あらびきソーセージ
しばしの休憩後、捜索を再開させる。
ザラさんは灰色の空を見上げ、憂鬱そうに溜息を吐いていた。
「天気、危ない感じですか?」
「多分。でも、わからないわ。雪山の天候は気まぐれだから」
黒い雲がどんどん流れていく。ああいう空模様の時は、早く家に帰るように言われていた。
けれども今は任務中。家に帰るわけにはいかない。
ザラさんは一応隊長に報告したようだ。
「天気は良くないが、もう少し先に進む。風が強くなったら引き返すつもりだ」
とのことで、もう少し先に進むことになった。
雪は降っていないけれど、降り積もった雪がだんだん深くなり、先ほどよりも歩きにくくなっていた。
相変わらず、私はウルガスとロープで繋がった状態で進んでいる。
私の歩調に合わせ、ゆっくり歩いてくれていた。
ひゅうひゅうと吹く冷たい風。
揺れる枝、ザクザクと踏めば音の鳴る雪。
山に入ってからずっと同じ音がしていたが、ふいに、違う音が聞こえた。ウルガスに止まってもらい、耳を澄ませる。
「――あ!」
「どうかしましたか?」
「何か、こちらに近づいてきています」
「もしかして、行方不明になっていたご子息様でしょうか?」
「いえ……残念ながら、聞こえるのは、四足獣の足音です」
「そ、そんな……」
まだ遠い。
けれど、さくさくと目的を持ってこちらへ近づいてきていた。
恐らく、十分もしないうちに邂逅となるだろう。逃げても追ってくるに違いない。
ウルガスはすかさず隊長に報告した。
四足獣と聞いて、雪熊だろうと断言していた。
ガルさんもそうだろうと言う。濃い、敵意剥きだしの獣の臭いが近付いていると。
風で臭いが掻き乱れていたので、気づくのが遅れたとのこと。
皆、荷物をその辺に放り投げ、各々得物を手にして、戦闘態勢をとる。
私はウルガスと共に後退することになった。繋いでいた縄も解かれる。
「それにしても、雪熊に遭うなんて」
ウルガスは心底うんざり、という口調で言う。
弓に矢を番えて構えるが、矢羽を引いていた手を元に戻し、盛大な溜息を吐いていた。
「最悪ですね。風が強くて矢が当たるとは思えません」
「ええ、心中お察しいたします」
こういう風の強い日は、フォレ・エルフも矢の無駄なので狩猟はしない。
かつて、フォレ・エルフの歴史の中に風を読んで矢を射る者もいたらしいが、伝説の狩人と呼ばれていた。作り話の可能性もある。
「雪熊は騎士隊の中でも戦いたくない魔物十体の中に入っているんですよね。まさか、対峙することになるなんて」
「ええ」
先ほどから、妙な圧力を感じて額に汗が浮かんでいた。
雪熊は中位魔物と呼ばれ、五名以下での戦闘は禁じられているらしい。
「禁止って、出遭ってしまったら戦うしかないですよね」
「まあ、いろいろあるんですよ」
中位から上位との戦闘に制限がある一番の理由は、労働災害の補償額が絡んでいるらしい。もしも、定められている人数以下で戦闘行為を行った場合、規律違反として支払われる補償金がぐっと下がるとか。
「うわ、なんか悪い決まりですね、それ」
その辺の説明も聞いていたような気がしたが、規律の説明は眠くなる上に、半日と相当長かった。
人の話を長時間耳に入れたことのない私は、うとうとしながら聞き流していたのだろう。
「もう一回、しっかり読み返さないとですね」
「そうですね。読んでおいたほうが良いですよ。騎士は基本給が高いですし、来る者拒まずなので入隊希望者は絶えませんが、結構酷い決まりも多いので」
「う~~む」
ウルガスと会話をしていれば気分も紛れるかと思ったけれど、話題の選択を間違ってしまった。
気分はいっそう重くなる。
「あ~、そろそろみたいですね」
「ですね」
前衛の隊長が剣を構え、姿勢を低くしていた。
雪熊はすぐ近くにいるのだろう。
「リスリス衛生兵は、雪熊が見えたらちょっと離れていてくださいね。何があるかわからないので」
そして、前衛二名が戦闘不能になったら、本部に戻って報告してほしいと頼まれた。
「一応、俺も衛生兵の教育を受けているので、リスリス衛生兵の不在中の治療についてはご心配なく」
「わ、わかりました」
できれば、そういう状態にはならないでほしいが。
ウルガスの表情は、いつになく緊張していた。
声を掛けるなんてとてもできない。じっと、固唾をのんで見守る。
木々の隙間より、赤い双眸がぼんやりと浮かぶ。
ついに、雪熊の登場というわけだ。
私はウルガスから離れ、隊員達の戦いを見守ることになる。
今日ほど、自分に魔力があればと思う日はないだろう。
回復魔法や祝福など、使えたらきっと心強かったに違いない。
今の私には応急処置しかできないので、歯がゆい思いを噛みしめる。
唯一できることといえば、戦闘状況を見て、捜索本部への救助を頼みに行くこと。
なので、何が起こっても目を逸らさずに、状況把握をしなくては。
ようやく全貌が明らかになった雪熊。でかい。とにかくでかい。
