究極の〇〇パン!?
持ち上げたのは、侯爵家御用達の焼き煉瓦のように大きなバター!
あまりにも大きいので、皿を持つ手がプルプルしている。
見かねたザラさんが取り上げてくれた。
「メルちゃん、バターで何を作りたかったの?」
「ブリオッシュです! これで、お菓子パンを作るのが夢だったのです」
「それって、『贅沢な王妃様』に出てくるお菓子?」
「はい!」
「すごく懐かしいわ。私、挿絵を何度も真似てお絵かきして」
「私もしました!」
ザラさんと私が子どものころに読んだ本『贅沢な王妃様』とは、異国の地から嫁いできたお姫様が王妃となり、暇潰しに贅沢な暮らしをする物語である。
途中、国民は貧しい生活を強いられ、パンも食べられない日々を送っています。金使いは慎重にと臣下に諫められる。贅沢三昧で暮らす王妃に、反感が集まっていたのだ。
そんな訴えに、王妃様は品よく微笑みながらこう返すのだ。
――パンがなければ、ブリオッシュを食べればいいのに。
ブリオッシュとは、水を使わず牛乳とバター、卵、砂糖をふんだんに使った贅沢なパンなのだ。材料はお菓子と一緒なので、お菓子パンとも呼ばれている。
当然ながら、パンを買うお金がない国民はブリオッシュなんて余計に口にすることはできない。
この発言が、さらなる国民の反感を買い、革命まで引き起こしてしまう。
「最後、ギロチンっていう処刑道具で殺されてしまうのよね」
「ザラさん、それは原作です。私が読んだ本は、国民に謝罪をしてそのあとは慎ましい生活を送ったということになっています」
「あら、そんなふうになっていたのね」
原作はあまりにも救いがなく、残酷だったので子どもが読めるように改変したのだろう。
「まあ、財政がひっ迫している状況下で、新しい宮殿を建て、宝石を買い集め、高価なドレスを何着も買い集めていたら、処刑も致し方ないとは思いますが」
「知らないって、罪よねえ」
綺麗なものだけを見て育った王妃様は純粋で、どこか憎めない性格だった。世界的に愛されている、有名な作品だ。
「王妃様シリーズ、けっこう好きだったわ」
「私もです」
美しさを武器にして外交を行う、『自由な王妃様』。
怪しい祈祷僧を妄信した、『傾国の王妃様』。
チョコレートが大好きな、『チョコレートの王妃様』。
絵本の中には魅力的なお菓子が登場する。
「自由な王妃様に出てくる、ザッハトルテも食べてみたいわ」
「私もです。あとは傾国の王妃様の、ブリヌイっていう発酵させた生地のパンケーキとか」
「それ、作ったことあるわ。生地がモチモチで、おいしいの!」
「食べてみたいです」
「今度作ってあげるわ」
「わ~い!」
ついつい、子どもの頃に読んだ絵本の話で盛り上がってしまう。
それほどに、おいしそうに描かれていたのだ。
その中でも、ブリオッシュを一度でいいから食べてみたいと思っていた。
「私も子ども心に憧れたわ。でも、ブリオッシュってえげつないくらい、バターを使うのよね」
「そうなんです」
今回、どの食材も自由に使っていいとのことで、夢がついに叶う。
そんなわけで、私はザラさんと一緒にブリオッシュを作ることにした。
まずはボウルに小麦粉、砂糖と酵母を入れ、混ざったら牛乳、卵、塩を加える。
生地が滑らかになるまで捏ねる。ここは、ザラさんが頑張ってくれた。
まとまった生地を平たく伸ばし、中心に少し柔らかくしたバターを塊のままドン! と置く。バターを生地で包むように折り曲げ、捏ねていくのだ。
「こんなに大量のバターを使うなんて、罪悪感がすごいです!」
「本当に」
フォレ・エルフの村には家畜がおらず、バターは高級品だったのだ。よって、ブリオッシュはずっと空想の中に存在していた憧れのパンだった。
「私の地域では、バターよりも砂糖のほうが貴重だったわ」
「地域によって、その辺は異なるのかもしれませんね」
バターを生地に練り込むように、せっせと捏ねる。
