鳥肉のクレープ巻
大変な問題が発覚した。ここには洗剤がないらしい。なんてこった!
石鹸すらないというので、絶望してしまう。
頭を抱えていたら、以前に祖母が話していたことを思い出す。
――昔は食器を洗うのに、小麦粉を使っていたのよ。
そうだ。小麦粉石鹸だ。
なんでも、小麦粉の中にある麩質が油を吸い取って汚れを落ちやすくすると言っていたような気がする。
ちょっともったいない気がするけれど、背に腹は代えられぬ。腕まくりをして、掃除に取りかかった。
掃除に湯が必要だと言えば、見張り役の山賊は外で湯を沸かしてくると言っていなくなった。それでいいのか見張り番。
ここから逃げられそうな気がするけれど、現在地がどこだかわからないし、迷って遭難でもしたら最悪なので、大人しくしておく。
矢文を送ったというので、そのうち誰かが助けに来てくれるだろう。多分。
湯を沸かしてもらっている間に、雪鳥の血抜きをする。
縄で両足を縛り、その辺に放置されていた包丁で首を切り落とそうとしたが、錆びていて使えない。
この! この! と何度も叩き落とすようにして、首を切断した。……大昔の斬首刑かよ。
ふうとひと息吐いたところで、背後の扉が開く。振り返って、苦情を申し出た。
「すみません、この包丁、ぜんぜん切れないんですけど」
「ヒッ!」
山賊は私の顔を見て、軽い悲鳴を上げていた。何かと聞けば、顔が血だらけになっているとのこと。
「返り血を浴びただけです。刃が錆びていたので、何度も何度も包丁で首を叩いて切断したんですよ」
「そ、そういうことかよ。驚かせやがって」
「どうもすみませんでしたね」
どうやら刃物の砥石はあるようで、今から磨いてくれるらしい。勝手口から出て行く山賊。
だから、見張りはいいのかと聞きたくなる。驚きのザル管理だった。
雪鳥は逆さまにぶら下げ、血抜きをする。
それを待つ間、台所の整理をすることにした。
大きな桶を持って来て、汚い食器をどんどん入れていく。
桶の中に食器が山積みになった。そこで、やっと調理台が見えてくる。
どこもかしこも油でぎっとり。汚いので絶対に触りたくなかった。けれど、やらなければならない。
幸いなことに、たわしを発掘した。これで、いくぶんかは作業も楽になるだろう。
途中で湯が沸いたと、見張りの山賊がやって来る。
「すまん、包丁はもうしばらく掛かる」
「いいですよ。ここの掃除も結構な時間が掛かりそうなので」
水もほしいという要望を出せば、外にある井戸を自由に使って良いという許可が下りた。
「ここの扉を出てすぐ左にある」
「どうも、ありがとうございます」
だから、それでいいのか見張り役。
山賊は包丁研ぎに出て行ってしまった。
私は頬を両手で打ち、気合を入れて掃除を始める。
まず、湯の中に小麦粉を溶かす。このままでは熱いだろうから、外から雪を持って来て、温度を下げた。
トロトロになった小麦粉を油がこびり付いた調理台に垂らし、たわしで擦った。
石鹸の力には負けるが、まあまあ綺麗になる。麩質の力に感謝。祖母の生活の知恵に、ありがとうと心の中で呟く。
調理台が綺麗になれば、今度はお皿を洗う。もちろん、全部綺麗にするつもりはない。使う食器だけを選んで、小麦粉で油汚れを落とした。
最後に、かまどの掃除に取り掛かる。
きっと、灰が詰まっているに違いない。そう思って、ポケットの中の手巾を口と鼻に当てるように巻いて、かまど口を開く。
「うっ、汚いっ、げほっ、げほっ!!」
かまど口を開いた刹那、黒い灰がわっと舞い上がる。
窓を開き、扉も開けて全開にした。
灰を入れる桶を持って来て、火掻き棒を探すが、見当たらない。
「おうい、包丁研いだ――なんだ、これ、げほっ、げほっ!!」
お宅らが掃除をサボった結果だ! と叫びたい。
火掻き棒がないか尋ねたが、今まで見たことがないと言う。なんてこった。
「だったら、代わりの物を貸してください」
「んなもんねえよ」
「灰を掻き出さないと、料理できませんよ」
「そんなこと言ったって……」
どこかに長くて、先が平たい物がないかと聞けば、山賊の腰に良い物が差さっていた。
「あ、その剣、火掻き棒の代わりに使えそうです。貸してくれますか?」
駄目元で聞いてみる。さすがに拒否されるかと思っていたが――
「ああ、使いたかったら使え」
「あ、ありがとうございます」
武器、貸してくれるんかい。
なんか、結構抜けているし、良い奴臭がするので、山賊としてやっていけているのかと、心配になってしまった。
そんなことはどうでもよくて、掃除を再開させる。
さっさとかまどの中の灰を剣で掻き出した。
かまどを綺麗にしたら、やっと調理に取りかかれる。
その前に、雪鳥の解体をしなくては。山賊が包丁を研いでくれたので、解体もしやすい。
