呪いを断ち切る水晶剣
ソーセージを作ったあとは、うがい薬の作り方も伝授した。
とは言っても、ごくごく簡単なものである。
「乾燥させた健康草を煮るだけです。濾したものが、そのままうがいに使えます」
「なるほど」
もう一個。薬効の強いものを紹介してみる。
使うのは健康草に加え、百里香草という薬草も使う。共に、殺菌作用が高い。
これらは乾燥させたものではなく、精油を使う。
「精油とは、蒸留した薬草です。有効成分を、液体にしたものになります」
他に、精製水と酒精を使う。
まず、煮沸消毒した瓶に、健康草と百里香草の精油を入れて、そこに精製水と酒精を注ぐ。
「あとは、冷暗所で一ヶ月寝かせるだけです」
そのまま放置ではなく、一日一回瓶を振らなければならない。
「完成後は、一杯のコップに少量垂らして使います」
どちらのうがい薬も、けっこうな薬効があるので、妊婦さんには使ってはいけないと注意しておいた。
「あい、わかった。覚えておこう」
姿勢正しい状態から、綺麗なお辞儀を見せてくれた。
なんというか、シエル様は大英雄なのに偉そうにしていないし、まっすぐに学ぼうとする姿勢は素晴らしい。いろいろと、教えてあげたくなる。
「リスリスよ、感謝するぞ」
「いえいえ」
スローライフについて学べて、充実した日々になっているとのこと。
「私ばかり世話になっているのもなんだ。何か、困っていることはないか? できることがあったら、力になるぞ」
そう言われて、最初に思い浮かんだのは妖精鞄のことである。
「あ、あの、さっそくで申し訳ないのですが」
「なんだ?」
「この子のことなのですが」
調理机の上に置いていたニクスを手に取り、シエル様に見せてみる。
「この子、呪いにかかって鞄の姿にされてしまったのです」
「ふうむ」
シエル様はニクスを手に取り、じっと見つめる。
『恥ずかしいのねん』
「なんと! 恥じらっておる!」
「はい……」
妖精族ってこう、ニクスといい、アルブムといい、変わっている。面白いからいいけれど。
「なるほどな」
「何か、わかりました?」
シエル様は頷く。
「こやつには、何者かがかけた変化の魔法がかかっておる」
「ええ」
「わかりやすく言ったら、呪いだな」
私はシエル様の膝の上にあるニクスをそっと撫でた。
「基本的に、呪いはかけた者しか解けない」
「です、よね……」
その辺の知識は、私も聞いたことがある。
本当に、酷いことをするものだと思った。
「ただ、呪いを無理矢理水晶剣で断ち切ることは可能だ」
「本当ですか!?」
「ただ――」
「ただ?」
シエル様は一拍置いてから説明を続ける。
「この方法は極めて乱暴な呪いの解き方である。失敗したら、契約を結んでいるお前にも影響があるだろう」
「それは――うわっ!」
ニクスはいきなり、ぴょこんと私の膝に飛び移った。
いつの間に、自力で動けるようになったとは……。驚いた。
そんなニクスは私に訴える。
『別に、呪いは解かなくてもいいよん』
特に鞄のままでも、困っていないらしい。
「しかし――」
この先一生鞄のままだというのも、辛いだろう。
「そういえば、ここの家の親子は魔法使いだと言っていたな?」
「はい。二人共、優秀な魔法使いですよ」
「だったら、呪いがもしも撥ね返ってきても大丈夫なよう、結界を張ってもらってはどうだろう?」
そこまで頼んでもいいのだろうか?
しかし、ニクスのことを思ったら、できる限りのことはしたい。
そう思って、私はリーゼロッテと侯爵様に相談してみることにした。
シエル様と共に、ニクスを囲んでリヒテンベルガー家の親子に説明する。
「なるほどな。特殊な魔技巧品――水晶剣で呪いを断つと」
「ええ」
大変申し訳なく、恐縮なことですがと前置きしてお願いをする。
「どうか、呪いを解くお手伝いをしていただけないでしょうか?」
「いいわよ」
「ん?」
すぐに了承の返事が聞こえて、顔を上げる。目が合ったリーゼロッテが、コクリと頷いていた。
「お父様もいいわよね? 可愛い愛娘のお願いですもの」
「……まあ」
侯爵様は腕を組んで険しい表情を浮かべていたが、解呪に協力してくれると言う。
私はリーゼロッテと侯爵様に、深々と頭を下げた。
ここで、シエル様がパン! と手を叩く。手甲を嵌めているので、正しい音はガシャン! だったけれど。
「よし! だったらさっそく始めるぞ」
侯爵様が言う。大きな魔法を展開するので、外部魔力の影響の少ない地下のほうがいいだろうと。
「大気中には、風に混じった魔力があるの」
「へえ、そうなのですね」
リーゼロッテは説明をしながら、地下までの階段を下っていく。
手に持ったニクスは、緊張しているのかかすかに震えているように感じる。
辿り着いたのは、大きな魔法陣が床に描かれた部屋だ。ここは、魔法の勉強部屋になっていたらしい。
「この魔法陣は、魔法の暴走を抑える力があるそうよ」
