襲いかかる森大熊
眼前に迫り来る森大熊。前脚を振り上げると、ナイフのような鋭い爪が視界に飛び込んできた。
上げる咆哮が、地面を揺らす。
目を逸らすわけにはいかなかった。しっかり前を見据え、ぐっと奥歯を噛みしめる。私はきたるべき衝撃に備えた。
『グオオオオッ!』
それに応えるのは、アメリアの低い叫び。
『クエエエエエッ!』
広げた羽根の一枚一枚が、輝きを増す。
私は眩しくなかったけれど、森大熊は違ったようだ。
目がくらんだのか、苦しげなうめき声を漏らす。上げていた脚を下ろすと、ぶんぶんと首を振っていた。
そこへ、黒銀狼のステラが飛び出してくる。
『クルルルルッ!』
森大熊のほうが大きい。けれど、ステラは体当たりして、巨体を押し倒していた。
起き上がれないように腹部を前脚で押さえ、空いているほうの脚で首元に爪を当て、容赦なく身を引き裂く。
血が、噴水の水のように噴出した。
『グオオオオ!!』
起き上がろうとジタバタしていたが、ステラのほうが力は強いようで身動きは取れないまま。
すごい。皮が硬くて誰も傷つけることができなかったのに、ステラの爪はまるで柔らかな肉を切るように森大熊の首筋を裂いた。
『グオオオ……』
だんだんと動きが弱々しくなっていく。
力尽きたかと思った矢先、ステラはハッとなり、後退した。
「リスリス、下がれ!!」
隊長の声が聞こえ、アメリアに指示を出す。
木々が生い茂っているので飛べないが、器用に木々を避けて、森大熊から距離を取ってくれた。
それと同時に、森大熊はむくりと起き上がり、暴れ出す。
先ほどの目的を持って襲いかかっているというよりは、無差別に暴れ回っている感じ。
焦点が定まっておらず、何かに操られているような、そんな動きをしている。
しかし、そんな森大熊に飛びかかる一人の男がいた。
「さっきはよくも、鎧共々裂いてくれたな!!」
隊長は山賊めいた雄叫びをあげつつ、森大熊の首元の傷に剣を叩き込むように斬りつける。
返り血を浴びてもなんのその。
隊長は何度も森大熊に攻撃していた。
「――ルードティンク、下がれ!」
侯爵様が叫び、隊長が後方へ跳ぶ。
水たまりのようになっている森大熊の血の上に、魔法陣が浮かび上がった。そこから火が立ち上り、油に燃え移った炎のように血を燃やす。
どうやら、リーゼロッテの魔法のようだ。
炎は血を辿って森大熊のもとへとたどり着き、首元の傷口に引火した。
『グオオオオオオ!!』
それは、森大熊の毛や皮膚を焼くものではなく、内側にある血や肉を焼き尽くす魔法のようだ。
先ほど、全身に火が回った状態でも動き回っていたので、違う術を試したようだ。
それにしても、えげつない魔法だ。
さすがの森大熊も体を構成する内部を攻撃されたら、活動停止するしかないようだ。
巨体は地に沈んでいく。ズシンと、地面が揺れた。
「くたばったようだな」
そのようで。
リーゼロッテの魔法は、森大熊の肉と血をすべて焼き尽くしてしまったようだ。骨に毛皮だけという、なんとも不気味な状態の骸だけが残った。
体の一部が光っていたので、その部分を隊長は剣で裂いた。すると、またしても魔石が出てくる。
「またこいつか……」
「しようもないことをする」
侯爵様は魔石を革袋に入れながら、ぼやいていた。
そういえば、ステラはどうしたのか。
草陰に飛び込んだあと、出てこない。
アメリアから降りると、ステラが後退して行った草陰を覗き込む。
ステラは――いた。伏せの状態で、こちらにお尻を向けている。
よくよく見てみると、ガクブルと震えているように見えた。
「ステラ、どうかしましたか?」
振り返ったステラは、耳をペタンと伏せ、涙目であった。
『クウ、クウウ……』
か細い声で、「怖かった……」と言った。勇敢に戦っているようにしか見えなかったけれど、私を守るために頑張ってくれたようだ。
近寄ろうとしたら、返り血が付いているので距離を置いたほうがいいと言われた。
しかし、そんなことなど気にしない。
「少しだけ、お話しさせてください」
『クウ』
ちょっとだけという約束で、近寄ることを許してくれた。
