メル・ドレスアップ!
シエル様のおかげで、茹だるような暑さはなくなった。
これで、市場の人達もひと安心だろう。
新聞各紙には、セレディンティア国の英雄が大活躍と報道されていた。
貴族達はひと目でもいいからシエル様の姿を見たいと言い、祝賀会を開催したいと望んでいたらしい。けれど、それは侯爵様がすべてお断りをしたようだ。
さすが、リヒテンベルガー侯爵家の御威光である。誰も逆らえないらしい。
そのおかげで、シエル様は平和にスローライフを楽しんでいる。
そして、私達は旧エヴァハルト伯爵邸に引っ越した。
今度からここは、リヒテンベルガー侯爵家別邸となるらしい。
館内は新しい絨毯が敷かれ、カーテンも新しくなり、照明は贅が尽くされた水晶のシャンデリアが輝いている。
「うわ~~!」
床も、窓も張り替えられて、新築のようになっていた。
使用人が最低限しかおらず使っていない部屋は埃まみれだったけれど、今はどこの部屋を見ても綺麗だった。
なんと、二階には侯爵様の執務室もあるらしい。
リーゼロッテに聞いてみたら、意外な答えが返ってくる。
「お父様も寂しいのよ、きっと」
寂しがり屋の侯爵様と聞いたらちょっと可愛いかもしれない。
いや、可愛くないか。
庭はシエル様がスローライフできるように、草が生え放題のままにしてある。
さっそく、籠を持って薬草摘みに行ったようだ。日中は暑くなるので、気を付けたほうが良いと声をかけたら、兜の上からタオルを巻きその上から麦わら帽子を被るという不思議ないでたちで出かけて行った。
……いや、そうじゃなくて。
『鎧の熱は、コメルヴが逃がすからだいじょぶ』
そんなことを言って、コメルヴはシエル様のあとをテテテと追う。
コメルヴがいて本当によかった。
アメリアは絨毯の上に横たわり、大勢の侍女さんに囲まれて羽の手入れをしてもらっている。女王様か。
ステラは侍女さん達と玉遊びをしているようだ。
珍しく、尻尾を振って嬉しそうに飛び跳ねている。
そこに、山猫の白にゃんこと黒にゃんこも交ざった。
みんな、楽しそうだ。
引っ越しといっても、私はほとんど何もしていない。
ベルリー副隊長の家に置いていた私物を取りに行ってくれたのも侯爵家の使用人で、部屋も用意してくれていた。
私の部屋は、二階の端にある。真向いがリーゼロッテの部屋らしい。ザラさんの部屋は一階にあるようだ。
部屋の中は可愛らしい花柄のカーテンに、家具は白で統一されていた。
寝室が別にあって、これがまた、童話のお姫様が寝ているような天井付きの可愛らしい寝台で……!
なんと、衣裳部屋まであるというのだ。
色とりどりのワンピースに、履ききれないほどの靴。それから、リボンもたくさん用意してある。
ザラさんと二人でキャッキャ言いながら見ていた。
「メルちゃん、ドレスがあるわ!」
「わっ、すごいですね」
春の森のような緑色のドレスで、背中にたくさんリボンがある可愛らしい意匠だ。
ザラさんが私の体に当ててくれる。
「可愛いわ~」
「ありがとうございます」
ザラさんが試着してみたらどうかと言う。
「でも、パーティーとか行く予定ないですし」
「予定がないからこそ、着てみなきゃ。そうでないと、一生着ないわよ」
「それもそうですね」
しかし、背中にボタンや紐があって、私一人では着られそうにない。
「私がお手伝いできたらいいんだけれど」
そうだった。ザラさんは男の人だった。最近はずっと男装しているのに、こうして服のことで盛り上がっているとつい忘れてしまう。
「リーゼロッテの侍女に頼めないか、聞いてくるわね」
「え、そこまでしなくても」
「そこまでしてでも、私がみたいのよ」
そう言って、ザラさんは衣装部屋から出て行った。数分後、侍女さんが三名もやって来る。
「なんか、すみません」
「御用がありましたら、なんなりと」
「ど、どうも」
侯爵様の養子となって、私もご令嬢の仲間入りをしたのだけれど、イマイチ実感はない。
この先も、きっと慣れないままだろう。
それにしても、三人がかりでないと着ることができないのか。
ドレスって、鎧を装備するようだと思ってしまう。
