愛のない
クラスメートの長谷川比奈子が道をふさぐように出口をふさいだ。セントラル組の子。彼女は小さな太陽だ。傍にいるだけで、周りが明るくなる。験力のように……。私と反対だ。
「なにかようかしら? おかしいでしょう、トイレで泣く女なんて」
比奈子は言葉を選ぶように私を見る。
「あのね……由香里ちゃんは遠足とイモ掘り、どっちが好きかな?」
私はあっけにとられた。聞いた事のない単語だ。
「い……イモ掘り? 隋の時代の小野妹子を掘り出す……雅な遊びかしら?」
長谷川比奈子は頬を緩めた。
「妹子は拾えないよ。昔の人だもん。うちの近所の畑で、もうすぐ食べるイモが収穫できるの! 日曜日、一緒に行かない?」
「どうして……? なんでそんな急に……」
ずっと憧れてきた。待っていた。誰かが声をかけてくれるのを。友達が声をかけてくれるのを。
「それがね、名波くんが友達を作るには、フラグを立てなきゃダメだって言うんだよ」
「圭吾くん……? フラグ? あんな酷い人が私の大事なものを捨てる人が私に為にフラグを? 私に辛辣なのに? そんなの嘘よ。でたらめよ!」
「名波くん、クラスでも浮いているでしょ。だから、委員長には友達をつくるアドバイスを……ぜひして欲しいの! それでね、これは私たちが作ったトロフィーなのだよ」
比奈子は歪んでよじれた粘土を持っていた。恥ずかしそうに頬をかく。
「うまく作れなくてね。こんなになってしまったのだよ。私も功士君も頑張ったんだよ。あはは。由香里ちゃんの輝けるトロフィーの隅に置いてくれたらうれしいよ」
「いい加減にして! こんなものいらない!」
「こんな物とはなんですか。比奈子さんは悪くありません。悪いのは自在に姿を変える粘土という物体の神秘!」
トイレの向こうで声がする。
私はうずくまる。名波くんには誰もいないと思っていた。
だから、私でも……こんな私でも、話しかければ、仲良くなれるんじゃないかってそう思っていたの。
でも、誰にも見えないのは……見えていないのは私のほうだわ。名波君にはちゃんと友達がいる。
赤面してトイレの窓を開き、勢いをつけて外に逃げ出す。
優雅に着地し、振り返って愕然とした。そこには退屈そうな圭吾くんが座っていた。
「よお。出てこないんじゃなかったのかよ。由香里」
「……名波くん、こんな所に私を閉じ込めるなんて、酷い人ね」
「お前が先に閉じこもったんだぞ。面倒な女だな。くくく」
名波圭吾は私の手をひいてトイレから離れる。夕方はとっくに過ぎていて、夜が押し迫ってくる。名波圭吾は月明かりの下で足を止めた。彼は私を見下し、乱暴な口を開く。
「鷹野由香里。現状に立ち向かってばかりだと、引き時がわからなくなるぞ」
彼は私よりも私を知っている、この人は気持ち悪い人だ。なんでこんな変な人が。
「……圭吾くんなんて嫌いよ! 大嫌いよ! あなたは私の事なんてどうでもいいでしょう? 私の大事なものを捨ててもあなたは平気なんでしょう? 称号なんてどうでもいいんでしょう? 同じ一人でも、私とあなたなんて価値観がまるで違うのよ! その手を離して!」
「お前がどう思おうと俺は構わない。どうせ俺はみんなに嫌われているようだしな。お前と違って。くくく」
私と同じ想い……。私は振り払った手を所在なく迷わせた。
「圭吾くんはこの前、初めてフレームガリバーに乗ったんでしょう? どうしてみんなに責められるの? 今回だって……新人だと、最初はあんなものでしょう?」
「ああ、後を継いだからだ。優秀な弟の。セントラルドームでは有名人だ。撃墜王だよ。俺の弟は。そして俺は弟と瓜二つだ」
「そんな看板、重くないの? 内偵していることと関係があるの?」
「うん?」
「弟の名前なんて貴方にとって重くないの? そんな立派な弟だったなんて、あなたは悲しくないの? 私は重いの。マーキュリー社の跡継ぎなんて、重くて、痛くて、つぶれてしまいそうで恐いの。私はもう手を離してしまいたいのに。すがる手が私を引きずり落とす。奈落へ」
「お前は重いのか?」
私は押し黙った。心を覗かれているようで。圭吾くんは月を仰ぐ。
「お前はヨギだ。俺もヨギだが、名波圭吾でもある。名波圭吾はジャガイモ堀りを提案する。なぜなら俺の作ったベイクドポテトが絶品だからだ。旨いぞ」
「ベイクドポテト?」
私は首をかしげる。何かしら。
「確かに看板は重い。でも俺には目的がある。目的のためならその重さにも耐えられる」
「トロフィーは既に目標まで集まっているの。あと一つ。もう一つ。願って手を伸ばして、それでも私の世界は何も変わらなかった。私は圭吾くんみたいに強くなれないわ。本当に一人ぼっちだもの……誰もいないもの」
「いや、一人で完結できる人間は逆に強いぞ。知っていたか?」
名波圭吾はおごそかに振り返る。
