涙のスープ
ポタリ、ポタリと、ミルの涙が頬を伝う。
怪我をしている様子はないし、隊長も問題はないと言っていた。
他の隊員達も無傷で戻ってきたので、ひと安心である。
「ひっく……ひっく……」
涙はまだ止まらないようだ。
みんな見ない振りをして、食事に専念してくれている。優しい人達だ。
ハシバミの実のスープはおいしくできている。
濃厚で、舌触りが良く、木の実の味が香ばしい。甘いパンケーキとの相性も抜群だ。
フォレ・エルフの森にもハシバミの樹はたくさん生えていて、秋になったら拾いに行っていた。スープは、ミルも大好物だったはず。
なのに、先ほどから匙は止まったままだった。
一人、一人と、食事を終えた人達がいなくなる。
お腹いっぱいになったアルブムが仰向けで寝転んでいたけれど、ウルガスが運んで行ってくれた。
ついに、隊員はいなくなる。気を遣わせてしまった。
アメリアがしゃがみ込み、ミルに頬を寄せた。
逆の方向には、ステラが身を寄せる。
モフモフに囲まれたミルは、嗚咽を漏らすように二人の名を口にした。
「アメリアちゃん……ステラちゃん……」
ミルはさらにボロボロと玉の涙を零す。
いったい、何があったのか。
私はミルの傍に寄って、話を聞くことにした。
「ミル、何があったの?」
「な、何も、なかった、の」
「え?」
「兎の魔物が出てきて、隊長さんが大きな声で号令を出して、戦闘が始まったのに、わ、私は、怖くて、頭の中が真っ白になって、その場から動けなくなって……」
「なるほど」
初めて魔物と対峙したミルは、隊長の指示を聞いて動き、魔法で支援するということができなかったようだ。
ミルの気持ちはよくわかる。私も、初陣の時は怖かった。幸い、非戦闘員なので何とか耐えきれたけれど。
「け、結局、私の覚悟は半端で……怖いことも、想像できていなくて……。魔法習得のように、何もかも、上手くいくと、思っていたの」
ミルは賢い子だった。回復魔法はあっという間に覚え、他の兄弟に教えるほどだった。
村の外からやって来た怪我人の回復を行うこともあった。多くの人に頼られる存在だったのだ。
そんなことがあったので、騎士隊での任務も上手くこなせると思ったのだろう。
「でも、違った。森と、ここは、風の匂いも、草を踏みしめる触感も、何もかも違っていて……私の知らないこと、ばかりだった」
その上、魔物まで襲いかかって来る。
第二部隊が苦戦するような個体ではなかったが、それでも、慣れない血の臭いや、魔物の亡骸を前にして、今までにないほどの恐怖を覚えてしまったらしい。
「お姉ちゃんは、どうして平気だったの?」
「私も平気じゃなかったよ」
初めての任務の時は、昼食など喉に通らなかった。兵糧食を見ただけで、ウッとなっていた。
「魔物は恐ろしいし、それと対峙する第二部隊のみんなが信じられなかったし、どこかで襲われて、死んでしまうんじゃないかって、怖くて、怖くて」
しかし、恐怖も空腹には勝てなかった。
「お腹いっぱいになったら、なんか不思議と恐怖心も薄れていって」
「そ、そうなの?」
「私はそうだったかな」
ミルは手にしたままだったハシバミの実のスープをじっと覗き込む。
くんくんと匂いを嗅ぎ、ハッとする。
「あれ、これって、木の実のスープ?」
「そうだよ」
今、日差し除けになっている樹がハシバミで、木の実が落ちていたので作ったと教えると驚いていた。
「これって、秋に実る樹でしょう? どうして?」
「王都周辺は、魔力の流れが違っていて、それに影響された植物は変な時季に木の実を付けたり、花を咲かせたりするらしいよ」
「なんか、不思議」
「そうだね」
再度、ミルはスープを覗き込む。今まで微動だにしていなかった匙を動かし、スープを掬って口にした。
お味はどうだったか。ミルの顔を覗き込んだが、またしても、眦に涙が浮かんでぎょっとなる。
「ミ、ミル!?」
「おいし……」
「え?」
「お姉ちゃんのスープ、おいしい」
「そ、そう。それはよかった」
ボロボロ泣きながら、スープを食べている。食欲はあるようで、よかった。
