感覚共有者と過去
22時 42分
夏の夜風が体を撫でるのは心地いいが、ビルの10階にもなると少々肌寒い。
「なんとか間に合ってよかったわ」
境夏達と別れてからも視覚の“共有”は続いたが、200個所目に差し掛かった辺りで「もう限界だ! この場で泣きわめくぞ!」と駄々をこねたところ、残りは不知火の左目と“共有”させることになった。
「うわ〜、確かに気持ち悪いわねー」
不知火は軽い調子で言っているが、常人ならば数回吐いてもおかしくない状態である。
「でもなんでビルの屋上なんかに?」
「“ブラックバス”を見つけた時に移動しやすいじゃない」
1度地上に降りる分、面倒が増えるのでは?と思ったが口にはしなかった。冗談交じりにいきなり銃口を向けてくるような女だ。ヘリコプターなどを呼んでも不思議ではない。
「それじゃあ、金髪の子が襲われてたら報告しなさい。それまでは黙って観察」
「へいよ」
俺は屋上の中心辺りに腰を下ろし、不知火は淵から足を出してブラブラしている。
「一つ聞きたいんだけど……」
「お前は1分も黙れんのかい!」
「まあまあ、良いじゃない。あの車椅子の子について聞きたいのよ」
「車椅子? ああ、境夏か」
不知火は「そうそう」と首を降った。
「どうせ付き合ってんでしょ? 暇つぶしにドロドロした話聞かせなさい」
「いや、付き合ってるわけじゃねーよ。ただ俺が近くに居ないといけないんだ」
「どういうこと?」
率直に聞かれ、彼女に話そうか少し迷った。
「……話すと長くなるんだが、元々は―――」
「ちょっと待って。ここに来て回想編とかやらないよね? 10話脱線しないよね?」
「するかよ! ……出来るだけ簡潔に話すに決まってるだろ!」
水を刺されたが、咳払いをして仕切り直す。
「元々俺は境夏の兄貴、千春と友達だったんだよ―――」
境夏と初めて会ったのは高校時代だ。 当時の彼女は異常に兄を慕っていた。何処に行くも一緒だったし、俺と千春の仲を嫉妬するほどだ。
後から聞いた話だが、当時、彼らの両親がなくなり、互いが唯一の家族だったらしい。いつ壊れてもおかしくない境夏の精神を支えたのも千春であり、境夏も千春にどんどん依存して行った。
「元々、精神的に強くない子だったらしいけど、両親の死を境にどんどん悪化したんだと。千春がいないだけで癇癪を起こした時は流石に引いたね」
「その時は既に車椅子だったの?」
「いや、精神的には病んでたけど体には特に異常は無かった。あの時まではな……」
ヒビの入っていた境夏の精神が決定的に破壊されたのは、忘れもしない7月14日の事だ。
境夏を支えることへのストレスか、それとも他の要因か、千春の能力が暴走した。
ちょうど昼休みの事で、彼は目に入った生徒を無差別に襲った。もちろん境夏も例外ではない。
「あれは地獄絵図だったよ。姿は変わってないのに親友が別の生き物に見えた。あんなに可愛がってた妹に手を挙げたんだぜ? 俺も止めようとしたよ。でも、“共有”するだけの俺になにができる?」
「それで、どうなったのよ」
「…………こう言うとヒーローみたいに聞こえるかもな。そこに現れたんだよ“能面”が―――」
どこからともなく現れた“能面”は千春を1本の歪なナイフに“変えた”。
一瞬のうちに鎮圧されたナイフが床に落ちた瞬間、境夏がそれに飛びつき、庇うように身を縮めた。
それを見た“能面”は名残惜しそうにしながらもその場から消えた。俺は何も出来ずに立ち尽くすだけ。
「唯一の頼りが無くなると境夏は俺を慕うようになった。自分が1人じゃ生きていけない事を知ってるんだろうな。足が動かなくなったのもその事件が原因さ。境夏は“能面”のせいだと思い込んでるけど、真相は闇の中だよ」
「兄貴のせいじゃないの? 聞く限り“能面”は何もしてないじゃない」
「言ったろ? 真相は闇の中。つまりは、都合のいいようにしておけるんだよ」
不知火が“なるほど”と呟く。
「それからの境夏は俺を燃料にして動く“能面”捜索ロボットだよ。千春をナイフに変えた奴なら元に戻せると思ってんだ」
「でも、もし万事上手くいって元に戻せたらアナタはどうするの?」
妙な質問に俺は首をひねった。
「俺は依存されてる方だ。千春が戻れば、境夏の依存の対象も戻る。俺はお払い箱だろ」
「依存してる方は別の隠れ家が見つかるんだから幸せでしょ? でも、依存された方は、突然空いた穴に何を埋めるの? メンヘラ車椅子と過ごした過去とか?」
「…………」
言葉に詰まった。万事上手くいって、千春が戻った後の世界を想像出来なかったからだ。
「ま、依存してるのはアナタの方かもしれないけどね」
不知火がからかうように言った、その時。彼女は急に立ち上がり、「見つけた……」と不敵に笑った。
「お陰で“ブラックバス”は見つかったわ。これ、報酬よ」
不知火は紙の束を俺にほかった。そして、次の瞬間なんの躊躇もなく屋上から飛び降りたのだ。
「なっ! 何してんだよ!」
すかさず地面を覗いたが一切の血痕も見えない。しばらく考えた末、これが彼女の“能力”なのだと無理やり納得した。
報酬を拾い上げる。太さ的に100万円はあるのではないかと期待したが、全部1000円札であった。
「これっぽっちかよ……」
文句を言いながらも札束をポケットにねじ込んだ。
そして、仕事中電源を切っていたケイタイを起動した。
数十件の不在着信に息を飲んだ。一番新しい伝言メッセージを再生する。光輝の声で伝えられる四肢滅裂な内容を聞き終わる前に階段を駆け下りていた。
珍しく木曜投稿です。今週は日曜日に暇ができそうもないので今回が今週の分ですね。




