野鳥のトマトソースがけ
「――お嬢様。メルお嬢様、朝です」
「う~ん」
「メルお嬢様、遅刻してしまいますよ」
耳元で誰かが優しく囁いている。今まで、こんなに柔らかい声で話しかけられたことはないかもしれない。
「メルお嬢様、起きてくださいまし」
彼女は天からの使者かもしれない。私もこんなふうに、穏やかな声で話したい。
そんなことを考えてたら――。
『クエエエエ!!』
頭上でアメリアが高い声で鳴く。
あと、ほっぺたにぐいぐいと柔らかい肉球が押し付けられた。
このプニプニ肉球は、ステラだろう。
なんだ、肉球自慢か。と、ここでハッとなる。
「うわっ、朝だ!」
私を取り囲むのは困り顔の侍女とステラ。それから、キリリとした表情のアメリアである。
すぐさま起き上がり、謝罪した。
「すみません、今起きました。それから、おはようございます」
「おはようございます、メルお嬢様。昨晩は暑かったので、桶に水をご用意しました」
「あ、ありがとうございます」
お嬢様と呼ばれるのは慣れない。しかし、私はリヒテンベルガー侯爵家の養子になったのだ。受け入れなければならない。
それよりも、桶の水は助かる。昨晩は暑くて、寝汗をかいていたようだ。
寝間着を脱ごうとしたら、アメリアにちょっと待つように言われた。
寝台の端にある枕の下に嘴を突っ込んでいる。何やらごそごそとしていたが、顔を出した時には嘴に何かを銜えていた。……アルブムである。
まだ眠っているのか、だらんと胴が垂れていた。が、すぐに異変に気付いて目覚める。
『ハッ! ココハ、イッタイ……!?』
『フエッ!』
アメリアはアルブムを銜えているので、「クエ!」と鳴けないようだ。
『ア、アルブムチャン、食ベラレテイル? アルブムチャン、オイシクナイヨ!?』
『フエエエッ!』
アメリアは銜えたアルブムを、侍女に渡していた。
「はい、旦那様のもとへ、お運びいたします」
『エ、待ッテ! ゴ主人様ノトコロニ、連レテ行クノ!?』
アルブムは問答無用で、侯爵様のもとへと運ばれて行った。廊下から『イヤ~~』という叫び声が聞こえる。そんなに嫌がらなくてもいいのに。まあ、心の中で健闘を祈る。
その後、桶の水で手巾を絞り、体の汗を拭いた。すっきりした。
寝坊したので優雅に朝食を食べている暇などない。
侍女が持って来てくれたサンドイッチを食べ、紅茶で流す。
玄関まで小走りで向かった。
リーゼロッテはすでに準備万全だった。
「リーゼロッテ、おはようございます」
「おはよう。メル、今日は朝食の席にいなかったけれど、お寝坊だったの?」
「はい。まさかのお寝坊でした」
「疲れていたのね」
「まあ……。暑かったですし、眠りが浅かったのかもしれません」
「本当に、昨夜は暑くて寝苦しかったわ。思わず、お父様に氷を魔法で作ってもらうように頼みにいったもの。しぶしぶ、氷塊を作ってくれたわ」
「侯爵様、すごい。氷魔法も使えるのですね」
「ええ、そうよ。低級のものしか使えないらしいけれど」
「それでも、素晴らしいです」
「今晩、メルの分も作ってもらうように頼んでみるから」
「いえいえ、悪いです」
しぶしぶ作ったと言っていたので、属性適性のない魔法を展開させるのは大変なことだろう。
「いいのよ。メルもお父様の娘でしょう? 我儘の一つや二つ、言ってもいいのよ」
そんなリーゼロッテの教えに、はははという乾いた笑いしか出てこなかった。
「あ、お父様だわ! お父様~!」
出勤前であろう侯爵様を、リーゼロッテが捕まえる。
「どうした?」
「お父様の氷魔法を、メルが見たいって」
言っていない、言っていない!!