あっという間に食べ、おかわりもした。パンケーキまで食べるという、見事な食欲を見せてくれる。
アメリアがミルの頭に付いていたハシバミの葉を嘴で取る。マントもずれていたので、しっかりと上げていた。
「アメリアちゃん、ありがと」
『クエ~』
どうやら、ミルのお姉ちゃん役までしてくれるようだ。なんて頼もしいのだ、アメリアよ。
ステラはミルの涙で濡れた頬をペロンと舐めていた。
「ステラちゃんも、ありがと」
『クウ?』
「うん。もう、大丈夫」
互いに言葉はわからないけれど、なんとなくで会話をしていた。
ミルは立ち上がり、パッパとスカートの皺を伸ばす。
「お姉ちゃん、ありがとう。お料理、ぜんぶおいしかった」
お腹いっぱいになったかと聞いたら、はにかんで頷く。
「私、隊長さんや隊員さん達にごめんなさいとありがとうを言いに行かなきゃ」
「うん、そうだね」
果たして、ミルはこれからどうするのか。
どの道を選んでも、応援しようと思う。
タッタと隊長のもとへ走って行くミルのあとを追い駆けた。
「あの、隊長さん!」
隊長は剣の手入れをしていたようだ。いきなり大声で話しかけられ、珍しく驚いた顔をしている。
「えっと、戦場でまったく役立たずで、すみませんでした!」
「いや、最初から戦場で堂々と戦える者などいない。皆、それなりに初陣の時はやらかしている」
「はい……。その、守ってくださり、ありがとうございました」
「リスリスの妹だからな」
「はい」
ミルは一生懸命、隊長に思いを伝えた。
「私、自分の力が必要とされているって、勘違いしていました」
「ほう?」
「さっき、隊長さんが言ったように、姉がいるから、みんな優しいし、こうやって、適性を見てくれたんだなって」
「まあ、そうだな」
知らなかった。てっきり、隊長は回復術師がほしいから、こうやってミルの試験をしてくれたのだと思っていた。
「最後まで任務に参加させてくれたのも、騎士隊の厳しさを私に教え込むためで……なのに、何もできなくて、情けなくて……」
「もういい。わかっているのならば、わざわざ口にする必要はない」
「ごめんなさい……」
声が震えている。きっと、泣くのを我慢して隊長に報告をしているのだろう。
今すぐ駆け寄って、隊長よ、怖い顔をして話を聞くな! と物申したいところだけれど、ミルの成長のためにぐっと我慢した。
「これから、どうする? もう一回、討伐任務に参加をするか?」
ミルはぱっと顔を上げた。まっすぐに、隊長の顔を見つめる。
もう一度、機会を与えるようだ。けれど――ミルは首を横に振った。
「私は、実戦に参加する基礎を、何一つ身に着けていません。そういう状態なので、任務には参加できないです」
「なるほどな。で、騎士になるのは諦めると?」
「いいえ、諦めません!」
この答えには驚いた。任務には参加しないけれど、騎士になる道を諦めないというのはどういうことなのか。
「私、入隊試験を受けます。それに合格して、見習い騎士になって、いつか、本当の騎士になりたいです」
私を頼るのではなく、きちんと基礎を学んで立派な騎士になりたいと話す。
「私、王都に来て、初めて知ったんです。騎士という職業を」
市民を守る品行方正な騎士の姿は、ミルに大いなる影響を与えたとか。
「今まで夢とかなくて、王都に来てから、可能性が無限に広がって――」
村から逃げたいからではなく、真剣に、将来の夢として騎士になりたいとミルは宣言した。
「そうか。これからなんだな」
「はい!」
ミルは再度頭を下げる。
隊長は立ち上がり、応援するつもりで背中をポン! と叩いたが――。
「――ぎゃあ!」
ミルの小さな体はふっとんだ。転倒しただけではなく、ごろごろ転がって岩にぶつかってしまった。
「うわ、何しやがるんですか! 怖いのは顔だけにしてください!」
無我夢中で何かを叫び、ミルを助けに行く。
「リスリス衛生兵がキレたの、初めて見ました」
「そりゃ、怒るわよ」
ウルガスとザラさんが何か言っていたが、私の耳には届いていなかった。