたい。

 髪飾りとか、靴も欲しい。

 そんなことを考えていたら、この前隊長に買ってもらった胸飾りを思い出す。

 箱を取り出し、包装を丁寧に剥がした。蓋を開いて、ほうと溜息を吐く。

 銀製で、五枚の花弁があり、中心に真珠がはめ込まれている綺麗な物である。

 灰色のワンピースに合わせたが、いまいちしっくりこない。

 きっと、王都で売っている素敵な服にしか合わないのだろう。

 今日はいいかと思い、胸飾りは箱にしまう。

 外套の頭巾を被り、外に出た。


 今日は市場ではなく、商店街のほうに向かった。

 朝でもなく、お昼でもなく。そんな時間帯だからか、人通りは少ない。

 買い出しでウルガスと何度も行き来した場所だったけれど、私用で買い物に来るのは初めて。

 給料をもらっていなくてお金がなかったこともあるけれど、休日は疲れていて部屋でぼんやりと過ごすことも多かったのだ。

 まだ、騎士隊の仕事に体が慣れていないせいもある。

 そんなことはさておき。

 初めてのお買い物に心躍らせていたら、見知ったような人物の背中を目にする。

 絹のように輝く金の髪を高い位置にくくり、背筋がピンと伸びた姿。真っ赤な外套に、丈の長いスカートを穿いた、女性にしては背の高いその人は――


「あれ、ザラさん?」


 きっと間違いないだろうと思い、駈け寄ってみる。


「ザラさ~ん!」


 声をかければ振り返る美人。


「あら、メルちゃんじゃない」

「奇遇ですね」


 ザラさんはどうやらお買い物中だったようで、荷物を両手に抱えていた。

 一週間分の食材らしい。


「メルちゃんもお買い物?」

「え~と、お買い物といいますか、実は食事を食いっぱぐれてしまって」

「まあ!」


 どこかお手頃で美味しい食事処でも教えてもらおうとしたら、想定外のお誘いを受ける。


「だったら、私の家に来ればいいわ。朝からシチューを煮込んでいたの」


 なんでも、残り物で作ったシチューらしい。買い置きのパンがなかったので、食べる前に買い物に出かけたとか。


「えっ、でも、なんか悪いですし」

「いいのよ。一人で食べるのも寂しいし。それに、家の見学もできるでしょう?」

「見学?」

「一緒に住む約束をしていたでしょう?」

「あ!」


 そういえばすっかり忘れていたけれど、ザラさんの家に下宿させてもらう話があったのだ。

 でも、あれから他の部隊の騎士が近付いて来ることもないし、大丈夫なんじゃないかと思う。


「騎士が寄って来ないのは、私が一緒にいるからよ」

「あ、で、ですよね」


 そうなのだ。

 あの日から、毎朝ザラさんは女子寮の門まで迎えに来てくれて、一緒に出勤している。

 こういうことを普通の男性騎士がすれば、寮長をしている女性騎士に叱られてしまう。けれど、ザラさんは女性達が出入りしている寮の出入り口に、完全に溶け込んでいるのだ。

 それどころか、女性騎士さんと仲良く世間話をしている姿も良く見られる。

 悪いなと思いつつも、甘えている状態だった。


 それにしても、女性騎士に混ざっても違和感がないザラさんとはいったい……。


 しかし、お休みの日に家に上がり込んでしまうなんて。

 ザラさんも疲れているだろうに。

 今日は遠慮をしておこう。そう思ったが、空気を読まない私のお腹がぐうと鳴ったのだ。


 ザラさんは私の腹の虫を聞いて、「あら、大変」と言う。恥ずかしくなって、顔から火が出るかと思った。


「じゃあ、急ぎましょう。焼きたてのパンも買ったのよ」


 残り物で作ったシチューだけど、かなりの自信作らしい。そこまで聞いたら、お誘いを断ることなんてできなかった。


「早く行きましょう。ここから近いの。ぐずぐずしていたら、パンも冷めてしまうわ」

「えっ、あ……はい。あ、ありがとうございます」


 結局、私はザラさんの家にお邪魔することになった。


 ◇◇◇


 ザラさんのお宅は商店街から少し離れた住宅街にあった。

 そこは、二階建ての細長い家が並ぶ場所で、黄や赤など、色とりどりに塗られた壁がとても綺麗である。


「ここが私の家」

「はあ、ご立派なお家で」

「賃貸だけどね」


 聞けば、そこまで家賃は高くないらしい。さらに、騎士隊には住宅手当もあるので、払う金額は僅かだと話す。


「そういえば、同居されている方はご在宅ですか?」

「ええ」

「あ、あの、大丈夫ですか?」

「平気よ。少し人見知りをする子だけど」


 そんな。私だって若干人見知りをする。

