ナナシちゃん
頭が疼く。ここはどこだろう。エタノールの香り。病院か? 俺は素早く眼を覚ました。
気がつくと縛られたまま、白い部屋にいた。俺の目に向けて強いライトが当たっている。
ここは牢屋だ。俺の視線の先はたくさんの影が存在している。深くローブをかぶった人間。
「これより、質問を行う。君はヨギか?」
俺は返答に迷った。ローブをかぶった人間たちは、俺を囲って指を伸ばした。
「君はタイプDか、それともヨギなのかと聞いている。質問に答えたまえ」
気分が悪い。眩暈がする。何か飲まされたのかもしれない。自白剤とか。
俺はもつれる舌でぼんやりと答えた。
「どうやらヨギ候補みたいだ……」
ローブの人間たちが歓喜の声をあげる。
「そうか、遂に新しいヨギを手に入れたか!」
頭痛がする。
ナナシちゃんを銃撃した人間たちの跳ねるような歓喜の声が俺一層いらつかせた。
「てめえら……あの子は無事だろうな」
それだけが俺が勇気を振り絞れる事実。男たちの声は嘲るように響いた。
「ついても、刺しても死なぬタイプDの心配か? ……愚かだな」
「タイプD。それがあの子の事なのか?」
俺の返答にローブたちがざわつく。
「ドライバー・ディーヴァ・デビル。悪魔だよ。ヨギのくせに何も知らないのか?」
「俺は駆けだしなんだよ」
「嘘はいけないよ。ヨギが悪魔を否定するのかね? よくない傾向だ。ヨギと悪魔は切っても切り離せない」
ヨギだの悪魔など、日々の日常生活には全く必要なかったものだ。
なんで今更……。ローブの人間たちはさざめく。
「悪魔の情報はテレビやネットではあまり知らされていない情報だが、君なら最初から知っているはずだぞ。誤魔化さないでもらおうか。秋吾君」
ああ、勘違いか。俺は目を閉じた。聞かれるばかりでなんだか一方的に損をしている気もする。
「山伏を信じ、悪魔を信じるあんたたちは、この世で、一体、何を信じているんだ?」
ローブの人間たちは薄く目を開いた。
「ああ、心獣様だよ。心獣様は素晴らしい。人を素手で切り裂くあの力。神話の獣、美しいフォルム。誰だって心酔してしまうよ。美しい獣は羨望の対象となる」
「心獣様って……」
秋を行方不明にした化け物。そんな物をこいつらは崇拝しているというのか?
ローブたちは胸を張る。
「心獣様は我々の神! 素晴らしい心獣様はいつか我々を滅ぼす。そして、我々の望む美しい天国に連れて行って下さるのだ。ようこそ。我らのネルガルドへ!」
俺は吐きそうになった。ここはあのセントラルドームじゃない。別のドームだ。こいつらのホーム。くそ、ここ最近、俺を取り巻く状況はただひたすらに悪化していないか?
あそこから、どうやって運搬されたんだ? まさか転送の海を通って……。
「帰してくれ……」
「は?」
「俺をあのドームに帰してくれ!」
気分が悪い。相沢皓人、早く来い。ナナシちゃん、早く連絡を!
「返すわけにはいかないよ。せっかく捕まえたヨギなんだ。名波秋吾くん、君の魔人ハイゼルベルクは元気かね?」
こいつら、やはり俺と秋を間違えて!
「君のハイゼルベルクでたくさんの心獣様が傷ついたんだ。さあ、どうしてくれよう?」
杖を握りしめたローブの人間たちの顔に残忍な笑みが浮かぶ。
「切り刻む? それとも派手にお仕置きをするか?」
イヒヒ。いやらしい含み笑い。正面の男が取り出したナイフが鈍くきらめく。
冗談じゃない。早く来い、相沢皓人! 何をやっている!
「……俺はカードなんて一枚も持っていない!」
「ああ。嘘はいけないよ。君はカードを持っている」
切り裂かれた俺のポケットから、秋が渡した小さな封筒が転がり落ちる。
その間に入っていたのは……。
「ナンバー1。魔人サウザード。ハイゼルベルグとしか仲良くできなかった君が、今まで誰も乗れなかったサウザードのカードを持っているなんて。どうしたんだい、秋吾くん」
秋のカード? ローブの人物は、そのカードの真ん中にナイフを突き立てた。
カードから黒い血が染み出す。溢れ出した血は床を濡らす。俺は血相を変えた。
もしや、あれは魔人、フレームガリバーのカードなのか?
