沢蟹の素揚げ
馬車移動を経て、ヌル山へと到着する。
寒冷地と聞いていたので騎士隊の外套を纏ったけれど、それでも肌寒い。
腕を摩っていたら、もう一人、寒さに堪える者がいた。
「う~~っ、思っていた以上に、寒いですね」
ウルガスも寒がりなようで、ブルブルと震えていた。
「ガ、ガルさんが、羨ましい……」
ガルさんは換毛期を経て、夏毛(?)に生え変わっているようだけれど、それでもモフモフだ。
ああ、しっぽを首に巻きたい……というウルガスの呟きに、心の中で同意してしまう。
最近スラちゃんがガルさんのブラッシングを趣味としているので、毛並みがピカピカなのだ。
「来世は、毛深くなりたい……」
「ウルガス、お前は何馬鹿なことを言っているんだ!」
隊長がやってきて、ウルガスの肩をどん! と叩く。力が強かったのか、ウルガスはてんてんとから足を踏み、涙目で振り返っていた。
「寒いんだったら走れ!」
「……はい」
しょぼんとしたウルガスに、ザラさんが毛糸のマフラーを巻いてあげていた。
「ジュン、これ、使っていいわ」
「アートさん! いいのですか?」
「ええ。これを巻いていたら、戦闘の時に動けないだろうし」
「あ、ありがとうございます」
紫色の縄編みのマフラーで、大人の女性が好みそうな色や意匠だけれど、ウルガスは喜んでいた。そんなに寒かったのか。
ザラさんと二人、ヌル山を仰ぎ見る。
「それにしても、すごい霧ね……」
「ええ、山頂が見えません」
ヌル山は寒い上に霧も深い。迷子にならないようにしなければ。
その前に、リーゼロッテよりアメリアやステラが何かに気付いていないか、話を聞くように頼まれた。
「わたくしは、わからないの。でもなんか、嫌な予感がして――」
「ちょっと聞いてみますね」
アメリアは首を傾げている。ステラはわからないと、ぺたんと耳を伏せながら答えた。
「二人共、特に何も感じないようです」
「そう」
「アルブムはどう思いますか?」
振り返ったが、アルブムの姿はない。
「あれ、そういえば、アルブム、いなかったですね……」
馬車の中も静かだった。もしかして、アルブムのこと、忘れた?
「なんだ、食いしん坊妖精、来てなかったのか?」
「すみません、連れてくるのを忘れていたみたいで」
っていうか、たぶん、旧エヴァハルト伯爵家に置いてけぼりだ。
アルブム……なんというか、ごめんよ。
まあ、アレだ。お土産を買って帰ろう。
そんなわけで、アルブム抜きでヌル山に挑むことになる。
隊列は、先頭に隊長、続いてザラさん、ガルさん、リーゼロッテ、私、アメリア、ステラ、ウルガス、ベルリー副隊長との順となる。
最初は緩やかな山道だったけれど、だんだんごつごつとした岩場となり道のりも険しくなってくる。
霧で視界も悪い。さらに、山肌に沢が刻まれ、大規模な川が流れていることがわかった。
「これが、霧、なるのよ!」
リーゼロッテが息を切らしながら教えてくれた。
なんでも冷やされた空気が川の水面に運ばれて、蒸発する水蒸気が霧に変化するようだ。
一番前を歩く隊長の姿が、霧で霞んでいる。それほどに、霧が深い。
水に濡れた岩場は非常に歩きにくい。
ガルさんが心配して、あとに続く私とリーゼロッテを何度も振り返って確認してくれる。
「――あ!」
岩場の隙間から、沢蟹がひょっこり顔を覗かせていた。人差し指と親指を丸めたくらいの大きさだ。
これは、油で揚げたら美味しい。
さっと、捕獲して革袋に入れる。
そのあとも、沢蟹を発見するたびに革袋に詰めていく。けっこうな量が獲れた。
「うわっ!」
五匹の沢蟹一家を発見した。逃がさないように、すべて捕まえる。
「リスリス衛生兵……」
「あ、すみません」
沢蟹獲りに夢中になってしまった。ウルガスから、非難の視線を浴びてしまう。
真面目に歩かなければ。そう思っているところに――。
「ぎゃあ!」
岩のコケに足を滑らせ、危うく転びそうになった。
近くにいたアメリアが、外套の頭巾を銜えてくれたので難を逃れる。
「おい、リスリス、気を付けろよ」
「は、はい。すみません」
いち早く振り返ったザラさんよりも早く、前を向いたまま前を歩く隊長より注意が飛んで来た。
耳がいいな。
いやいや、そんなことより、気を付けよう。
『クエ~!』
「あ、前方より、魔物接近です!」
