貧血改善! プルーンの赤ワイン煮
突然の転倒及び鼻血を噴きだす侯爵様の様子に、驚いてしまう。
私だけではない。部屋にいたアメリア、ステラ、エスメラルダもだ。
一番動転していたのは、娘のリーゼロッテである。
「お父様! お父様が死んでしまったわ!」
「死んでいないです!」
大事なことなので、早めにツッコんでおく。
動転しているのは、リーゼロッテだけではなかった。
ザラさんは血まみれの絨毯を見て、顔を真っ青にしている。
「やだ、これ、遊牧民の絨毯じゃない! 貴重な品なのにこんなに血がついちゃって、もったいない」
「大丈夫です。血は水と石鹸水で取れます」
とりあえず、ザラさんに絨毯の染み抜きを頼む。
「じゃあ、水と石鹸水とブラシを借りてくるわ」
「お願いします」
ザラさんは素早く部屋を出て行った。
それにしても、まさか侯爵様が一番に鼻血を噴いて失神するとは。
魔石獣は、刺激が強すぎたのだろう。
おろおろしている若い男性秘書が、人を呼んできたほうがいいのかリーゼロッテに聞く。だが、リーゼロッテの耳には届いていないようだ。
無理もない。突然、目の前で父親が血を噴いて倒れたのだから。
「あ、あの、だ、誰か、人を呼んで……」
「大丈夫です!」
私の言葉に、秘書は目を見開く。いったいどうして? という言葉は、聞かずとも表情をみてわかった。だから、答える。
「私はエノク第二遠征部隊の、衛生兵ですから」
それを聞いて安心したのか、落ち着きを取り戻したようだ。何か、お手伝いできることはないかと聞いてくれる。
「でしたら、冷たい水を浸して絞ったタオルを数枚準備してください。あと、この件は口外禁止です」
「し、承知いたしました」
稀少幻獣を見て興奮し、鼻血を噴いて気を失ったとか、幻獣保護局局長の沽券に関わる問題だろう。
この件は、誰にも話してはいけない。
そんなことはさておいて。さっそく、応急処置を行う。
まず、胸元に結んであるスカーフを外し、シャツのボタンを寛がす。
続いて、リーゼロッテと二人で侯爵様を起き上がらせようとしたが、成人男性は重たくてびくともしない。
『クエクエ!』
アメリアが手伝ってくれるらしい。
侯爵様の頭部を嘴で挟み、起き上がらせてくれた。
ちょっと面白い光景だったけれど、笑ってはいけない。奥歯を噛みしめ、ぐっと堪えた。
アメリアの協力を得て、侯爵様を私の胸にもたれかかるような体勢を取る。
「リーゼロッテ、エスメラルダを籠の中に入れて、布を被せておいてください」
「わ、わかったわ」
鼻血を噴いて倒れた侯爵様に「この人、突然なんなの?」とドン引きの視線を向けていたエスメラルダは、リーゼロッテの手によって籠の中に納められる。
侯爵様が目を覚ました時に、驚かせないためだ。
エスメラルダは大人しく籠の中に入ってくれたので、ホッとする。
応急処置を続けた。
頭を下に向かせて、喉に流れ込んでいた血を吐かせる。
その後は、丸めたガーゼを鼻腔に詰めて、出血の勢いを止めた。
「リーゼロッテ、侯爵様の鼻を摘まんで止血してください」
「全力で、鼻を持つの?」
「いえ、そこまで強くなくてもいいですので」
秘書が持ってきたタオルで、額と鼻を冷やす。
と、そんなことをしていたら、侯爵様の意識が戻った。
「──うっ」
「お父様!」
リーゼロッテが駆け寄って抱き着こうとしたので、手で制す。
「私は、いったい?」
「鼻血を噴いて、倒れたのですよ」
「!?」
侯爵様は私にもたれかかっている状況に気づき、慌てて離れる。
しかし、貧血状態なのか、額を指先で押さえていた。
血を失ってしまったので、鉄分不足に陥っているのだろう。
「何か、鉄分補給できるものを準備してきますね」
「ああ、すまない」
私は秘書に、案内を頼んだ。
魔石獣の入った籠は忘れないように手に持って、局長室を出る。
◇◇◇
まずは、貧血改善に良い食べ物の調達から。