「へえ」
「わたくしも、小さい頃はここでお勉強をしたの」
「そうだったのですね」
ちなみに、王都に魔法使いの先生は少なかったようで、リーゼロッテは侯爵様に魔法を習ったのだとか。
侯爵様の指示で、ニクスを魔法陣の中心に置いた。私は隣に座る。
リーゼロッテは魔法を展開させた。侯爵様も紳士のステッキのような杖を握り、呪文を唱えだす。
二つの白く光る魔法陣が浮かび上がる。結界の魔法のようだ。発動条件は害あるものが襲いかかってきたときと、限定されているらしい。その中に、シエル様の水晶剣での解呪作業は入らないよう、調整しているのだとか。高度な魔法だ。
魔法の準備は整ったようで、シエル様が水晶剣を鞘から引き抜いた。
「では、シエル様、お願いいたします」
「ふむ」
何かシエル様も魔法を展開させるものだと思っていたけれど、想像は外れた。
シエル様は水晶剣を掲げ、そのままニクスの近くへと振り落とす。
「ふん!!」
気合いの入ったかけ声と共に、呪いを断ち切った。
ブツン! と、縄が千切れたような音がした。
『わッ!!』
ニクスが驚きの声を上げる。鞄の端から、太く長い尻尾のようなものが生えてきた。
「おっと! アルブムの尻尾より、だいぶ太いですね……」
鞄も大きいし、もしかしたら大型の鼬なのかもしれない。
どうやら、呪いは糸のようにニクスに絡みついているよう。
「せい!!」
シエル様は第二撃を放つ。
またしても、ブツン! と大きな音を立てて、呪いは断たれた。今度は、ぴょこんと三角形の耳が鞄から生えてくる。
「――ん?」
三角形の耳? アルブムの耳は丸い。もしかして、ニクスは鼬型じゃない?
アルブムと同じ空間魔法が使えるので、てっきり同じ鼬型だと思っていたが……。
呪いの反動があるようで、リーゼロッテと侯爵様の作った結界はバチバチと火花が散っている。慄きながらも、二人に頼んで良かったと心から感謝をしていた。
「でぇい!!」
また、一つの呪いが断たれる。今度は、目が戻った。細長い目で――もしかして、ニクスって狐型だったとか?
尻尾の形といい、耳の形といい、目の形といい、そうとしか思えない。
ニクス本人に聞いてみる。
「あの、ニクスって狐型の妖精なのですか?」
『わからないよん。生き物の個体名は、人間が定めたものだから』
「なるほど。そうでしたね」
とりあえず、元に戻ってから確かめるしかないようだ。
「これで最後だ!!」
とうとう、解呪作業も最終段階に突入したらしい。最後は、呪いの大元となる強力なものだとか。
「ぐぬぬ、ぐぬぬぬ!」
シエル様の額に、汗が浮かぶ。手に握る水晶剣にも、バチバチと火花が散っていた。
『うう、うううう!』
ニクスも苦しそうだった。
せっかく復活した目だったけれど、涙が浮かんでいた。
可哀想に。誰が、こんな目に遭わせたのか。
危ないから触れないようにと言われていたけれど、私はニクスを抱きしめる。
触れた瞬間、バチン! と呪いの力が反発してきた。強い静電気のようで痛かったけれど、離すわけにはいかない。
「ニクス、頑張ってください!」
『うう、うう、ううう~~!』
最後に、ドン! と落雷したような大きな音が鳴る。
地下部屋の灯りはすべて消えてしまった。大きな大きな呪いの力が、断ちきれたのだろう。
数秒後、灯りが点される。リーゼロッテが魔法で光球を作ったようだ。
光に照らされたリーゼロッテと侯爵様は、疲れているようにも見える。
「あの、大丈夫ですか?」
「平気よ」
「それよりも、妖精鞄はどうなった?」
「そうだ! ニクス!」
私は腕に抱いていたニクスを見る――が。
「……あれ?」
ニクスは最後に見た、耳と尻尾、目の付いた鞄の姿のままだった。
「シ、シエル様、これは?」
シエル様は、疲れた様子を見せることなく、その場に佇んだままだった。
「呪いはすべて断ち切ったぞ」
「ですよね」
いったいどうしたのか。ニクスに聞いてみる。
『呪いは、解けたよん! すっきりしたよん!』
「それは、よかったです!」
呪いの力はニクス自身の魔力を消費して展開される、高度な術式だったらしい。私と契約して消費は減ったものの、それでも違和感があったと。それが、ようやくなくなったらしい。
『体が、風のように軽いよん』
よかった。本当によかった。
「で、でもなんで、鞄のままなんですか?」
『役に立ちたいと思ったのん』
「え?」
『これからも、一緒に冒険したいんだよん』
呪いが解けたので、自由にしてもいい。なんだったら、契約を解除してもいい。そう言ったのに、ニクスはこの先も鞄のままでいたいと言った。
「ニクス、それでいいのですか?」
『いいよん』
困惑していたら、シエル様に「好きにさせておけ」と言われる。
「で、でしたら、ニクス、これからも、よろしくお願いいたします」
そう言ったら、ニクスはにっこりと微笑んだ。