襲撃! 黒銀狼
それは、唸り声だった。
すっかり暗闇となった木々の間から、青白く光る二つの双眸が浮かんだ――と思ったら、すぐ目の前に巨大な黒狼が迫っていた。
「ぎゃあ!」
「戦闘準備!」
私の悲鳴と隊長の号令が重なる。
襲いかかって来たのは言わずもがな、黒銀狼だ。
まず、焚火を尻尾で荒らして消し、角灯も踏み潰した。
ここまで十秒。
瞬く間に、周囲は真っ暗となる。
私は慌てて手元にあったニクスを肩にかけた。アルブムは――!?
『ヒャアアア、怖イヨオオ!』
「うるせえ、耳元で騒ぐな!」
どうやら、隊長と一緒にいるようだ。良かった。
指示があるまでじっとしていようとしたけれど、すぐ近くに黒銀狼の息遣いが聞こえて、ヒュッと息を呑み込んだ。
「メルちゃん!」
「リスリス衛生兵!」
ザラさんとベルリー副隊長が同時に叫ぶ。
ここまで二十秒ほどだろうか。
名を呼ばれた瞬間、私の体がふわりと浮かんだ。
「ひゃあああ!!」
なんと、ありえないことに、黒銀狼に胴を咥えられ、そのまま運ばれてしまった。
「なっ、うわっ、速っ!」
周囲が暗いので何も見えないけれど、凄まじい速さで運ばれているのが分かる。
幸いなのは、咬み付かれていないことか。
いや、このまま人気のない所に連れて行かれてガブリ! かもしれないけれど。
私、どうなるの~~!? やだ、咥えられたお腹が温かい!!
それよりも、ちょっと吐き気が。
体をブンブンと揺さぶられて、気持ちが悪く……。
『オロロロロロ……』
私同様、上下左右に揺らされているニクスも、ちょっと吐きそうになっていた。
荷物、出していないよね?
食後の激しい運動は体に良くない。
「ウッ……!」
もう、ダメかも。
我慢も限界だと思った瞬間、黒銀狼は立ち止まった。
何かに警戒するように、姿勢を低くしている。
どうした?
まさか、また森大熊とか?
その前に、私をぺっしてほしい。
「っていうか、誰か助けて~~」
こんなことを叫んでも、助けなんて来るわけないと思っていたけれど――。
『クエエエエエ!!!!』
ハッ!! その声は、アメリア!?
バサバサと羽ばたく音が聞こえ、少し離れた位置にアメリアが着地する。
アメリアの白い羽が発光し、辺りが明るくなる。
あれは、魔法? 初めて見た。すごい。こんなことができるなんて。
『クエ、クエクエ!』
「助けにきたよ!」と言っているけれど、あなた戦闘できるの?
相手は森大熊に一撃を与えた黒銀狼なのに。
それにしても、私の危機に気付いてアジトから飛んで来てくれるなんて。
でもでも、アメリアが傷ついたら、私は悲しい。絶対に嫌だ。
だから、あるお願いをしてみる。
「アメリア、隊長を連れて来てください!」
『クエエエッ!』
私を置いてここから離れるわけにはいかないと叫んでいる。
そんな、アメリア……。
鎧を装備して世界最強の鷹獅子っぽい姿だけど、戦闘なんてしたことがないのに。
「アメリア、ダメです、逃げて……」
『クエクエクエ、クエクエクエ!』
「……」
アメリアに、「ちょっとの間、黙ってくれませんかね」と言われた。なんで敬語?