「俺は料理には強いが、人付き合いにめっぽう弱い。それでも人として強いと言えるか?」
ベイクドポテト……。
「イモ掘りのイモって、もしかしてジャガイモなの?」
「そうだ。何か愉快な勘違いでもしたか? さつまいもとか?」
私は赤面し、名波圭吾は美しくみがかれた新人賞のトロフィーを投げた。私は慌てて受け取る。
「これをやる」
私はトロフィーを手にした。街灯の明かりがともる。
油性マジックで3人のサインが殴り書きしてある。
『名波圭吾、長谷川比奈子、蓼野功士はあなたの友達ですか?』
「これは何? なんで疑問形なの! 友達に……私と友達になってはくれないの?」
名波圭吾は面倒くさそうに私を指さした。
「いいか、仲間は仕事と同じだぞ。毎日毎日、少しずつ成っていくものだ。フラグがあり、イベントがあり、怠けると色々な罰ゲームが待っている。泣くほど嬉しい事も、死ぬほどへこむことだってある。それでも今度の日曜日、俺のべイクドポテトが食べたいのなら、お前を俺の仲間の『恥っ子』に加えてやってもいいぞ。お前はとても残念な奴だからな!」
名波圭吾がいつもより俺様なので私は苦笑した。涙をぬぐう。
「あなたはやっぱり私の思った通りの人だわ。圭吾くん、あなた、友達いないんでしょう?」
「ふん。いつでも募集中だ。名前を加えてやってもいいぜ」
私は目を閉じた。彼のポケットからはみ出した黒いハンカチを眺める。喪中。
「誰か大事な人を亡くしたのね。いいわ、私を仲間に加えなさい。私の特製ホウ酸団子を食べるのならね」
「ホウ酸団子はゴキの餌だー。どこまで残念なんだ、君はー!」
名波圭吾は顔をゆがめて、ドームに阻まれた丸い天に叫んだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
俺はアイギスの演習場を制覇する。小さな山を何度も何度も。霊山の力を得るためだ。
体は少しずつ軽くなっていく。隠れるように暮していたから、それを当たり前だと思っていたから……同年代の人間よりも果てしなく筋力と体力がない。それでは戦えないのだ。
百メートル走も、遅い女子にすら追いつけないほどだ。
合間に験力の勉強も続けている。人は神通力で、早く走ったり、動いたりできるそうで。
ようするに思いこみの力なのだろう。ヨギの力なんてものは。
みんなは験力をホイホイと使う。自分の手足のように。
座標とか、X軸とか、Y軸指定をして、力場という物を開くらしい。目蓋を開けるほど些細な作業と聞くが、俺にとっては取り残された気分だ。
個人それぞれに自分用の転送方陣を持っていて、そこに物をセットしておくと、自分の持ち物を瞬時に転送できるらしい。
比奈子の工具、功士の戦闘服、委員長のニーソックスがいい例だ。
「アストリアもなにか転送できるのか?」
「できたはずです。この前は失敗しました」
「お前、魔術が果てしなく下手なんじゃないか? くくく」
彼女は虚ろに目を開いた。
「あなたが特異なのです。転送をまるで寄せ付けない。転送の方陣が腐って行く」
「俺が拒んでいるというのか?」
「そう」
そんな事、言われても……。
「転送なんて出来なくても生きていける」
「いいえ。あなたは悔やんでいる。転送できれば、あの人を助けられたかもしれないから。閣下を」
彼女は俺の胸ポケットから覗く黒いハンカチを握りしめた。俺たちは痛みを分かち合う。
「そうやって、ずっとずっと苦しむのですね」
永遠に。
「俺は前に進んでいる」
「あなたは選択のできない道を選ばされているだけです。皓人に」
「俺の道は憂鬱バカの思い道理じゃないと信じている。お前も気にするな。胃が痛くなるぞ」
アストリアは俺を見上げた。緑の目が無感動に輝く。
「閣下があなたは向いていないと言いました。転送の座標が理解できないのは致命傷だと」
「劣っている人間を使わないと勝てないほどアイギスは疲弊しているのか? アストリア」
「その問いには答えられません」
彼女は白い肌に刻まれた銃創をなで、小さく囁く。
「閣下のためにも……私はあなたが劣っているとは思いません。思いたくありません。あなたはそれだけ素晴らしい」
「何か言ったか? アストリア」
「言えません。二度、聞くと飽きる人がいるから」
「それは誰だ?」
「盗聴器から録音された物と合わせて、4回も聞くのはいや」
「だから、人の生活音を聞くな」
「安心してください。私はストーカーですが、陛下を一切、愛してはいません。喜んでください」
大事な動機が煮こぼれしたぞー!
「憎しみか? 憎しみで聞いているのか? なお悪いわ! 俺の生活音どうする気!」
受信機を奪おうと彼女に締め上げられる。苦しい。気が遠くなる。
夢の中に落ちる。彼女の手の甲の目が鈍く輝き、俺は重い目蓋を閉じた。