四つん這いの状態で隊長より大きいとは。
白い毛皮を針のように立て、ぐるぐると鳴きながら牙を剥いていた。
結構な距離を置いているのに、恐怖で震える。全身に鳥肌が立ち、汗が噴き出ていた。
しかも、最悪なことに横殴りの風に雪が混じりだした。
その場に立ち続けるのも辛い。
けれど、隊長達は果敢に戦っていた。
隊長は獰猛な雪熊に対し、攻めの姿勢で立ち向かっていた。
ベルリー副隊長は隙を窺っているように見える。
ガルさんは中距離からの一撃を放っていたが、皮が硬いのか致命傷を与えたようには見えなかった。
ザラさんは足の腱を狙っているのか。斧の刃は雪熊の足を斬りつけ、雪に赤い血が散っていた。
攻撃を受けた巨体は、ぐらりと傾く。
一同、いっせいに後方へと跳んだ。
「うわ~~、このタイミングか」
ウルガスが何やらぼやいている。
ひときわ強い風が吹き、視界も真っ白になっていた。
雪が保護色となり、雪熊の姿もおぼろげであった。
そんな中で、ウルガスは矢を放った。
見当違いの方向へ放ったと思っていたが――
「あ、うわ、すごっ。や、やった!」
見事、矢はザラさんが傷つけた足に命中する。
この風の強い中、大した腕前だろう。
傷口にさらなる攻撃を受け、雪熊はのたうち回っている。
隊長達は一気に後方へと下がっていく。
ウルガスも私を振り返った。
「リスリス衛生兵、俺達も撤退しますよ」
「え? あ、はい」
深い雪の中を、なるべく早足で進んでいく。
移動しながら、ウルガスが説明をしてくれた。
鏃に毒を仕込んでいるので、あとは勝手に暴れ回っているうちに息絶えると。
私の荷物以外は全員放棄。あとで回収可能ならばするらしいが。
治療道具や食料などはウルガスが持ってくれた。体力に自信がないので助かる。
集合場所はさきほど立ち寄った洞窟。
まだ、中には誰もいないようだった。
「リスリス衛生兵、大丈夫ですよ。隊長達は無事です」
「ええ、そうですね」
隊長の誰にも負けない山賊魂を信じるしかない。
用心のため、洞窟の出入り口に聖水を撒く。これで、雪熊は近寄れないはずだ。
私達は隊長達を待つ間、食事を取ることにした。
休憩からさほど時間は経っていないが、驚くほど空腹だった。
ウルガスは焚火を作る。支給品でもらった獣の脂肪で作ったと思われる固形燃料が活躍する。
薪で焚いた火よりも臭みがあって煙で涙目になるが、気にしている場合ではない。
まず、湯を沸かしてお茶を淹れた。渋い薬草茶だけど、温かい物を口にしたら、張り詰めていた気持ちもいくらか楽になった。
「隊長達には悪いですが、先にいただきましょう」
「そうですね」
部隊の支給品が入っている革袋を開いた。
その中で、手っ取り早くお腹いっぱいになりそうなソーセージを取り出す。フォークに突き刺し、火の上に持っていった。
ウルガスと二人、無言でソーセージを炙り続ける。
途中、ソーセージの皮がパチリと弾けた。肉汁が溢れ、火の中に滴っていく。
ほどよく焼き色がつけば、食べごろだ。鞄からパンを取り出し、ウルガスに渡した。
神様に祈りを捧げ、食事を始める。
まず、焼きたてのソーセージから。齧り付いた所から脂が滲み出て、舌を火傷しそうになる。粗びき肉を香草などで濃い目に味付けしているからか、何もつけなくても美味しかった。
皮はパリッと、中の肉はプリプリ。塩気が強くて、素材の旨味が凝縮されていた。
他部隊はいつもこんな美味しい物を食べているのか。そう思っていたが――
「これ、きっと貴族からの差し入れだと思います」
なんと、庶民の口にはなかなか入らない高級ソーセージらしい。
美味し過ぎるわけだ。
食事が終われば何か料理でも、と思ったけれど、大きな鍋は重いので持って来ていない。
小さな鍋はお茶用なのだ。
少々物足りない気分なので、鍋を使わない料理をと思い、鞄の中を探る。
ビスケットにチーズ、肝臓のパテに燻製肉。鍋を使わないで作れる物。
「う~~ん。あ、カナッペが作れますね」
カナッペとはビスケットなどにチーズや野菜、お肉などを載せて食べる、お酒のつまみ的な物。
この前、隊長の家の元乳母、マリアさんが作っていたのだ。
「ウルガスも手伝ってください」
ビスケットにパテを塗り、チーズを載せて黒胡椒を軽く振る。他に、ソーセージとチーズの組み合わせ、森林檎の砂糖煮、チョコレートなど、しょっぱい物から甘い物まで作った。
隊長達が帰って来たら、すぐ食べられるようにたくさん作る。
私とウルガスは二、三枚食べて、お腹いっぱいになってしまった。
なんだか、胸が一杯になってしまって、食が進まないのだ。
「隊長達、来ませんね……」
ぽつりとウルガスが呟く。声色は暗い。
せめて火は絶やさぬように、近場で枝を拾ってきて焚火にくべたりと、ささやかな努力を続けることになった。
耳を澄ませても、雪がびゅうびゅうと鳴る音しか聞こえない。不安を煽ってくれる。
隊長達は、まだ戻って来ないようだった。