何をするのかと思えば、想定外の行動に出た。
『クエ、クエクエクエ!』
なんと、アメリアは黒銀狼に、「いったいうちのお母さんになんの用事なの?」と話しかけていた。
まさか、対話という平和的なことをするなんて。
うちの子ってばかなり賢い。
いやいやしかし、黒銀狼は話に応じてくれるのか。
かなり獰猛な幻獣だというし。
『グウウグウウウウ、グウウ、ウグ』
『……』
「……」
黒銀狼、なんか言ってる。
しかし、私を咥えているので、もごもご言うばかりで、上手く喋れていない模様。
アメリアは目を細めて、「何言っているんだ、こいつ?」みたいな表情になっている。
『クエクエ、クエクエクエ?』
『グウウウウ』
アメリアが咥えているものを出したら、喋れますよと丁寧に教えてあげていた。
すると、黒銀狼はすぐに私をペッと吐き出す。
「うわっと!」
よ、涎だらけ……。じゃなくて、逃げなきゃ。
私は急いでアメリアのもとへ、地面を這うようにして移動した。
「アメリア!」
『クエエ!』
抱き合って、再会を喜ぶ。
黒銀狼を振り返ると、「あ、逃がした」みたいな表情になっていた。
改めて聞いてみる。なぜ、私を攫ったのか。
『クウウウ、クウ』
「ふむ、なるほど」
まったく分からない。
アメリアとは契約を結んでいるので、クエクエ言っていても何を喋っているのか解るけれど、契約していない黒銀狼の主張する言葉は理解できなかった。
アメリアに通訳を頼む。
『クエ、クエクエ、クエエ』
「あ、そうなのですね」
なんと、黒銀狼は空腹状態で、甘い匂いがした私を攫ったらしい。
元々は食べ物が豊富な森にいたらしいけれど、魔法使いに捕まってしまったんだとか。
この、王都の森は黒銀狼が食べられる物はないようで、私を襲ったと。
私は食べ物ではないと分かっていたので、どこかゆっくりできるところでぺろぺろしようと思っていたらしい。
……うん、良かった。ぺろぺろされなくて。
しかし、このまま別れるのもなんだか可哀想なので、鞄の中に入っている禾穀類から作った行動食を与えてみる。
「ニクス、大丈夫ですか?」
ニクスはぐったりとしていた。いつもより、ぺたんと薄くなっている。
『だ、大丈夫だよん』
「きついところ申し訳ないのですが、行動食を出してもらえますか?」
『了解だよん』
すぐに、目的の物を出してくれた。全部で七本。これでお腹一杯になるのか分からないけれど。その前に、お口に合うかどうか。
包んでいた紙を外し、地面に置く。
「どうぞ」
『クウ』
黒銀狼は恐る恐るといった感じで接近してくる。
それにしても、間近でみたら本当に大きい。体長二メトル半以上ありそうだ。アメリアは一メトル八十くらいなので、比べたら小さく見える。
黒銀狼は行動食をくんくんと嗅いだ。
数種類の穀物に木の実と蜂蜜しか入ってない。きっと、おいしいはずだ。
大丈夫だと思ったのか、黒銀狼はパクリと食べていた。カリカリと、いい音がする。
ごくんと呑み込んだあと、尻尾がフルフルと動いた。
どうやら、おいしかったようだ。
「もう一個、食べますか?」
『クウ!』
尻尾をブンブンと振っている。食べたいらしい。
その後、二本目、三本目と食べて満足した模様。
体の大きさのわりに、小食のようだ。まだ、アルブムの方が食べるだろう。
『クウ、クウウン』
姿勢を低くして、クウクウ鳴く黒銀狼。これは通訳してもらわなくても、お礼を言っていると分かった。
最初はびっくりしたけれど、話せば分かる(?)黒銀狼だったようだ。
『クエ、クエクエ』
「へえ、そうなんですね」
どうやら、女の子らしい。それに、まだ若い黒銀狼のようだ。
目はクリっとしていて、毛並みはツヤツヤで、ちょっと可愛いかもしれない。睫毛も長くて、たしかに、女の子っぽい。
「しかし、大変でしたね」
『クウ、クウ、クウン……』
『クエ~~』
アメリアの通訳により、拘束された黒銀狼の扱いが発覚する。
なんでも、連日アジトで生肉を与えられ、食べられなくてひもじかったと。
どうやら、アメリアと同じで普段は果物などを食べていたらしい。
禾穀類から作った行動食も食べていたので、果物だけというわけではないようだ。
「ご迷惑をおかけして、すみませんでした」
『クウン……』
悪い人もいるけれど良い人もいる。それが今日、解ったと言ってくれた。
良かった。どうやら、この黒銀狼は優しい気質のようだ。
「では、これから、気を付けてくださいね」
『クエ!』
私達は隊長のもとへ戻らなければならない。
「アメリア、場所分かりますか?」
『クエ!』
上空から捜してくれるらしい。お礼を言いながら、アメリアに跨る。
ここは木々が生い茂っていて助走が付けられないので、開けた場所まで移動すると言う。
私はもう一度黒銀狼を振り返り、声をかけた。
「では、お元気で」
『クウ』
手を振って、別れる。
アメリアと共に、森を駆けていたが――背後からもう一体、駆けて来る足音が聞こえた。
一度止まってもらい、振り返る。
そこにいたのは、ブンブンと尻尾を振り、目をキラキラと輝かせる黒銀狼だった。