不味過ぎる猪豚の丸焼き
雪山から捜索本部へ戻れば、お貴族様――アルテンブルク侯爵より話があると集合が掛かる。
何かと思えが、労いのお言葉を直接言いたいとのこと。
けれど、ほとんどの騎士達は王都へ帰還したようで、広間にいたのは私達第二部隊を含む、二十名ほどの騎士だけだった。
「このたびは愚息がとんでもないご迷惑を掛けてしまい――」
まったくだと声を大にして言いたい。
アルテンブルク侯爵は詳しい事情を説明する。
なんでも、お坊ちゃんは使用人のお嬢さんと駆け落ちをしたのだ。二人の結婚は長きに渡って反対されていた。
急いで選んだ家柄も申し分ない娘さんをあてがおうとしたところ、駆け落ちをしてしまった。
この地はアルテンブルク家の避暑地で、ここは使用人用の館だとか。主人一家が住む屋敷はここから馬で数分走った先にあると言う。夏になれば毎年やって来ていたので、山小屋の場所など熟知していたらしい。
追っ手から逃れるため、お坊ちゃんと使用人のお嬢さんは途中から別々の行動を取り、山小屋で落ち合うことを決める。けれど、それが間違いだったのだ。
無謀にも、お坊ちゃんは山小屋を目指し、雪山を登って行った。
一方で、雪交じりの強風が吹いていたこともあって、使用人のお嬢さんは山に入らず、館の中で待っていたらしい。彼女は雪の深さを見て、登るべきではないと判断していたのだ。
お坊ちゃんが来るのを健気に待っていたが、一向にやって来ない。先に来て、山に入ったとは夢にも思っていなかったのだ。
もしかしたらどこかで問題に巻き込まれているのかと思い、騎士隊に通報したと言う。
そういう経緯があったかと、ほうほうと頷きながら貴族のおじさんの話を聞いていた。
お坊ちゃんは毛皮の外套を纏い、森の中腹にある山小屋に辿り着いていたらしい。けれど、いつまで経っても恋人はやって来ない。不安に思い下山。途中で崖から転げ落ちたというわけだった。
騎士隊も山小屋に探しに行ったらしいが、入れ違いになる。
まあ、無事に発見され、怪我も軽傷。良かったのではないか。
遠征軍の捜索も無駄にはならなかった。
で、結局使用人のお嬢さんとの結婚を認めるらしい。幸い、お相手は男爵家ご令嬢。家柄に格差はあれど、貴族社会を何も知らないわけではない。
なんとか頑張ってほしいと思った。
しかしまあ、話の長いこと、長いこと。だんだん眠くなる。
その様子に気付いた隊長が、外に行って目を覚まして来いと言う。
話の途中で退室するのもどうかと思ったが、立ったまま眠るよりはいいかと思い、部屋を辞する。
外に出て、ぐっと背伸びをした。
ひやりと寒かったが、倒れそうなほどの眠気を覚えていたので、心地よく感じる。
昨日使った鍋を外に干しっぱなしだったことを思い出し、回収に行く。
綺麗に洗えていたと思っていたが、バターの焦げがこびり付いていた。暗い場所で洗ったので、よく見えていなかったのだろう。
眠気覚ましに、鍋でも綺麗にしようと思う。厨房にたわしを借りに行った。
最近、特に焦げ付きやすくなっているような気がする。元々古い鍋なので、仕方がない話だけれど。
雪を鍋に入れて、たわしでごしごしと擦る。
なかなか頑固な焦げだった。力いっぱい磨いても、なかなか取れない。
寒くなってきたので、頭巾を深く被る。手もかじかんできた。
まだまだ焦げは完全に取れない。
一生懸命になりすぎて、私は気付いていなかった。背後より近付く存在に。
「お前が貴族の娘だな?」
「は!?」
その刹那、体がふわりと浮き、布で口を覆われた。
すぐに人さらいだと思い叫ぼうとしたが、布に沁み込まれていた何かを吸い込んでしまい、すぐさま意識が遠くなる。
む、無念なり……。
薄れていく意識の中で、麻布に巻かれて行く。
最後に見えたのは髭だらけで、がたいの大きい、本物の山賊だった。
◇◇◇
ガヤガヤと賑やかな声で目覚める。
うっすらと瞼を開けば、ガハハと笑う山賊の姿が。
騒いでいるのは隊長か……。
鍋を掛け布団のように私のお腹に乗せたのは誰だ。地味に重い。
そう思って再度瞼を閉じようとする。が、いつもと微妙に笑い方が違うことに気付き、ハッと目を覚ます。
起き上がろうとしたけれど、簀巻きにされていて、身動きが取れない。
周囲は見慣れぬ部屋の中。床には熊の毛皮を鞣した物が敷かれていた。
壁にも獣の皮が張り付けられている。
目の前には、山賊みたいな男の人が三人くらい座って酒を飲んでいた。
中心には、猪豚の丸焼きみたいな物がある。きちんと処理をしていないからか、獣臭さが充満していた。
そこで思い出す。私は攫われてしまったのだと。
鍋洗いに夢中になって、背後から近付く山賊に気付かなかったなんて、間抜け過ぎる。
これからどうしようか。
山賊三人衆から逃げられるわけもない。
鍋が重いので、わずかに身じろげば、私のお腹から滑り落ちて、カアン! と大きな音を立てた。
一斉に振り向く山賊達。
男達は髭だらけの強面に熊の毛皮を纏い、手元には大剣を置いている。どこから見ても、本物の山賊だ。隊長とはぜんぜん違った。怖いと、心から思う。
今度から隊長のことは、上品な山賊と呼ぶようにしよう。心に誓う。
いや、そんなことはどうでもいい。
「なんだ、目覚めたのか」
「!?」
ニヤニヤと私を見る山賊達。
声をかけられてびっくりした簀巻きな私は後ろへ転がったが、すぐに壁と激突してしまった。
「お前、アルテンブルク侯爵の娘だろう?」
違うけれど、正直に言えば何をされるかわからない。なので、コクコクと頷いておく。
「なんか、貴族の令嬢にしては妙にあか抜けない娘だが」
悪かったですね、田舎者で。
そんな言葉を喉から出す寸前で呑み込む。
今何時くらいだろうか。連れ去られてからどのくらい経ったか、まったくわからない。
外は真っ暗。窓から月明りが差し込んでいる。
はあと溜息を吐けば、お腹がぐうっと鳴った。
山賊達にガハハと笑われる。生理現象だけど、恥ずかしい。
「なんだ、腹が減っているのか。おい、バトス、肉を食わせてやれ」
え、優しい……。じゃなくて。
親切にも、美味しそうではない猪豚の丸焼きをナイフで裂き、私の口元へと持って来てくれる。
その肉を掴んだ手、綺麗なの!? ナイフも、黒ずんでいる。お肉はきちんと処理された物なの!?