『クウクウ、クウクウ!』
「数は五、蛙型の魔物です」
アメリアがいち早く気配を察知し、ステラが魔物の数や特徴を教えてくれた。
足場が悪い中、みんな武器を構える。
しばらくして、魔物が見えてきた。一メトルくらいの青い毒蛙だ。
長い舌から、毒を吐き出すので注意が必要だ。
毒蛙は川の水を避けるようにして、岩場から岩場へとぴょんぴょんと跳びながら接近してくる。
「――スッキリしない霧の中で、むしゃくしゃしていたんだ! 殺してやる!」
隊長がそんな山賊み溢れる言葉を叫びながら、岩場を跳んで毒蛙に斬りかかる。
背中から一刀両断だ。
続いて、ザラさんのほうにも毒蛙が跳んで行く。毒のある舌を飛ばしてきたが、ザラさんはヒラリと避けて接近し、戦斧で斬り伏せた。
毒蛙の一匹は沢を囲むようにある高い樹に跳び移り、私達から距離を取る。だが、その個体を、ウルガスは矢を射って仕留めた。
ガルさんは槍で薙いだ毒蛙を、ベルリー副隊長が脳天を剣で突き刺す。素晴らしい連携だ。
最後の一匹は、リーゼロッテが火柱で丸焦げにしてしまった。
毒蛙がいた岩場は黒くなっていて、何も残っていない。相変わらず、彼女の魔法は火力強めだ。
戦闘は終了となった。
それから少し進み、長めの休憩を取る。
四時間くらい沢登りしていただろうか。
隊長はどっかりと座り、溜息と共に呟いた。
「なんか腹減った」
「何か軽く食べましょう」
「そうだな」
「良い食材を見つけたのです」
そう言うと、隊長が身構える。
「リスリス、お前、さっきの毒蛙を調理するとか言うんじゃないよな?」
「違います。私は魔物の調理はしません!」
何度も魔物喰いはしないと言っているような気がするけれど、繊細な隊長は私を疑っている。
「調理するのは、コレです」
「ん?」
革袋の中の沢蟹を見せてあげた。
「気持ち悪っ! なんだ、この茶色い虫みたいなヤツは!」
「沢蟹ですよ。虫じゃありません」
「蟹?」
「蟹です。隊長は武器の手入れでもしていてください。その間に、ちゃちゃっと作るので」
隊長は疑いの視線を向けていたが、私は気にせずに調理を開始する。
「スラちゃん、またお手伝いしてくれますか?」
スラちゃんに調理の手伝いを頼んだら、手でマルを作ってくれた。
沢蟹は数時間水に浸けて、泥吐きさせなければならない。
しかし、スラちゃんがいたら、泥抜きも一瞬で終わる。
「生きたままで大丈夫ですか?」
問題ないらしいので、沢蟹をスラちゃんへと渡した。
沢蟹を口に含んだスラちゃんは、モグモグと口を動かしてぴゅいっと泥を吐き出す。
鍋や調理器具を用意していると、アメリアやステラが簡易かまどを作ってくれた。
乾いた木などはないので、リーゼロッテの魔法を火力として使う。
最近、調理用の制御を覚えたようで、問題なく使えるのだ。
鍋を置き、先日作った猪豚脂を入れて溶かす。
スラちゃんが泥抜きした沢蟹は一度水で洗って、水分を拭った。
そして――油の中に沢蟹を入れて素揚げする。
『クエ―……』
生きたまま素揚げされる沢蟹を見たアメリアが、戦々恐々としていた。ステラも、驚いてアメリアの後ろに隠れている。
こういう調理法があるのだよ。
沢蟹が真っ赤になったら、油からあげて塩を振る。『沢蟹の素揚げ』の完成だ。
その辺にあった丸い葉を円錐状にして、沢蟹の素揚げを入れてみんなに差し出す。
「リスリス衛生兵、これは?」
ベルリー副隊長も、沢蟹は初めてだったようだ。
「沢蟹です。フォレ・エルフの村では、これをおやつ代わりに食べていました」
「なるほど」
「見た目はアレですが、案外おいしいですよ」
ベルリー副隊長は笑顔で受け取り、お礼を言ったあとパクリと食べる。
「うん、おいしい。酒のつまみになりそうだ」
ベルリー副隊長の感想を聞いた隊長がピクリと反応する。
「隊長もどうぞ。おいしく揚がっていますよ」
勧めると、素直に受け取ってくれた。
火が通って真っ赤になった沢蟹を見て安心したのか、躊躇うことなく食べる。
すると、隊長はカッと目を見開いた。
「これは――うまい!! 香ばしくて、噛むと旨味が溢れて……確かに酒に合いそうだ!!」
お気に召したようで良かった。
隊長は私の顔を見るなり、「酒!」と言うが、首を横に振った。
下町食堂メルは、お酒の扱いがございませんので。
……あしからず。