それから、きっちり一時間ほどかけてドレスの装着をした。これで終わりかと思って背伸びをしていたら、侍女さんから肩を鷲の鉤爪のようにガッシリと掴まれる。
「まだ、お化粧と髪結いがございます」
「ヒエエエエ!」
思わず悲鳴をあげてしまった。
しかし、着付けをする侍女さんのほうがもっと大変だ。大人しくしておく。
さらに一時間後――やっとのことでドレスの装着が完了した。
髪は編み込んで、一つに纏めている。白いリボンで結んでもらった。
大がかりな化粧は初めてだ。
「メルお嬢様、いかがでしょうか?」
「うわっ、別人!」
鏡の向こうにいる私は、おとぎの国のお姫様のよう。
侍女さん達は、素敵な魔法使いなのだ。
ザラさんを呼んできてもらった。きっと、褒めてくれるだろうと思ったけれど――。
「あ、メルちゃん……とっても、綺麗よ」
なんともあっさりとした反応だった。目が合っても、サッと逸らされてしまう。
準備する時間が長すぎて、待ちくたびれてしまったのだろうか。
正直に言ったら、ちょっとがっかりしてしまった。
ドレスが綺麗だから着たかったということもあったけれど、ザラさんが喜んでくれるだろうという気持ちもあったのだ。
やっぱり、私みたいなあか抜けない森育ちのエルフには、ドレスなんか似合わなかったのだ。
お互いに顔を伏せ、気まずい時間を過ごす。
「あ、あの、ごめんなさい」
耐えきれなくなって謝ったのと同時に、涙がポロポロと零れてしまった。
ギョッとするザラさんの様子が見えたけれど、出てしまったものは仕方がない。
ザラさんが駆け寄って、涙を拭ってくれる。せっかく綺麗に化粧をしたのに、台無しになってしまった。
堪え性のない己を、恥ずかしく思う。
「メルちゃん! やだ、なんで泣くの?」
「だって、私にドレスなんか、似合わないんだって思ったら、悲しくなって……」
「違うわ! とっても似合っている。綺麗で、ビックリした。だから――」
「だから?」
「寂しくなってしまったの。メルちゃん、侯爵家の養子になっちゃうし、そのうち手の届かないどこかへ行ってしまうんじゃないかって」
「どこにも、行きません」
「でも、本当に綺麗だから、どこからか王子様が現われて、メルちゃんを攫ってしまいやしないかと」
「いやいや、ありえないですよ。私はエルフの村で、婚約破棄された、価値のない存在ですから」
そう言った瞬間、ザラさんは私の手をぎゅっと握りしめる。
「メルちゃん、自己卑下は良くないわ。言葉って、口に出してしまうと、本当になるの」
「え、えっと、はい」
ザラさんの勢いに押され、体がのけ反る。
「メルちゃんはみんなに優しいし、可愛いし、料理上手だし、ドレスを着たらこんなに綺麗になるんだから、自分に自信を持って! 王都だったら、引く手あまたよ!」
「は、はい、ありがとうございます!」
その言葉を聞いて、自分を否定するのは止めようと決意した。
だって、ザラさんが私のことを綺麗だと言ってくれたから。
それにしても、驚いた。
ザラさんはドレス姿の私を見て貴族と結婚するかもしれないと危惧し、寂しく思ってしまったのだとか。
もしかしたらどこかの物好きが私を見初めるかもしれないけれど、貴族の人との結婚はありえない。
「私はこの先、ザラさんを寂しくさせるようなことはしないので」
「メルちゃん……ありがとう」
ザラさんまで目をウルウルさせている。
「あのね、メルちゃん。私、メルちゃんと――」
ザラさんが何か言いかけた途端、廊下からガタンという音が聞こえた。
「誰!?」
廊下に出てみると、水晶剣を杖のようにして床に突いている全身鎧が。
「貴族の屋敷の廊下にある甲冑っぽくしていますが、シエル様ですよね」
「し、しかり」
直立不動でいたので、見事な甲冑への置物の成りきりっぷりを見せていたが、タオルを巻いて麦わら帽子を被っていたので、シエル様だということがすぐにわかった。
私に用事があったようだけど、取り込み中に思えて声をかけることができなかったらしい。
そっと立ち去ろうと思ったけれど、手にしていた水晶剣を落としてしまったようだ。
ザラさんと共に苦笑してしまったのは、言うまでもない。