嫌だ、お腹を壊したくない。私は繊細なんだ――と叫びたかったけれど、抵抗すれば何をされるかわからないので、黙っておく。
肉は無理矢理口の中に押し込まれてしまった。
「…………」
「どうだ?」
正直に言おう。シンプルに不味い。
まず獣臭くて、次に獣臭くて、最後に獣臭い。
最悪だ。
涙を流しながら、なんとか呑み込んだ。
「そんな腹減っていたのか。可哀想な奴め。おい、もう少し食わせてやれ」
「いや、いいれす」
「遠慮すんな」
遠慮とかじゃなくて心から嫌なのに、山賊達は私にたくさんお肉を食べさせてくれた。
本当に、ありがとうございました。
食事が終われば、山賊達は本題に入る。
「先ほど、矢文を送っておいた。お前の身柄は、侯爵サマがこちらの条件を呑むのと交換だ」
「……はい」
きっと、交渉に応じるのは騎士隊だ。
どうしよう。見捨てられたりしたら。恐ろし過ぎる。
「それにしても――」
「は、はい?」
「お前、なんで鍋なんか持っていたんだ?」
「え、え~っと」
「貴族のお嬢様が鍋洗っているって、おかしくねえ?」
「お、おかしくねえです」
お客様が来ていたので、手ずからご馳走を振る舞うのは、貴族令嬢の嗜みですと、適当なことを言ってみた。
こんな苦しい言い訳、信じるわけないと思っていたけれど――
「ほう、お前、料理できるのか?」
「た、嗜む程度デスワ」
「だったら今から何か作ってみろ。もしも美味い物が作れないのならば、お前は偽物のお嬢様だ」
「ええ~~」
あっさり、嘘の貴族令嬢の嗜みを信じてしまう山賊達。
簀巻きは解かれ、何か作れと命じてくる。
長い耳を見られないよう、頭巾はしっかり被っておく。
それから、外套の合わせ部分をぎゅっと握った。
毛皮が裏に張られた革製の上着は、雪山捜索用にアルテンブルク侯爵家からの差し入れで、高価な品だ。これさえ着ていれば、ただの田舎娘には見えないだろう。
剣で脅されながら、台所に連れて行かれる。
連れて行かれた場所は、死ぬほど汚かった。
石のかまどは煤で汚れ、洗い場は皿やカップなどが山積み。汚れは食器にこびり付いたまま。
冬なので虫が湧いていないのは幸いなことだけど、到底料理を作れる環境ではない。
「あの、ここでは調理できません。外に簡易かまどを作ってもらうわけには?」
「だめだ。ここで作れ」
「ええ……」
深い溜息。とりあえず調理場は見なかったことにして、料理の材料を見せてもらった。
外にある小屋に、食料は保存されていた。
どうやら狩猟をしつつ生活をしているようで、獣肉が多く見られる。
解体せずにそのまま放って置かれていて、血抜きすらしていないように見えた。保存状態は酷い物で、とにかく臭い。
「すみません、この中で一番新しいお肉は?」
「そこの雪鳥だ。朝狩ったばかりだが」
手に取れば、毛並みが艶々で、臭みもない。これならば、まだ美味しく食べられるはずだ。
雪鳥は美味しいと聞いたことがある。警戒心が強く、なかなか狩るのが難しいとのことで、一度も口にしたことがないが。腕のいい山賊がいるのかもしれない。
他に、強奪した物なのか小麦粉や香辛料もある。
朝獲りの鳥に芋、小麦粉、香辛料。材料はなんとかなりそうだ。
「あ、この卵は?」
「今日、雪鳥の巣から持ってきたやつだ」
さすが山賊。種の保存とか、そういうのまったく考えていない。
雪鳥は冬が繁殖期という珍しい鳥なのだ。
新鮮な卵なので、問題ないだろう。
この材料ならば、なんとか美味しい物が作れそうだけれど――。
山賊のお口に合うものが作れるのか。
けれど、アルテンブルク侯爵家の者でないとわかれば何をされるかわからない。
貴族令嬢であると証明するために頑張らなければ。
まずは掃除から。汚過ぎる台所を思い出し、白目を剥いてしまった。




