衛生兵として
捕獲した白栗鼠は小さくて、尻尾がフワフワしていて、目がくりっとしていて、とても可愛かった。
魔導リングのおかげで、近付いても逃げない。しかし、こちらを見上げ、ブルブルと震えていた。
可哀想に。きっと、アジトで乱暴な扱いを受けたのだろう。
ウルガスが抱き上げようと手を伸ばしたら、さらにブルブル震えだす。
「ウッ、なんか気の毒になりました」
「仕方がないですよ」
お腹が空いているかもしれないと思い、妖精鞄ニクスの中から炒った木の実を取り出す。油も塩も使っていないので、大丈夫なはずだ。
少し離れた位置に置いてみる。チラチラと気にしているようだったので、どうぞと勧めてみた。
すると、手に取ってカリカリと食べる。二、三個与えてみた。四個目は私の手のひらに載せてみる。すると、取りに来てくれた。
「リスリス衛生兵、お上手ですね」
「なんでしょう。ヘソを曲げた弟や妹の機嫌の取り方に似ている気もします」
「ああ、なるほど」
その後、白栗鼠の平和的保護に成功した。無理矢理連れていくことはできるけれど、手荒なことはしたくなかったので、ホッとした。
「さて、ウルガス、戻りましょう」
「…………はい」
乗り気ではない。どうやら、戦闘が気になっているのだろう。私も、できるならば戻りたくない。
しかし、みんなは戦っている。あの、恐ろしい森大熊と。
ウルガスは頬を両手でパン! と叩いた。気合いを入れて、弓を持つ。
「よし、リスリス衛生兵、行きましょう」
「はい」
私とウルガスは、森大熊と戦う皆のもとへと向かった。
白栗鼠を追って随分と離れていたようで、戻るのに五分もかかってしまった。
森大熊は、いた! だが――。
「――うわっ!」
なんと、森大熊が燃えている。もしかしなくても、リーゼロッテの魔法だろう。
大炎上と言ってもいいのに、まだ動いていた。
動き回る業火と化した森大熊。恐ろし過ぎる!
そんな状態なのに、隊長は猛然と斬りかかっていた。
他のみんなも、ボロボロだ。いったい、どんな戦闘があったのか。
ウルガスが叫ぶ。
「みなさん、下がってください!!」
ウルガスが弓の弦にあてるのは、とびきりの毒矢だ。
この前の雪熊がすぐに死ななかったという報告を聞いて、さらに強力な魔石毒矢を魔法研究局が開発したらしい。
これならば、森大熊に止めを刺すことができるだろう。
頑張れウルガス、負けるなウルガス。
心の中で応援する。
皆が後退し、射線方向には森大熊しかいなくなった。
ウルガスは番えた矢を射る。
『ギュルオオオオオオオ!!』
見事、毒矢は森大熊の目に刺さった。
熊の皮膚は厚いので、鏃が刺さらない可能性がある。目を狙ったのは正解だ。
最後の咆哮をあげ、森大熊の巨体は地面に沈んだ。即効性の毒はしっかり効いてくれたようだ。ひとまずホッ。
「あ、当たった。よ、よかった……!」
ウルガスはその場にへたり込む。矢を外したところは見たことがないのに、奇跡みたいな物言いをしているのが不思議だ。
頑張ったと、労う気持ちを込めて背中を擦ってあげる。
リーゼロッテの炎魔法は森大熊が絶命したからか鎮火した。全身丸焦げの様子に、ゾッとしてしまう。あんな状態で動き回っていたなんて。
ここでハッと我に返る。
皆、怪我をしていたではないか。慌てて駆け寄ったが――。
「治療の必要はない」
ぴしゃりと、侯爵様に言われて立ち止まる。
他の人は服がボロボロなだけで無傷みたいだけど、隊長の腕には深いひっかき傷があった。出血して、腕が真っ赤だ。私がどうこうして治せるものではない。
森大熊にやられたのだろう。金属の鎧をも切り裂くほどの爪を持っていたらしい。
オロオロしていたら、侯爵様が杖を掲げ、呪文を唱えていた。隊長の腕に、魔法陣が浮かび上がる。回復魔法だ。
「わ……すごい……!」
瞬く間に、傷が塞がっていく。ものの数秒で、裂けていた患部が綺麗な皮膚に戻った。
すごい。本当にすごい。これが、回復魔法。
奇跡の力を目の当たりにして、言葉の語彙を失う。ただただ、すごいとしか言えなかった。
同時に、胸がツキンと痛む。
もしも、侯爵様がいなかったら、どうなっていたのかと。