なめらかになった生地は、濡れ布巾をかけて一時間ほど寝かせる。
発酵させている間は、牛乳と南瓜でスープを作った。
「南瓜といったら!」
先ほど、シエル様にもらったツケモノ石をザラさんに見せる。
「シエル様から、こんな物をいただいて」
「あら、綺麗な石ね!」
「はい、ツケモノ石と言うらしく……。ザラさん、ツケモノって知っていますか?」
「ええ。雪国の保存食なの」
「そうなんですか!?」
なんと、ザラさんはツケモノを知っていた。
ツケモノとは、保存食のことらしい。
「ツケモノって、どんな物なのですか?」
「野菜を使って作る保存食よ。夏から秋にかけて収穫した野菜を、塩や酒粕を揉み込み、重たい石を乗せて水分を抜いて味を浸透させるの」
「へえ、そんな食べ物があったのですね」
「塩漬けだったら簡単にできるから、教えてあげるわ」
「ありがとうございます」
使い道が判明してホッとする。今度、シエル様にも教えてあげなくては。二十年間も持て余していたと言っていたので、きっと喜ぶだろう。
「でも、これってツケモノ石にしたら、綺麗過ぎるというか……」
「ザラさん、どうかしました?」
「いいえ、なんでも」
ツケモノ石は置いて、調理を再開させる。
スープが仕上がったころには、発酵も完了となった。
ザラさんに生地の空気を抜いてもらう。
平たくなった生地を細かく切り分け、丸める。この生地をさらに三十分ほど寝かせるのだ。
二次発酵後も、空気を抜いて元の丸型に戻す。
中央に突起のある丸い型に、油を塗って丸い生地を詰め込んだ。
卵黄を塗って十五分ほど焼いたら――ブリオッシュの完成だ。
「わあ、すごい、ふっくら焼けました」
「おいしそうね」
型から抜いたブリオッシュは、王冠のように見える。丸めて入れた複数の生地が、凹凸になっているのだ。
まさしく、『王妃様の愛するブリオッシュ』という感じ。
食堂に移動し、鍋の中のスープを装っていると、そ~っと扉が開かれる。
振り向くと、遠慮がちに顔を覗かせるアルブムの姿があった。
「アルブム、聞くまでもありませんが、どうかしましたか?」
『ア、アノ、ナンカ、イイ香リガシテ』
「ブリオッシュを作ったのです」
『ブリオッシュ……』
今回の遠征でアルブムはいろいろ頑張ってくれた。
私は一度ザラさんを見る。微笑みながら頷いてくれたので、アルブムを誘ってみた。
「アルブムも食べますか?」
『エ、イイノ? オ手伝イシテイナイケレド?』
「ええ。今回、遠征で大活躍をしてくれたので」
『ヤッタ~!』
アルブムはぴょこんと跳び上がって喜ぶ。
そういえば、パンケーキを作ってあげるとも約束していたような。
明日の朝にでも作ってあげるか。
とりあえず、アルブムの分も南瓜のスープを装う。ザラさんが、王冠のブリオッシュを千切って皿に置いてくれた。
「よし、食べましょう!」
食前の祈りを捧げて――いただきます。
まずはブリオッシュから食べる。
「わっ!」
驚くほど、生地がフワフワだった。それに、小麦のいい香りがする。
一口大に千切って、パクリと食べた。
「んっ、これは!!」
いつも食べているパンとはぜんぜん違った。バターの濃厚な風味が口いっぱいに広がって、品のある甘さがある。
ザラさんは頬に手を当て、幸せそうに噛みしめていた。
「メルちゃん、これ、最高ね!」
「はい!」
「子どもの頃からの夢が叶ったわ」
「私もです」
アルブムは尻尾をブンブン振りながら食べていた。よほど、おいしかったのだろう。
フワフワで口溶け滑らかで、あっという間にペロリと食べてしまった。
『コレ、スッゴクオイシイネ。毎日食ベタイ』
「そんな贅沢、できないですよ」
あの焼き煉瓦のようなバターは、いったいいくらするのか。
考えただけでも、ゾッとする。
「この味に、舌を慣らしてはいけないわね」
「ええ、本当に」
なんというか、ブリオッシュは罪の味がした。
国民も革命を起こしてしまうというわけだ。