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フレームガリバーと百万の死  作者: 新藤 愛巳
25/29

何もない

 俺の隣でアストリアが寝息を立てている。真夜中、午前二時。

 パズルのピースが落ちてくる。俺の心に。

 本人は覚えていなくても、脳は覚えているのだろう。

 彼女は夢の中でずっと、あの日を繰り返している。メトロノームのように。


「……お前も馬鹿だよ」


 俺はベッドを彼女に譲った。毛布をかける。

 彼女の目から、涙がこぼれるのを俺は見た気がした。

 誰もが過去を抱いて眠っている。現実を生きなければ意味なんてないのに。


      ☆      ☆      ☆      ☆      ☆


 早朝、朝焼けの街。ドームの空に日が登る。

 アストリアは再び名波秋吾の病室を訪れていた。保険屋アイギスの施設。そこにはたくさんの医療用具に縛られた彼が眠る。どの怪我も致命傷だ。

 アストリアはドライフラワーを飾った。白く震えるカスミ草。

 偉大なる閣下をたたえるために。

 アストリアが廊下に出るとそこには皓人が立っていた。


「秋吾くんに何か用かな、アストリア」


「閣下を利用して、陛下を走らせるのですか?」


「人参が目の前にある馬はよく走るからね、愉快だよ」


 アストリアは沈黙した。


「私の陛下は誰にも負けません」


「今のままでは勝つ事も出来ないけどね。このままだと目を開くしかない」


 アストリアはガラス玉の目で皓人を見つめる。


「アストリア、僕を許さないかい? 君たちは薪だろう?」


「そうです」


 彼女は背の高い皓人の隣で立ち止まる。


「名波兄弟なんてどうでもよかったんじゃないか?」


「ええ。バラバラにされようが八つ裂きにされようが何とも思いません」


 皓人は溜息を吐く。


「君は大嘘つきだ。君は名波圭吾を信じている。焼きもちを焼きそうだ」


「『大切なのは目ではなく心で見ること』大切な言葉です」


「それは誰が教えた言葉か、君は覚えているか?」


「5秒で答えます。閣下です」


 皓人は苦笑いした。太陽がビルに飲まれて闇が訪れる。外を雨が支配する。

 皓人の顔に深い影が落ちる。


「憂鬱だな~」


 皓人はアストリアの髪に生花のカスミ草を飾ると笑いながら去って行った。


      ☆     ☆     ☆     ☆      ☆


 胸が痛い。俺は鈍い気持ちのまま、時を過ごす。気持ちの整理がつかない。

 授業の準備が忙しくて、比奈子とまともに話す暇が無い。

 それがこんなにありがたいと思った事はない。

 放課後、俺たちは稽古を始める。立ちまわり、セリフ合わせ。照明の設定。

 比奈子は俺を見つめると、いつものように嬉しそうに手を振って走って来た。


「やあやあ、名波くん。今日もセリフがキレキレだね!」


 俺は彼女の脇を静かに通りぬけた。


「あれ? 名波くん、疲れているの? どうかしたのかね~」


 穏やかな声も、柔らかなまなざしも全てが俺の胸をひっかくのだ。乱雑に。

 まるで魂をゆっくり握りつぶされているみたいだ。俺は静かに彼女を見つめた。

 本当はおかしいと思っていた。彼女があんなに簡単に俺に近づいてきたのは。


「どうして?」


「え?」


「どうしてあの時、君は僕を裏切ったんだ」


 比奈子は唇を震わせた。鋭い痛みを覚えた顔で。

 若宮の話は間違ってなどいなかったのだ。


「頼みがある。二度と僕と口を利かないでほしい」


「あの……あのね……わ、私……」


 比奈子は泣きながら去っていく。他人に悪意をぶつけたのは初めてだ。憎いと思ったのも。

 俺は台本をめくった。静かにセリフを目で追う。由香里は俺の隣に座った。


「何かあったの?」


「何もない」


 功士は怒った目で俺を見た。


「何もないわけがない。比奈子さんは泣いていた……」


 俺は懐から写真を取り出す。壊れたハイゼルベルクの写真を。


「これは……4番ハイゼルベルクですか?」


「君たちはここの撃墜王がどうして負けたか知っている?」


「ああ、確か整備不良……」


 功士の言葉に、飲みこみのよい由香里は顔色を変えた。


「圭吾くん、まさか……」


「比奈子に整備してもらえなくて倒れたヨギは、僕の大親友だ」


 功士は握っていた演劇用の剣を床に落とした。


「嘘だ。信じられない。俺たちヨギは命懸けでいつも頑張って……なのに……」


 ヨギ以外の俺のもう一つの仕事……。


「僕はアイギスに裏切り者を報告する義務がある」


 功士は俺の胸倉を掴んだ。力任せに揺さぶる。


「お前、ドームから追い出されたら、どうなるか知っているんですか!」


 俺は死んだバッタのような目で功士を見つめた。

 やせ細った腕が、管だらけの体が、壊れたハイゼルベルクが、俺を磁石のようにその結論へと導く。俺が吐きだした結論は一つ。


「誰でも、どんな人間でも……だからこそ。許せないと言ったら、理解してくれるか?」


「圭吾……」


 功士は痛い物を見つめたような顔をした。こわばった指を震わせる。

 由香里は俺の隣で穏やかに囁く。


「圭吾くん。私には親友がいた事がないからわからないのだけれど。だからこそ、聞いてほしいの。比奈子ちゃんは……」


「嫌だ! 聞きたくない!」


「聞いて! 比奈子ちゃんは……!」


 俺は耳をふさいだ。胸の中を憎悪が渦巻く。

 信じていたのに、信頼していたのに。比奈子、俺の気持ちを踏みにじったな。

 明確な憎しみが、胸の中を駆け抜ける。嵐のように吹きすさぶ。

 ウウーン。耳をつんざくようなサイレンの音がする。心獣警報。


「圭吾、俺たちは行きます」


「うん」


「お前はどうしますか?」


「行かない、ここの奴らなんて誰一人守る価値もない」


 由香里は俺の頬を叩いた。ゆっくりと俺を抱きしめる。優しく真綿でくるむように。


「よく考えなさい。よく考えて結論を出しなさい。あなたは私に本当のトロフィーをくれた人……。私たちを守ってはくれないの?」


 俺は由香里を見下ろした。


「お前ら強いだろ。俺の出番なんてないよ。名誉と金のために戦っている奴らに俺の気持ちなんてわからない」


 由香里は悲しそうに口を押さえ、功士は振り向かず走っていく。見限ればいい。

 俺は読んでいたマニュアルを風に散らす。

 何にもなくなった。背負っていた荷物は全部なくなった。俺はふらふらと歩きだした。

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