大切なことなので、二回言ってみる。忙しいのに、頼めるわけがない。
「別に、氷魔法などたやすいものだ」
そう言って、侯爵様は魔法で氷を作り出す。
「わっ!」
侯爵様は、拳大の氷を三つ作り出した。
両手で受け取ったが冷たかったので、すぐさまニクスの中に入れた。
「ありがとうございます! 今、氷が高騰していて、助かります」
「別に、構わん。欲しい時があるのならば、いつでもいえ」
「はい」
侯爵様へのお礼として、アメリアに乗せてあげた。親子は二人で跨り、とても嬉しそうだった。
◇◇◇
朝礼の時、隊長の表情でだいたい通常勤務か遠征かがわかるようになった。
見分け方は簡単だ。通常任務の時は、眉間に皺がない。一方、遠征の時は全力で眉間の皺が寄っている。いつもより、山賊みが増しているのだ。
そして今日は――眉間に皺が寄っていた。言わずもがな、遠征である。
ここでも、どういった任務かわかるのだ。
遠方の場合は、口が歪んでいる。とても嫌そうにしているのだ。一方、近場の場合は、口が片方に寄っている。
隊長の顔をまじまじ観察していると――口が片方に寄っていた。本日の遠征は、近場らしい。
「今日は遠征だ。近くの森に調査に行く」
本日も予想どおりだった。
なんでも、この連日の暑さは異常気象らしい。魔法の影響をどこからか受けているのではと、魔法研究局が発表したのだとか。原因は謎とのこと。
「リヒテンベルガー、資料だ」
「ええ」
リーゼロッテは隊長からもらった書類に視線を落とす。
なんでも魔法使いのいる部隊に、調査が任されたらしい。
「この前の、魔物に魔石を仕込んだ事件との絡みが疑われているらしい」
隊長が神妙な表情で話す。
誰か、この国を混乱へ陥れようと企む存在が潜んでいるようだ。ゾッとする。
正体不明と聞いて思い出す。
「そういえば、以前、スラちゃんが誘拐された時の犯人って、どこの所属かわからないままでしたよね?」
魔物研究局の局員を装ってスラちゃん見学に来たおじさんは、どこの組織にも属していない謎の人物だったのだ。
「何か、関連があるのではないかと思って」
私が思いつくくらいなので、とっくに調査はしているだろうが。気になるので、質問してみた。
「いや、あの男は――」
隊長は言い淀んだあと、険しい表情で答えた。
「拘束した三日後に、逃走したらしい」
「なんと!」
自殺とか、他殺とか、そんな物騒な想像をしてしまった。
しかし、折角捕まえたのに、なんともモヤモヤする結末だった。
ここで、ウルガスが挙手する。
「隊長、それ、なんで俺達に知らせなかったのですか?」
「上から、聞かれない限り答えるなと言われたからだ。理由はわからん」
上層部は何かを隠している?
侯爵様も、最初に見つけた魔石は上に報告するなと言っていた。誰かを警戒していたようにも思える。国の内部で、何かが起こっているのか?
私の知らない場所で、何やらきな臭い事件が動いていたようだ。
◇◇◇
夏の森は緑の主張がすごい。見渡す限りの、鮮やかな緑色である。
木漏れ日が差し込む森の中は一見涼しげに思えるが、燃えるように暑い。
そんな中を、私達は歩いていた。
「もう、想像を絶する暑さだわ」
汗を掻いているようには見えないザラさんが、うんざりしたように言う。
「本当です~~」
返事をするウルガスは、一日中公園で遊んで帰って来た子どものように汗だくだ。
全身毛だらけのガルさんも辛そうだ。
「リスリス衛生兵、大丈夫か?」
「あ、はい」
真昼間からの遠征で辛いのに、ベルリー副隊長は私の心配までしてくれる。
「ベルリー副隊長も、無理は禁物ですよ」
「ありがとう、リスリス衛生兵」
そんなことを言いながら、さわやかに微笑む。
ベルリー副隊長こそが、心の清涼剤だと思った。
歩いていると木に絡みついた蔓に実る、真っ赤な野菜を発見する。
私の生まれ育った森に自生していたものは小粒だったけれど、ここにあるのは拳大だ。かなり大きい。
「あ、赤茄子を発見です!」
赤茄子は蔓に生える実で、甘酸っぱくておいしい。
プチプチと摘んでいく。
「おい、リスリス、行くぞ!」
「あ、すみません」
隊長に急かされたので、採取終了。革袋いっぱいに取れたので、良しとする。
