ビスケットと薬草スープ
リーゼロッテは「今日は泊まっていったら?」なんて言ってくれたけれど、さすがに悪いので、帰ることにした。
持ち歩いていた鞄を、妖精鞄ニクスに詰め込んだ。
パクンと丸呑みしたけれど、あとで出してくれるよね?
『けぷ~!』
なんか、満腹みたいな声を出しているし。ああ、不安。
妖精鞄を肩から吊り下げ、トボトボと侯爵家の長い廊下を歩いて行く。
玄関を出て、馬車の乗り降りをするような開けた場所に出たあと、アメリアに跨った。
「では、リーゼロッテ、また」
「ええ、ごきげんよう」
リーゼロッテと使用人の見送りを受けながら、アメリアは飛翔する。
空を飛ぶだなんて、最初は怖かったけれど、今は慣れてしまった。そよそよと感じる風が心地良い。
それにしても、疲れた。
今日は旅行鞄一個というちょっとした引っ越しをしただけなのに。もしかしなくても、事件に巻き込まれたからだろう。事情聴取とか、地味に疲労が溜まる。
ぼんやりと、景色を眺める。雲も、空も、石畳の道も、屋根も、茜色に染まっていた。
もう、夕方だ。
いろいろしていたら、陽が暮れてしまった。
アメリアはエヴァハルト伯爵家の庭に華麗な着地を見せる。
よろよろしながら帰宅した。
夕食時のようで、使用人の皆様方は忙しそう。奥様に挨拶をしたほうがいいのか。
私と同じ年くらいの侍女を見かけたので、聞いてみる。
「今、奥様はお休みになっておられます。帰宅の知らせはわたくしがお伝えしておきますので」
普段も、別に挨拶とかしなくてもいいらしい。
大家と下宿人のような関係なので、その辺はあまり気にしなくてもいいのか。
「わかりました。ありがとうございます」
「いえいえ、他にもわからないことがありましたら、聞いてくださいね」
優しそうな人でよかった。
それにしても、ここは本当に使用人が少ない。使っているところだけを掃除しているようで、私の部屋に繋がる廊下は埃っぽかった。明日、掃除をしなければ。
「――んん?」
遠くから、軽やかな足音が聞こえる。あれは、もしかしなくても――。
『みゃあ!』
軽やかな足取りでやって来たのは、エヴァハルト夫人の黒山猫、ノワールだ。
尻尾をぶんぶんと振りながら近付いてくる。
撫でてほしいと、額をぐりぐりしてくるので、顎の下をよしよししてあげた。相変わらず、犬並みに懐っこい猫だ。
なぜかノワールも、一緒に部屋についてくる。
すぐさま私は、寝台に倒れ込んだ。
疲れた。本当に。
なぜ、どうして、向かう先々でいろんなことが起こるのか。
今日は引っ越し先で使う食器とか、お風呂用品とか買おうと思っ――あ、せっかく市場まで行ったのに、私、なんにも買ってない!
「うが~~!!」
悔しくなって、思わず叫んでしまった。寝台に寝ころんだまま頭を抱え、足をバタつかせていると、励ましてくれているのだろうか。みんなが、身を寄せてくれた。なんていうか、すごく、もふもふです。
「うん、ありがとう……」
みんな、可愛いよ。ちょっとだけ元気になった。
ここで、いきなり空腹を覚えた。
「ハッ、そうだ。食料も買っていない!」
部屋にはアメリアの果物が届いている。さすが、幻獣保護局。仕事が早い。
果物を取り出してあげた。
『クエクエ~~』
最初は自分だけ食べてもいいのかと遠慮気味だったけれど、どうぞどうぞと手渡したら、申し訳なさそうに食べ始める。
「アメリア、おいしいですか?」
『クエ~』
おいしいらしい。最近、こういう風に手渡しであげていなかった。アメリアも嬉しそう。私も嬉しい。
――ぐう。
ついに、お腹が鳴った。おいしそうに食べている様子が、食欲を刺激されたのだろう。
腿に顎を乗せて果物を食べていたアメリアは、視線を逸らして何も聞えませんといった表情でいる。手渡していた果物を食べ終えると、あとは自分で食べると言って部屋の隅に歩いて行ってしまった。
空気を読める鷹獅子、アメリア。気を使わせて、ごめんね。
ノワールは飽きたのか、部屋を出て行ってしまった。気まぐれな子なので、放っておく。
そんなことはさて置いて。何か食べなければ。そういえば、昼食も食べそこねていたではないか。
取り調べ中、騎士のお兄さんにパン一個はもらったけれど。パッサパッサでおいしくなかった。パンケーキも食べたけれど、一口だけだったし。
何か食料を持っていなかったか。妖精鞄ニクスを膝に置き、中に入れていた私物の鞄を取り出そうとする。が、ちょっと怖いかも。手を呑み込んだりしないよね。
『大丈夫だよん!』
ニクスはそう言うと、鞄をひょこっと出してくれた。
「あ、ありがと」