とても深い傷だった。利き手ではなかったとはいえ、もしかしたら、神経も痛めていたかもしれない。
最悪腕を切断とかになっていただろう。恐ろしくて、ぶるりと震えた。
みんなが大怪我を負ったら、私は何もできない。
どうして、今になって気付いたのか。
「メルちゃん、大丈夫?」
肩をポンと叩かれる。振り返ったら、マントが焦げて、擦り傷だらけのザラさんの姿が。
「あ、うわ、ザラさん! ザラさんこそ、大丈夫ですか!?」
「ええ、平気。リーゼロッテの炎に炙られたくらいで、怪我はないわ」
「で、でも、擦り傷とか」
「こんなの怪我のうちに入らないけれど……一応、傷薬でも塗ってもらおうかしら?」
「あ、はい」
水と傷薬を取り出し、まずは傷口を清潔にする。そのあと薬を塗った。
ベルリー副隊長や、ガルさんにも、同じように治療を行った。
きちんと衛生兵の仕事ができたのに、心はザワついたまま。
「リスリス衛生兵、ありがとう」
「いえ……」
今の私には、かすり傷程度の治療しかできない。歯がゆく思った。
「どうした?」
ベルリー副隊長が、私に優しい声で問いかける。
弱音を吐くなんてだめだ。けれど、ボロボロのみんなを見てしまったら、辛くなって、ついつい、いくじのない言葉が口から出てきてしまう。
「私、役立たずだと、思って」
「なぜ、そう思う?」
「だって、隊長の怪我を、治せなかったから」
「隊長ほどの重傷者の治療は、衛生兵の仕事ではない」
「ですが……」
「私は、衛生兵の仕事の中でもっとも重要なのは、隊員の精神面を守ることだと思っている」
「精神面、ですか?」
「ああ」
ベルリー副隊長は話す。己を強く保つというのは大変難しいことだと。
強力な魔物と遭うことがあったり、食べ物が口に合わなくて、食事量が減り、力を発揮することができなかったり、夜、野営地で眠れなかったり。
遠征中は魔物と戦う以外にも、いろいろなことがある。
「そんな中で、私達を支えてくれるのが、リスリス衛生兵だ。今まで、何度も救ってもらっている。体は、回復魔法や医者の治療で治せるが、心はどうにもならない。だから、いつも、感謝をしている」
「ベルリー副隊長……!」
ベルリー副隊長の話を聞いて、ちょっと泣いてしまった。
衛生兵は隊員の心を守るというのは、気付きもしなかったことだ。
今まで、きちんと仕事ができていたと言われ、深く安堵する。
しかし、だがしかしだ。
侯爵様が怖いからと言って、回復魔法を習いに行かなかったのは良くないことだろう。
仕事が忙しかったこともあるけれど、それを言い訳にするのはいけないことだ。
気持ちを入れ替えて、真面目に魔法の習得をしなければならない。
そして私は、心身共にみんなを支えていけるような衛生兵へとなるのだ。
と、決心を固めたところで、皆に飲み物を用意することにした。
皆、リーゼロッテの炎を吸い込んでしまったのか、喉の様子を気にしていた。
普通、あれだけの炎魔法を浴びたら、即死してもおかしくないのに、暴れ回って戦闘を続けることになったので、こうなってしまったのだろう。
リーゼロッテは気にしているようで、落ち込んでいた。ベルリー副隊長が励ましているので、大丈夫だろう。
私は皆に、蜂蜜入りの水を配った。
蜂蜜には殺菌作用、粘膜保護効果があるので、きっと喉に良いはずだ。
みんな、喉が渇いていたからか、ゴクゴク飲んでいる。
ここで、ポケットがもぞもぞして思い出す。白栗鼠を保護していたのだ。
侯爵様に知らせなければならない。
「侯爵様!」
白栗鼠を両手に乗せて、きちんと保護したことを報告した。
「よく捕獲できたな。臆病な上に素早くて、一匹目を捕まえるのは大変苦労したが」
「はい。ウルガスの矢に魔導リングを結んで捕獲したんです」
「なるほどな。しかしそれは、あの弓使いだからこそ、できる芸当だろう」
「そうでしょうね」
なんでも、幻獣保護局の方々は、三時間も白栗鼠を追っていたらしい。
ウルガスには感謝をしなければならない。
侯爵様に白栗鼠を渡そうとしたが、尋常じゃなく震え始める。
「……」
「……」
なんだか可哀想なので、しばらく私が保護しておくことにした。