 ドキドキしながら、ザラさんの家にお邪魔をする。


「ブランシュ、ただいま!」


 同居人のお嬢さんはブランシュさんというらしい。

 どんな女性なのか、心待ちにしていたら――


「にゃあ」

「うわっ!?」


 ザラさんは振り返り、満面の笑みで紹介する。


「この子、山猫イルベスのブランシュっていうの」

「イ、山猫イルベスですと~~」


 山猫イルベスとは、北部の雪深い土地にのみ生息する大型の猫で、一部地域では愛玩用として飼っていると聞いたことがあった。

 その山猫イルベスが玄関で「にゃあ」という可愛らしい声で鳴いていたのだ。

 大きさは、成人男性が四つん這いになったくらいで、私の体よりも大きい。大人しい気性だと聞いたことがあったが、間近で見ると迫力がある。


 毛並みは雪のような白。ふわふわで、可愛い――じゃなくて!


「も、もしかして、同居人って‐―!?」

「ええ、ブランシュよ」

「そ、そんな~~!!」


 騙された。女の子の同居人が雌の山猫イルベスだったなんて。


「メルちゃん、散らかっているけれど」


 山猫イルベスのブランシュさんはお座りをして、じっと私を見ている。

 尻尾はぶんぶんと振られているので、敵対心はないようだが。


「メルちゃんのこと、観察しているみたい」

「お、お気になさらず……」


 ぎこちない動きでお邪魔をさせていただく。

 ビビるのは仕方がないということで。だって、こんなに大きな猫、見たことないし。

 よく見れば、首によだれ掛けみたいな物を巻いている。フリルで縁取られていて、とても可愛い。もしかして、ザラさんの手作りだろうか。


「にゃん」

「うわっ!」


 じっと眺めていたら、姿勢を低くして私の顔を覗き込んできたので、びっくりしてしまった。

 ザラさんは笑いながら、大丈夫だと言う。


「どうぞ、奥へ」

「あ、はい。お邪魔します」


 ブランシュの横を通り過ぎ、食堂兼台所へと向かう。

 食器の並べられた棚に、整理整頓された調味料入れ、手入れのされたかまど――そこは、男性の一人暮らしには見えない綺麗な台所だった。

 山賊兄弟の台所とは天と地ほども違う。

 食卓に掛けられている布の織り柄がまた見事で。ほうと溜息を吐いてしまった。


「それ、私の故郷の織物なの」

「すっごく綺麗です!」


 雪の結晶や森の木々、動物などが織り込まれている。

 うちの村は刺繍しかしないので、凄い技術だと、感心してしまった。


「細かい意匠はできないから、刺繍のほうが凄いと思うけれど」

「そんなことないですよ。とても綺麗です」


 なんと、この織物はザラさんが機織りをした物らしい。

 手先の器用さを羨ましく思った。

 そんな話をしているうちに、シチューが温まったようだ。


 三角牛の乳シチューである。


「しばらく家を空けていたでしょう? バタバタしていたから、遠征に行くって牛乳配達の人に言っていなくて、今日、四日分くらいまとめて持って来たのよ」


 一人で消費するのは大変なので、シチューの材料にしてしまったらしい。

 うちの村では乳製品は貴重品だったので、シチューに使うことはなかった。


「お口に合えばいいけれど」

「あの、実は水を使わずに作ったシチューは初めてで」

「あら、そうだったの」


 いつもだいたい水と乳の割合は八対二くらいだ。十割乳のシチューなんて贅沢だろう。いったいどんな味なのか。ドキドキである。


 食卓には、焼き立てパンに三角牛の乳シチューが並べられる。

 ふわりと漂うバターの香り。橙色の根菜に、黄色い豆といろどりも綺麗だ。

 まさかのご馳走に、ごくりと生唾を呑み込んだ。


 食前の祈りをして、いただくことにする。


「どうぞ」

「いただきます」


 まずは、ごろごろと大きく切ってある芋を匙で掬って食べる。

 芋はほくほくで、かすかに甘味があった。三角牛の乳のまろやかな風味と濃厚なコクが、よくしみ込んでいた。


「ザラさん、美味しいです!」

「そう、良かった」


 お肉は猪豚の燻製肉だった。強めの塩気がシチューの味を引き立てていた。

 丸いパンを手に取る。フワフワで、二つに割ったらふわりと湯気が漂う。小麦の香ばしい匂いがたまらない。

 一口大に千切り、シチューに浸して食べた。


 言葉にできない美味しさ。


 これは王都一のシチューだと思った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