表面を撫でると、『むふふ』と笑っていた。手を入れたらバクン! ということにはならないようで、ひと安心。
気を取り直して、鞄の中から食料を探す。出て来たのは、飴三粒とビスケット、以上。
想像以上に、何も持っていなかった。
「これじゃ、お腹いっぱいにならないですね」
『アルブムチャンノ食ベ物、アゲヨウカ?』
アルブムは収納魔法を展開させ、所持していた食料を見せてくれた。木の実にチョコレート、干し肉に炒り豆、パンの欠片などなど。
「へえ、たくさん持っているんですね~って、アルブム、またついて来たんですか?」
『ウン』
今になって、アルブムまでエヴァハルト家に来ていたことに気付く。なんか、疲れていて、意識が朦朧となっていたのか。
「私、なんだか、すごく疲れてますよね?」
遠征から帰って来たあとよりも体がキツイ。いったいどうしたものか。その疑問には、アルブムが答えてくれた。
『妖精ト、契約シタカラダト思ウ』
「契約って、魔力を消費するんですか?」
『ウン、スルヨ。侯爵様モ、アルブムチャント契約シタアト、倒レタカラ』
「え!?」
知らなかった。だから、侯爵様はあんなに怖い顔で私を睨んだのか。軽はずみで妖精と契約するなとも怒られた。
今度から、気をつけなければ。
「なるほど。だから、こんなに疲れていると」
『タブン』
自業自得というやつだろう。
「あ、そうだ、グラ、グラで、何か食材を……」
グラの存在を思い出して捜したが――ない。
引っ越しの時はしっかり手に持っていたのに。もしかして、家出をしてしまったのか。不思議な杖なので、家出をしてもおかしくない。
「グラ、戻って来てください、グラ!」
『クエ~~』
アメリアが気の抜けた声で鳴く。どうしたのかと聞くと、部屋の隅を指し示した。
「あ!」
グラは、つっかえ棒のように部屋の角に嵌め込み、物干し竿と化していた。
騎士隊の外套が、無造作にかけられている。
「すみませんでした」
お騒がせをしたことと、グラを物干しにしていた件を、まとめて謝罪する。
グラで生成できるスノードロップの実があれば、元気になるに違いない。
期待を込めて握ったが――魔法陣は浮かんでこなかった。
「な、なんで!?」
もしかして、食材を作る魔力がないから?
その可能性に気付いたので、グラに頼ることを諦めた。
なんていうか、脱力。
このままでは動けなくなる。その前に、とにかく何かを食べなければ。
「庭、庭に生えていた草……じゃなくて、薬草とか、もらってもいいのか」
スープとか飲んだら、元気になると思う。きっと。アルブムが干し肉を持っていたので、それを出汁にして作ったらおいしくなるかなと。
『アルブムチャン、聞イテコヨウカ?』
「お願いします」
力なく見送ったあとで、ふと気付く。妖精がいきなりやってきたら、驚かないかなと。
しかし、あとを追う元気などない。
――十分後。
『タダイマッ!』
アルブムが戻って来た。二足歩行で入って来る。両手いっぱいに、薬草を摘んできてくれたようだ。
『アノネ、薬草、食ベテモイイッテ。ダカラ、食ベラレソウナヤツ、持ッテ来タヨ!』
「うわっ、ありがとうございます」
厨房の方々は、アルブムが質問に行っても、怖がらずに答えてくれたようだ。さすが、幻獣のいるお屋敷。
『キノコモ、見ツケタ』
「嬉しいです!」
相変わらず、食べ物を探す才能は世界一かと思う。頑張ってくれたアルブムを、いい子、いい子と撫でた。
まず、暖炉に火を入れて薬缶に飲み物用の湯を沸かし、アルブムが摘んできてくれた薫衣草で薬草茶を作る。部屋にカップがいくつか置いてあったので、使わせてもらう。
次に、スープ。鍋などないので、薬缶の中で作ることにした。
疲労回復効果のある薬草ニンニクに、胡椒茸、消化促進効果のある迷迭草、臭み消しの花薄荷に干し肉を入れて、しばし煮込む。
薬草がくたくたになったら、完成。スープもカップに注いだ。
本日の夕食はビスケットと薬草スープ。
アルブムにもわけてあげた。
「ニクスも食べますか?」
鞄にスープを飲ませるのは、なんとなく嫌だけど、一応聞いてみる。
『大丈夫だよん』
「そっか」
ニクスはアルブムのように、たくさん食べなくても大丈夫らしい。同じ妖精でも、食欲に違いがあるようだ。
「では、アルブム、食べましょうか?」
『ウン!』
神様に祈りをささげたあと、ようやく食事にありつく。
スープをふうふうと冷まして一口。
薬草の味わいが、空っぽの胃に沁みわたった。
干し肉の出汁と、胡椒茸のピリっとした風味が、味わいを深くしてくれる。
ビスケットを食べて、スープで流し込む。
シンプルな食事だけど、十分おいしい。
ささやかな夕食を、アルブムと堪能した。