本人の申告どおり、上半身は血でべっとり。これは洗い流すしかないだろう。
「ステラのおかげで、助かりました」
『クウ、クウウ』
とんでもないと、ステラは首を振る。最後まで戦うことができなかったと、申し訳なさそうにしていた。
「あの魔物は皮が硬く、剣で傷つけることができませんでした。ステラが一撃与えてくれたおかげで、倒すことができたのですよ」
『クウ?』
「はい、ありがとうございます」
顎や頭を撫でてあげようと手を伸ばしたら、避けられてしまった。
『クウクウ、クウ』
「あ、はい。すみません」
今は血でベタベタなので、触らないでほしいとのこと。
『クウクウ』
「あ、はい。そうですね」
綺麗になったら、撫でてくださいと言われた。
アメリアといい、ステラといい、幻獣女子は美意識が高いようだ。
その後、ステラの鼻を頼りに、火蜥蜴を捕獲した。
これで、契約済みの幻獣はすべて保護できた。
あとの幻獣は幻獣保護局がしばらく捜索をして、捕獲できそうだったら捕獲をして、生息地へ帰してくれるらしい。
日付が変わる前に、任務達成となった。
◇◇◇
今日はアジトで一泊して、明日の朝に王都へと戻るようだ。
解散後、私とリーゼロッテ、ベルリー副隊長の三人で、ステラの血を落とす作業を行う。
井戸の前で、どんどん水を浴びせた。
「ステラ、大丈夫ですか? 冷たくないです?」
『クウ!』
春になったといっても、夜はまだ肌寒い。けれど、ステラは平気なようだ。
血を落としたら、私が持って来ていた石鹸で石鹸水を作る。あわあわの水をかけながら、毛にこびり付いた血を取り除いた。
全身洗うのに一時間もかかった。誰もいない場所へと移動し、ブルブルと水を切りに行ってくれた。
あとは、アメリアが翼で風を起こし、乾かしてくれる。
「やっと綺麗になりましたね」
『クウ!』
ステラはすっきりしたのか、嬉しそうだった。尻尾を左右に振って喜んでいる。
よかった、よかった。
ここで、ひと際冷たい風が吹く。
「くっしゅん!」
ステラの体を洗っているうちに、びしょ濡れになっていたようだ。
ここで、ザラさんがやって来る。
アジト内にあったお風呂に湯を沸かしてくれたらしい。
「ここ、アジトなんですけれど、お風呂に入っていいのですか?」
「ええ。今、この屋敷の管理は幻獣保護局にあるから大丈夫」
きちんと、侯爵様に許可を得てから沸かしてくれたらしい。さすがザラさん。抜かりない。
「たぶん広いから、女性陣みんなで入れると思うけれど」
「わっ、ザラさん、ありがとうございます」
そんなわけなので、リーゼロッテとベルリー副隊長と三人で、お風呂に入ることになった。
アジトの風呂場は、ザラさんが言っていた通りなかなか大きい。
床は大理石で、浴槽は花柄のタイルがはめ込まれている。悪の組織のアジトにはとても見えない。
服を脱いで、まずは一日の汚れを落とさなければ。
「石鹸で全身洗うなんて……」
侯爵令嬢のリーゼロッテが不満そうな声をあげている。
森暮らしの私なんか、生まれて十八年間ずっと全身石鹸ですが。
「ベルリー副隊長、お背中流しますね」
「リスリス衛生兵、寒くないのか?」
「大丈夫です!」
普段、お世話になっているベルリー副隊長の背中をアカ擦りでわっしわっしと擦る。
肌が露出しているところは陽に焼けているけれど、背中や首筋はすごく白い。それに、肌もきめ細やかで綺麗だ。実に羨ましい。
「力、強くないですか?」
「いや、気持ちが良い。ありがとう」
祖父や父の背中流しをすることがあったので、ちょっとだけ自信があるのだ。
最後に、ザバリとお湯をかける。
「リーゼロッテもしてあげましょうか?」
「いいわ」
それとなく不器用な手つきで体を洗っていたので、手を貸そうと言ったが、お断りをされてしまった。
おそらく、普段はメイドさんの手を借りているのだろう。
本人がいいというので、放っておいた。
髪と体を洗い終わったら、浴槽にじっくりと浸かる。
「あ~~気持ちいい~~」
リーゼロッテやベルリー副隊長も、頬を火照らせながらも心地よさそうに浸かっている。
遠征も毎回こうだったらいいのにな~と、思ってしまった。