「あの、幻獣用の果物ってありますか?」
「はい、ございます」
保管庫まで案内してもらう。
第二部隊の騎士舎と同じくらい大きな保管庫には、大量の果物が入っていた。
これらは、午後から王都に住む幻獣と契約している家に届けられるらしい。
「はあ~、すごいですね」
「ええ。国中の新鮮な果物が、ここに集結しております」
その中で、貧血に効く果物を見つけ出す。以前、アメリアが食べていたので、あるだろうと確信していたのだ。
ここには生の果物だけでなく、加工した果物も置いてある。
ついでに、エスメラルダの好物がないか聞いてみるも、ここでもツーーーーンだった。
いったい、彼女は何を食べるのか。
しかし、今はとにかく、侯爵様の貧血対策を急ぐことにした。
保管庫の中を探ること数十秒。すぐに、目的の乾燥果物を発見した。
「あ、ありました」
楕円形の紫色の皮の果物。名前は紫李だ。
これは、フォレ・エルフの森にも自生していて、貧血に良いと聞いたことがあった。
幻獣保護局では、主に干して食べる保存食として選ばれているらしい。
もう一つ、赤葡萄酒と檸檬を拝借する。
それにしても、お酒まであるなんて。
どうやら、お酒を嗜む幻獣もいるらしい。う~ん、渋い。
「では、これらをいただきますね」
「はい、どうぞ」
材料が揃ったので、給湯室に移動した。
まずは魔石で火を熾こしてもらう。
次に、鍋に乾燥紫李と砂糖、檸檬汁を入れて、たっぷり赤葡萄酒を入れる。
それを火にかけ、ぐつぐつ煮込むのだ。
乾燥紫李がふっくらと炊きあがったら、『紫李の赤葡萄煮』の完成だ。
ここは主にお茶を淹れるところなので、赤葡萄酒煮を入れる深皿はない。
仕方がないので、鍋ごと持って行く。
局長室に戻ると、先ほどの情けない様子は見事に感じられず。
威厳たっぷりな様子で執務に就いていた。
そんなことはいいとして、紫李の赤葡萄煮を差し出す。
鍋ごとだったので驚いた顔をしていたが、すぐに事情を察したのか無表情になった。
「侯爵様、こちらで鉄分補給をしてください」
「ああ、すまない」
侯爵様は優雅な所作で、紫李を匙で掬って食べた。
「…………」
「どうですか?」
眉間にぎゅっと皺を寄せながら、侯爵様は言った。
「甘酸っぱく、品のある味わいだ。思いのほか、うまかった」
鍋ごと出てきた料理に、まったく味の期待は寄せていなかったようだ。
しかし、おいしいと言ってくれてよかった。
ものの数分で、完食してくれた。
効果が出たからかわからないけれど、侯爵様の顔色もよくなった。
リーゼロッテもホッとした表情を見せている。
落ち着いたところで、魔石獣について話す。
「魔石獣がいたのは私の夢の中かと思ったが、現実だったか」
「はい」
侯爵様は遠い目をしながら話す。
私は魔石獣と出会い、うっかり契約してしまった経緯を話した。
「お前の周りには、どうして稀少な幻獣が集まるのだ」
「世界の七不思議の一つかと」
「まったくだ」
出されたクッキーを齧りながら、しみじみと話をしてしまった。
「それはそうと、魔石獣が果物を食べないのです。何が好きなのか、ご存じですか?」
それを聞いた途端、侯爵様の眉間に皺がぐっと寄った。
「魔石獣については、竜の生態以上に謎とされている」
「つまり、侯爵様にもわからないと」
「まあ、そういうことだ」
「そうですか」
膝の上の籠に入れてある魔石獣を、ぎゅっと抱きしめる。
せっかく契約を結んだのに、何も食べられないなんて可哀想だ。
「しかし、人と契約している以上、幻獣は飢えることはない」
侯爵様は茶菓子のクッキーを摘まみ、私に示しながら言った。
「契約している幻獣にとって、果物は茶菓子のようなものだ」
「あったら嬉しいけれど、なくても平気、ということですね?」
「そうだ」
私はこの世にお菓子がなくなってしまったら、とても悲しい。
だから、エスメラルダの好物を、なんとしても見つけたいと思った。




