名波ノート
功士は俺の胸倉を掴む。
「アホかー! そんなことしたら、命がいくつあっても足りないじゃないですか! ジェットコースターに手放しで乗っているようなものじゃないですか! スカイダイビングにパラシュート忘れていくみたいなもんじゃないですか! 激突ですよ、地面に墜落ですよ! 訓練してノウハウを叩きこまないと死んじゃうんだから」
「早弁で死ぬ奴はいないと、俺の読んでいる漫画には書いてある」
俺は蓼野功士の手を払ってエリを整える。
「授業をさぼっても俺にはありがたい参考書がある。これだ」
秋のノート、そのコピーを広げる。由香里はそのわかりやすさに感嘆した。
「要点を押さえてあるわね。これを作った人は相当優秀だわ」
功士は勢いよく身を乗り出す。
「名波くん……そんな素晴らしい物があるなら、馬鹿な俺でも授業が理解できるかもしれない。見せてください。明日から君に借りている畑のベジタブルを貢ぎます!」
俺は両腕を広げた。
「おお、蓼野ベジタブル!」
「ああ、名波ノート! 心のノートよ~!」
俺たちは間違った名で呼び合い青春っぽく腕をクロスする。
「男の子って可愛いのね。うふふ」
由香里はニコニコ俺たちを見ている。
「蓼野ベジタブル。裏切り者探しは使命だ。一人ずつ攻略していくから、俺をサポートしてくれ」
「名波ノート。君の使命を手伝います。俺のできる事ならなんなりと」
由香里はポットと紅茶を転送した。それを飲みながらドームの上のベル時計を眺める。
「仲良く盛り上がっている所、悪いけど、私たち、このままだと遅刻よ」
委員長がどことなく楽しんでいるようなので俺は苦笑した。
「功士、由香里。弁当をたくさん作ってきたんだけど、食べるか?」
「うんうん。食べるわ。歌う卵焼き……楽しみね~」
彼女はいそいそと俺の懐に一万円をねじ込む。
「これでいいかしら。お弁当代よ。うふふ」
彼女、金銭感覚がぶっこわれている。
功士は一番巨大なスタミナ弁当の中身を覗いた。
「焼き肉弁当うまそうですね。貸し借りは好きじゃないからここはワンコインで。ほれ」
「百円なのか! この俺の弁当が百円なのか!」
「ん~、なにを言っているのさ。五十円だよ。ガメツイ星人だな、圭吾は~」
「ガメツイはお前だよ! 材料費にもならんよ!」
弁当を食べ始める二人を眺めながら俺は苛々していた。
味方以外の人間にご飯を食べさせるなんて初めてだ。
早くジャッジを……。由香里は俺の弁当を食べながら嬉しそうにほほ笑んだ。
「名波くん、いいお嫁さんになれるわ~」
「お婿さん!」
功士も嬉しそうにほほ笑む。
「圭吾は炎の料理人になれますよ」
「俺が使っている料理器具は蒸気調理器だ……!」
俺はぼんやりと始まりのチャイムの音を聞いた。まさか、委員長まで授業をさぼるとは……意外だ。ネットや映画と現実は違うようで……由香里は真剣な顔で俺を見た。
「ねえ、秋吾くん……もしかして目を持っているの?」
「俺は圭吾だ。目ってなんだ?」
彼女は食い入るように俺の手の目蓋を見つめている。
「あなたみたいな俺様は走者にならずに、普通に暮らした方が幸せかも、そう思ったのよ」
「由香里は目を知っているのか?」
「ええ。持っている人を知っていたの。私はその人に憧れて、この道に入ったの」
「……初耳ですね」
三十一歳留年神父はうまそうに肉巻きアスパラを口にしている。
「そういう功士はどうなんだ?」
「俺は根っからの修道院暮らし。フレームガリバーに乗ると儲かるんですよ。俺は金のために乗っている」
「功士くんの家は大家族なの。子沢山なのよ」
由香里の情報によると蓼野功士、独身三十一歳は子沢山だった。エロ神父か!
