化け物の右腕
「2人ともご飯、冷めちゃうわよ~」
ココミはババロアをプルプル震わせておいしく口にする。俺たちは食卓に戻った。
秋はオムライスをつつきながら、忌々しくエプロンをはぎ取る俺を視界に入れる。
「ねえ。兄さん、女の子、好き?」
「大好きだ。特に太ももが好きだ! 三月三日は太ももの日だ!」
俺は力説し、ココミは変な顔でスプーンをくわえる。
「もう、ケイちゃんは変態なんだから!」
俺は意地悪な笑いを浮かべる。
「ココミは変態の母親ですか~」
「いやあぁぁぁぁ、ココミって呼び捨てにするのも、変態になるのもやめて~。お母さんがケイちゃんたちを拾ったんですからね」
俺は悪乗りしてニヤニヤ笑った。秋がいつものように苦笑している。
「兄さん、母さんを『いじめる』のはやめた方がいいよ。口を利いてもらえなくなるよ」
「もう遅いわー」
俺はココミに噛みつかれて閉口した。
「ねえ、兄さん。太ももはすごいけど、人に好かれない女の子って好き?」
すごい質問だ。俺は恥ずかしくて赤面した。
「嫌われ度合いにもよる」
秋は明るく笑った。
「助けてあげてよ。多分兄さんにしかできない」
秋は素直で優しくて皮肉屋な俺とは出来が違う。自慢の弟だ。
俺はそんな風にはなれない。人の事なんて考えられない。俺の世界はここだけだ。
結婚もしない、内職で働いて、決して外には行かない。
この中は天国だから、どこにも行かない。そうやってココミを守り続ける。ずっと。
秋は身支度を整えた。
「兄さん、母さん。ごちそうさま。それじゃあ行ってきます」
秋は学校に行くために部屋の扉を固く閉ざす。
今日も転送ポッドで学校に行くんだな。偉大なる転送の海か……。
俺はいつものように朝食を片付けながらそれを見送った。
もともと俺たち兄弟はこのドームに捨てられていた。それをココミが拾った。
幼いココミは僕たちの母になると言って聞かなかった。
僕らは肩を寄せ集めてそっと暮らしている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
天は遠く、空は薄青く。紫外線が俺たちの活動を阻んでから、早数十年。
薄くなったオゾン層を貫く宇宙線は、地球上の生物の多くを殺菌してしまった。生き残ったのは変化に対応できた生命体と、対策と知恵を駆使した人間たちだった。
通称『箱庭』と呼ばれるドームに俺たちは暮らす。
ドームとドームの間には磁気嵐吹きすさぶ転送の海。人間はその磁力を利用して、転送の海にある穴を飛ぶのだ。学校ドーム、会社ドーム、農園ドーム、公園ドーム。
居住区からいろんなドームに転送されて人間は生活している。
マーキュリー社はその中でもトップクラス、転送ホールの海の仕組みを創った会社で、俺たちの『箱庭の中の箱庭』セントラルドームを仕切っている。ココミはそこで家具のデザインをして儲けている。工場で作られた家具はラインを経由して転送される。
ココミはデザインボードに書かれた椅子を見せびらかす。
「ねえ、ケイちゃん。このデザインどう? 赤地に白色の水玉、上に緑のレース。今回はイチゴをイメージしてみました~。可愛いでしょ~」
「う~ん。ここにミサイルをつけたらいいんじゃないかな。そうしたらもっと……」
俺の本気のアドバイスにココミは泣いた。
「ケイちゃんの意地悪。母さんが困ればいいと思っているのね~。母さんは椅子を作っているのよ、兵器じゃないのよ~」
「残念だが、ココミ。俺にセンスは無い。秋に聞いてくれ」
「ダメよ。母さんは、毎日こうやってケイちゃんの感性を鍛えているのに! じゃあ、罰として晩御飯はほくほくコロッケよ。ソースをジャバジャバかけていただくのよ」
「ココミ、素材本来の味を味わおう! 何のために俺が天然有機野菜をマッシャーしていると思っている!」
俺は材料を確認すると、時計を見つめた。秋が出かけてから、ずいぶん経つ。
昼ごはんの後片付けもココミのおやつも済んだし、そろそろ自動掃除機をかけて晩御飯でも作るかな。俺は秋吾の部屋をいつものように開き……言葉を失った。
転送ポットの前に赤いシミが広がっていた。
なんだ、これ?
鳥肌が立つ。もしや学校への転送に失敗したのか? 事故か?
嫌な妄想ばかりが脳裏を走る。
「おい、秋!」
平気か? 大丈夫か? 掃除機につまずきながら部屋の中央に躍り出ると部屋に透明なパネルが現れた。 秋吾の部屋のモニターが俺の声に反応して映像を吐きだす。
小さな部屋に、見た事もない制服を着た秋が、バイクのようなハンドルを握って立っている。その背後に 存在しているのは淡い髪をした無機質な少女。右手には目蓋。
俺の夢の中でフレームガリバー、トライレベッカに乗っていた女の子によく似ている。
彼女は秋の背後の大きな白い石の中で小さく歌っている。呪歌だ。魔人の歌。
秋は歯を食いしばって血に濡れた目を薄く開いた。青のコンタクトをしている。俺と同じ目の色だ。
「秋! どうした! 何があったんだ!」
「その声は兄さん……?」
俺は救急箱を握った。
「そこはどこだ! どこのドームだ? 言え! 今行く!」
「駄目だ!」
モニターの中で轟音が響き、煙が上がる。秋のいる場所が壊れ、その隙間から馬面の巨大な怪物が覗く。 マグロのように無機質で大きな目が探し物をしている。
俺は鳥肌を立てて息を飲んだ。化け物だ……。
「兄さん……後の事は頼むよ。ココミを」
「頼むって、何を……!」
俺は声を震わせた。何が起こっているんだ? その化け物はなんだ。
そんな質問は今、無意味のような気がして、俺は転送ポッドに数字を打ち込む。
学校、学校の住所は何番だ! 転送マシンが煙を上げる。
「秋、言え! そこの住所は!」
「来てはダメだよ……そうだ、兄さんには行者特性があったよね」
「ああ、連結7だけど……発現はしていない。それが関係あるのか? そこの女は何なんだ」
「この通信が切れたら、すぐそのドームから引っ越してほしい……でないと僕が今日まで頑張った甲斐が無いよ……」
キロキロキロ、キロリ。黒い馬面の化け物の目が秋を見つけた。嫌な予感がする。
「やめろぉぉぉぉぉ」
モニターに向こう、秋のいる部屋がばらばらに壊れる。俺は暴れながら悲鳴を上げた。
「やめろ、やめろ。もうやめろぉぉぉ」
声を聞きつけてやってきたココミが俺にしがみつく。
「ケイちゃん、落ち着いて! 何が起きたの?」
『残りの半分……』
モニターから黒い化け物の黒い腕が現れた。俺はココミを抱きしめて転がった。
現れた黒い五本指はコンクリで出来た秋の部屋を滅茶苦茶にかきまわす。
秋と一緒にいる少女は虚ろな目で俺を見た。
「貴方は邪魔です……通信を五秒で切断します。1、2、3、4、5」
少女がこの場所とモニターの接続を断ち切る。
化け物の腕はブツリと音を立てて、秋の部屋を転がって動かなくなった。大きな黒い腕。
断面が紫の血をぶちまける。
「……ケイちゃん、何がどうなっているの?」
ココミは俺にしがみついたまま震える。俺は乾いた顔で化け物の手を見下ろした。