フレームガリバーは世界を守る理で、ニュースにもなったことがある。
「ヨギを利用して『魔人狩り』を行おうと思っていたのだが、いい獲物が引っ掛かったよ。君、生け贄になってくれないかな?」
俺の胸にナイフがねじこまれる。俺は血を流さなかった。
俺の胸とナイフの間には花のように白い手が存在していた。
「否、させません」
ローブの群れの中から現れたナナシが、俺を刺し貫く予定だったナイフの刃を素手で叩き折っていた。無表情で敵に蹴りを叩きこむ。ベルトにはたくさんの剣の柄。
「申し訳ありません、陛下。陛下がピンチになってから、5秒で参りました」
「もっと早く来てくれ!」
俺は折れたナイフの刃で腕の拘束を解く。
彼女の侵入は敵にとっても想定外のようだった。俺は彼女を見下ろす。
「で……どうするんだ? これから」
「いい知らせと悪い知らせがあります。皓人は来ません。私以外、助けも来ません」
「どっちも悪い知らせだな」
俺は魔術師のカードを敵から奪い取った。秋の書いた手紙も取り戻す。
「どっちに逃げればいい?」
彼女は俺の服の裾を引く。走って、走って、行き止まり。合っているのか?
「今から壁を破壊します」
「壁を壊す? 出来るのか?」
「はい。可能です」
彼女は四角い魔法陣のような物をマジックで壁に書きなぐる。
「いいのか? 油性で」
「はい。私の力を思い知ればいいのです」
「油性はマジックの力だ。偉大なる力だ」
彼女は静かに立ち上がる。壁に手を当てて祈りを込める。
「行きます」
「こんなので通れるのか? 本当に通れるのか!」
「ええ。腐食の方陣です」
「腐食……物騒なんだな」
「これを最初に作ったのは閣下です」
「秋が?」
俺は息を飲んだ。
「あの人にはヨギの才能がまるで無かったから、だから努力したのです」
彼女は俺たちが通り抜けた壁の穴を、ルージュで描いた方陣で治しながら進む。
確かにこうすれば追っ手を阻める。俺たちは広場に出た。
「ここは……」
「私が入って来た表は封鎖されました。裏へ行きます」
俺たちは風を切るように走る。
「ナナシ、どうしてそんな風に淡々としているんだ?」
「あなたたちと話をする時は個性を消しています」
「なんでまた」
「私は薪です。薪には個性など必要がないからです」
遠くからローブの人間たちが俺を見つめて叫ぶ。
「いたぞ!」
男たちはキャスターのついた檻を引きずっていた。その中には頭が三つに割れた化け犬が入っている。家ぐらいの大きさの心獣がうなりを上げている。
ナナシは素早く的確に俺の腕を引いた。
「こっちです」
俺は息を切らした。くそ。こんな時に。体力不足が恨めしい。
減速する俺たちを前にローブの人間たちは歓喜の声を上げた。
笑いながら檻のレバーを下す。
「さあ、心獣様、お願いです。あの二人を噛み殺してください!」
ケージのふたが開き、『地獄の番犬』が飛び出す。ナナシちゃんの声は虚ろに響く。
「あれが心獣です」
ウオオオオオ。響く遠吠え。俺はもがくように走る。あんな獰猛な生き物に追われたらどうなるんだ?
答えはすぐに分かった。『地獄の番犬』は牙をむくと、近くにいるフードの人間たちに襲いかかった。牙を深く突き立てる。
「おお、心獣様が我らを天国へ連れて行って下さるぞ! ありがたいぞ!」
熱狂的な歓喜の声が辺り支配する。たくさんのフードは血に染まり、『地獄の番犬』は生臭い息を吐いた。俺は恐怖で息を止める。
「どうする? 『魔法少女ナナシちゃん』」
彼女は呼び方など、どうでもよくなったのか否定も肯定もしなかった。
「可哀想な人たち」