「功士が三十一歳で……そうしたら由香里、お前は八十一歳か?」
『リスの靴』を転送した由香里の優雅なキックが俺の腹部にめり込む。
「ぐほ」
「安心して。鳩尾よ」
「ダイレクトに急所に入っているんだが!」
「私は圭吾くんより一つ上の十六歳よ。お姉さまって呼んでいいわよ」
「遠慮しとく」
功士は泣きながらコーヒー牛乳を飲み干す俺を真剣に拝んだ。
「圭吾……頼みがある。くれぐれも俺の年齢をクラスメートにはご内密に!」
「だったら、なんで決闘相手に名乗ったんだ? 蓼野功士」
「いや、戦う前に年齢名乗るってかっこいいだろ? ほら、戦国大名っぽいだろ?」
「人生五十年ってあれは辞世の歌! ……死ぬ前に歌った歌なのよ……!」
由香里は屋上の隅で落ち込む。
馬鹿だった。俺の妄想する大人像が、マリアナ海溝に水没するほど馬鹿だった。
「俺よりひとまわり以上違うのに……残念だ」
「本当にね……」
「とりあえず、女子には内密に。俺がもてなくなったらとても可哀想ですから!」
由香里は美しく首をかしげた。
「あら。もともと、功士ったら男の子にしか人気がないじゃない」
「お前だって女子にしかモテないくせに!」
由香里と功士は殴り合う。ちょっと待て、委員長はもともと、俺たちの喧嘩を仲裁に来たのでは? 何を争っているんだ? 頭痛がする……。俺は静かに目を開いた。制服の胸ポケットにはカードが存在する。サウザードの意思が宿ったカードだ。
「委員長、ほぼ生身で戦っているのって、どんな気分だ?」
「どうって……そうね」
由香里は功士を蹴倒した。髪止めをくわえて髪を縛る。
「生身で験力を使っても、人の力には限界があるの。増幅装置である魔人は私たちに必要よ。たとえ、弱点が広がるとしてもね」
「わりきっているのか? 危険を」
「ええ、でもあなたと同じね。必ず勝てると信じているのよ」
ずいぶん前向きなんだな。そうだ。こいつらは強い。
俺だって……ちゃんと戦えば……そうだろう? ココミ。
「由香里がどうして女子に人気があるのか少し解る気がするよ」
「なら、男子のファン一号は圭吾くんで決まりね」
彼女は蜂蜜のような笑顔を見せる。
「決まりなのか?」
「ええ。私、男子には人気が無いの。なぜかしら……」
優雅に振る舞う彼女は悲しそうにほほ笑む。俺は慌てて顔を上げた。
「おい、由香里……! そんな顔するな。お前は結構いい奴だし、学校でも可愛い方だし」
「圭吾くん、お願い。動かないで。じっとして……。顔にご飯粒がついているわ」
「あ……」
冷たい手が触れる。由香里は俺の頬から取ったご飯を、功士の口に放り込んだ。笑顔で。
「はい。これで安心ね。お米粒には七人の神様が住んでいて……」
功士はショックで悲鳴を上げ、屋上を転がり回り、俺は叫ぶために立ち上がった。
「そこはお前が食べろー!」
「だってお腹いっぱいなのよ。それにお肌にはたくさんのバイキンが……」
功士は屋上を転がり、俺は地面に手をついて落ち込んだ。バイキン……。
功士はゆっくりと立ち上がっていた。腰に手を当てて叫ぶ。
「安心しろ、圭吾。男には三つのキンがある。それはぁ!」
俺は功士を殴った。こいつ馬鹿なことしか言わない。由香里は困ったように首をかしげる。
「私、何かまずい事をしたかしら?」
「大いに! 男にもてないのはそれだ~!」
俺と功士は意気投合し吠える。
「いいか! このマニュアルによると、君みたいなお姉さんキャラは、傷ついた俺たちを優しく膝枕をするものだと相場が決まっているんだよ!」
「そう? そうなの?」
彼女は動揺しながら黒のニーソックス『黒ウサギ』を転送し、俺たちを蹴散らかした。彼女は華麗にお辞儀をした。
「圭吾くん。傷ついた?」
「……うん、かなり傷ついた」
「じゃあ、膝に乗せるわね。大丈夫? どこが痛いの?」
確かに膝枕だった。理想とした膝枕だったのだが……。待て。
「なんか違う。なんで被害者が加害者の膝の上なんだ~!」
「残念だ~! てめえは残念な女子です!」
かろうじて受け身をとる事の出来た功士の叫びを聞きながら……世間知らずの称号を、彼女に大政奉還しようと思いついて力尽きた。絶対にこいつら信用しない。