二時間ほど調査をして回ったが、銅像とか石とか、怪しい物は見当たらない。
「……そろそろ食事の時間か」
そんな隊長の呟きを聞いたウルガスがぼやく。
「食欲ないです」
「そんなこと言っていると、ぶっ倒れるぞ」
「わかっていますが~」
「ちょっと待ってろ」
そう言って、隊長は森の中へと入っていく。
――十分後。
「ほら、ウルガス。これを食って精を出せ」
「うわあ!」
隊長がウルガスへと差し出したのは、首のない野鳥。また、背後から近付いて殴るという、原始的な方法で狩ってきたらしい。
「いや、俺、肉は食べれませんよ~」
「食え!」
「ううっ……」
あ、ウルガス、泣いちゃった。ザラさんがすかさずやって来て、隊長との間に入る。
「ちょっと隊長、言葉がキツイわよ」
「うるせえ。なんも食べなかったら、足手まといになるんだよ」
「それはわかるけれど、言葉を選んで」
そう言ってザラさんは、ウルガスを慰める。
「ウルガス、辛いだろうけれど、食べられるものを食べましょう」
「はい……頑張ります」
こんな時こそ、私の仕事だろう。腕まくりをして、食事の準備をする。
「ガルさん、スラちゃん、リーゼロッテ、そこの野鳥の解体をお願いできますか?」
お願いしたら、敬礼して応えてくれる。瓶の中のスラちゃんまで、敬礼していた。
私も調理に取りかかる。まず、赤茄子を細かく切って、ボウルに入れる。そこに、塩、胡椒、蜂蜜、薬草ニンニクを入れて混ぜる。赤茄子ソースの完成だ。その後、しばし寝かせる。
二品目。赤茄子の皮を剥いて擂り、砂糖を加える。
「メル、野鳥はこれで大丈夫?」
「あ、ありがとうございます!」
野鳥の解体が完了したようだ。
部位ごとに切り分け、鍋でカリッと焼いていく。この前作った猪豚油はこってりとした風味になるので、今回は使わなかった。
私はガルさんに、もう一仕事頼む。それは、布を巻いたプロイ・ステラと、侯爵様にもらった氷であった。
「プロイ・ステラで氷を細かくしてもらえますか?」
ガルさんは快く引き受けてくれた。
こんがりと焼けた鳥肉に、赤茄子のソースをかける。『野鳥の赤茄子ソースがけ』の完成だ。
ガルさんが砕いてくれた氷は、二品目に作った擂った赤茄子に入れた。
「メル、それは何?」
「これは、赤茄子ジュースですよ。朝、侯爵様に貰った氷を使ってみました」
「そうなの」
赤茄子尽くしの料理を並べる。
「わあ、彩りが綺麗ですね」
ウルガスはぼんやりとした様子で感想を述べる。
「ありがとうございます」
赤茄子は疲労回復効果がある。加えて、豊富な栄養素が含まれているので、健康にも良い。
半世紀前に、野生種から栽培化させることに成功して、今では安価で手に入る。
けれど私は、野生種の酸味が強いものが好きだ。
そんな赤茄子から作ったジュースを、ウルガスへと差し出した。
「さっぱりしているので、どうぞ」
「リスリス衛生兵……ありがとうございます」
ウルガスはまず、赤茄子ジュースを飲んだ。一口飲んでハッと目を見張り、そのあと一気飲みする。
ぷはっと息を大きく吐いたあと、「これ、冷たくて、おいしい……!」と呟いていた。
「お代わりもありますので、どうぞ」
「はい!」
ウルガスは二杯続けて、赤茄子ジュースを飲んだ。
他のみんなも、おいしいと言っていた。
今度は、メインである野鳥の赤茄子ソースがけも食べてみた。
淡白な味わいの鳥肉に、酸味の強い赤茄子ソースが良く合う。
あっさりしていて、暑い中でも食べやすかった。
心配していたウルガスであったが、きちんと完食できたようだ。
「俺、なんだか、元気になったような気がします」
ウルガスはペコリと、隊長に頭を下げた。
「隊長の言うとおり、食事を取ったら元気になりました。食欲がないと文句を言って、すみませんでした」
隊長はぷいっと顔を逸らし、小さな声で「わかればいい」と言っていた。
逸らした先では、安堵したような表情をしていた。ウルガスが元気になったので、ホッとしたのだろう。
素直に喜べばいいのにと思ったが、その辺は難しいお年ごろなのだろう。
しかしまあ、ウルガスも元気になったし、良かった良かった。