「貴族のお嬢さんは解体もできるんだな」
「し、社交界デビューの年に習うんですよ」
「へえ、意外だなあ……」
解体について聞かれぎょっとして、咄嗟に嘘を吐いたけれど、ぜんぜんバレなかった。
ホッと安堵する。
雪鳥の肉はむちむちしていて美味しそうだ。
羽根を毟り、内臓を取り出して、部位ごとに分けていく。
首肉、胸肉、手羽先、手羽中、もも、皮などなど。
まず、骨と旨味成分の強い手羽中、手羽先、芋を使ってスープを作る。味付けは香辛料と塩のみ。余計な味付けはせずに、素材の味を楽しんでいただく。
首肉は炙り焼きにする。これは軽く塩を振るだけで美味しいだろう。首肉は希少部位で、歯ごたえがあって旨味成分も強い。こってりとした味わいなのだ。
「すみません、蒸留酒か何かありますか?」
「あるぜ」
「調理に使うので、わけてください」
「わかった」
山賊は私の要望に応えてくれる。
「ほらよ」
「ありがとうございます」
「しかし、酒は何に使うんだ?」
「酒に漬けて、お肉を柔らかくするのです」
胸肉は脂身が少なくて、パサついているので若干食べにくい。けれど、お酒に漬ければ、柔らかくなるのだ。
山賊は感心するように「へえ」と言っていた。これも、祖母の暮らしの知恵だった。
胸肉は塩で揉んで、しばし酒に漬けておく。
その間に、小麦粉を水で溶いて、卵、塩コショウを混ぜる。
かまどに火を入れ、鍋にオリヴィエ油を敷いた。鍋が温まれば、生地を入れて薄く伸ばして焼いてく。
二十枚ほど焼いただろうか。皿の上に重ねていく。
生地はこれくらいにして、再び雪鳥の調理に取り掛かる。
酒に漬けていた胸肉を取り出し、軽く水で洗う。
細く切って、湯がいた。
芋も細切りにして、鳥皮と一緒にカリカリになるまで炒めた。味付けは塩コショウのみ。
もも肉は下味を付け、香辛料を混ぜた小麦粉を振ってカラリと揚げた。これが一番美味しいのだ。
最後に、ソースを作る。
とは言っても、たいそうな物ではない。その辺で発見したいつのかわからない牡蠣ソースに香辛料を入れて味を調えただけの簡単なソースだ。
お皿にもものから揚げ、炙った首肉、茹でた胸肉、皮と芋のカリカリ焼き、薄く切ったチーズなどを盛り付けた。
「もしかして、小麦粉の皮に巻いて食べるのか?」
「はい!」
「へえ、美味そうだな」
雪鳥が一羽しかなかったので、少量の肉でも満足感が得られるような料理を作ってみた。
見張り役の山賊と一緒に、居間に運んで行く。
どうやら食卓という物はないようで。床の上に置いて食べるらしい。
薄く焼いた生地と、肉の盛り合わせとスープ鍋、器を持って来る。
匙などもないらしい。主食は肉。ナイフで切り分けて食べるのだとか。
「なんだ、これは」
料理を見た山賊のお頭っぽい男が尋ねる。
「鳥煎餅です」
「見たことない料理だな」
「王都で流行っているんですよ」
「ほう?」
これはこの前食べた、白葱煎餅を参考に作った料理だ。
好きな具材を巻いて食べる。
山賊達は料理を見つめたまま動こうとしないので、適当に食材を選んで巻いてあげた。
まずはお頭の分から。具材は首肉にチーズ。牡蠣のソースを垂らして巻いた。
「どうぞ」
「お、おお」
葉野菜なんかがあったら、シャキシャキしていて美味しいんだけど、残念なことに芋しかなかった。まあ、間に合わせの食材で作ったわりには、良くできていると思うけれど。
山賊のお頭は眉間に皺を寄せながら、もぐもぐと鳥煎餅を食べていた。
「どうですか?」
「……美味い」
良かった。味覚はしっかりしていたようだ。
生地はもっちり。雪鳥の肉は身が締まっていて、美味しいはずだ。
味見していないので想像だけど。
他の二人にも作ってあげる。
「美味い!」
「こんなきちんとした食事、久々だ!」
お頭は続け様に五つ食べ、私のことを本物の貴族令嬢だと認めてくれた。
良かった……いや、ぜんぜん良くないけれど、この状況。
料理を作って貴族令嬢だと証明するとか、ありえない。なんじゃそりゃと言いたくなる。
食事が終われば、再び拘束されると思いきや、私を放ったらかしで酒盛りが始まる。
目の前ではどんちゃん騒ぎが起きていたが、急にぴたりと真顔になる山賊達。
床の上に置いていた剣を握った瞬間、扉がドンと蹴破られる。
「あ、ああ……!」
深夜の訪問者を前に、私は声が震えた。
なぜならば、山賊よりも怖い顔をした男が家に押し入ってきたからだ。
怖い。怖すぎる。
「お前ら、容赦しないからな!」
「ひえええええ!!」
「なんでお前が悲鳴あげるんだよ!!」
その指摘で我に返る。
よくよく見れば、強面の男はよく知る顔だった。
「隊長……!」
「鍋でも被って、じっとしておけ」
その一言を合図に、睨み合いを始める山賊達。(うち、一名は隊長)




