本気の早弁
「うん。残念ながら覚えていないんだ」
「ひどい事故だったんだよね?」
「うん、まあ……」
秋の魔人、ハイゼルベルクは大破したと相沢皓人がいっていた。嘘じゃない。
比奈子は確かめるように俺の頬をマメだらけの手で柔らかくつかむ。
「名波くんが帰ってきてくれて本当に良かった。名波くんはうちのエースだもの、頼りにしているよ」
「頼りって、撃墜王だから?」
「うん、すごかったんだよ。たくさんの心獣を蹴散らして……でも昔になんか戻らなくていいよ。名波くんが帰って来てくれた……私はそれが嬉しいのだよ」
比奈子は俺の両腕を握って、心の底から笑ってくれた。
「応援させてね。褒美にコーヒーをあげるのですぞ。贈呈式!」
彼女は俺に飲み物の入った紙パックを押し渡し、自分のカラになった小さな弁当お手にすると元気に去っていった。2人目の味方。長谷川比奈子。秋にも味方がいた事がこんなに嬉しいとは思わなかった。英雄だなんていうから、もっと幸せなのかと思っていた。
大丈夫だ、秋。俺が革命してやる。大貧民状態から大富豪状態にひっくり返すから、天から見ていろ。俺は作って来たお弁当を手に我に返った。
しまった。比奈子に幸せを呼ぶ卵焼きを食べさせそびれた。こんなにあるのに……。
俺は、早起きして作ってきた山のような弁当を見つめる。食べられないで捨てられる弁当ほどみじめな物はない。俺の努力も根性も、無駄中の無駄。
せっかくクラスメート、比奈子と打ち解けるチャンスだったのに。
コーヒー牛乳をむさぼると甘い味がした。ささやかな歓迎の証。
秋は女の子に意外ともてていたんだろうか?
そもそも、居心地の悪い状態は秋の問題ではなく、俺による態度の変化が周りに伝染して、みんなが遠巻きに避けている可能性も捨てきれない。データが足りない。
俺は人の気配に振り返った。比奈子と入れ替わりに屋上に蓼野功士が現れていた。
蓼野功士は甘い顔をした美系だ。神父の格好をしている。杖を握り、俺を指さした。
「名波圭吾! お前には腹が立つんです! このご時世に……真面目に授業を受けていないてめえが許せないんですよ! 今から制裁を加えます!」
奇遇だな、俺もお前が気にいらないんだよ。
乱暴になりそうな言葉を飲み込む。秋はこんなしゃべり方をしない。決闘もしない。
それに俺は目立つわけにはいかない。言葉で争いを回避できるだろうか。
「君は僕のクラスメートだよね……一体何者だ! 名を乗れ!」
「ふはは、聞きたいですか? 聞きたいでしょう。聞け、俺の名を」
色男は扇子を取り出し、かっこよく見得を切る。
「俺は由緒ただしき永遠の高校生、蓼野功士! 属性は三十一歳、独身!」
……馬鹿だった。かっこいい馬鹿だった。高校生じゃないじゃん。社会人じゃん。
「えっと……何年留年しているの? 一回り?」
「ああ、俺、童顔だから、留年しても目立たないから。後5年は現役だから! 任せろ、どんと任せろ」
「どれだけ卒業できないんだー。君の頭の中身は見た目と比例しているのかー!」
俺のツッコミに蓼野は鋭い顔をした。
「俺みたいにまともに授業を受けて、点数が低いのは仕方ない。だが、てめえみたいに、いい加減で自分に甘い人間が……そんな大馬鹿者が比奈子さんと仲良しなんて! てめえが死んだら比奈子さんはどうするんですか! 真面目に授業を受けろ」
功士の叫びは屋上を支配する。
「そうだね。比奈子は泣くかもしれないね。親切だからね、誰にでも」
「……そうです。だからこそ、俺は可憐な少女たちの優しい心を守りたい……!」
三十一歳、独身高校生はここで青春を感じているらしい。俺は彼を見上げた。
「質問する……蓼野功士。君は、撃墜王を知っているか?」
「会った事はない」
同じ学校にいるのに知らないだと?
「君は嘘つきだね。蓼野功士」
「名波秋吾、お前の態度が鼻につくんですよ!」
蓼野は杖を握りしめた。表面を蛇のように電気が這う。俺は逃げるために身がまえた。
「そこまでよ。2人とも。私のいない所で争うのをやめなさい」
鷹野由香里が悠然と現れた。彼女は華麗に俺の顔面を覗き込む。
「そうね。私がまず、気になるのは……秋吾くんの作り笑いかしら。気にしていいわよね」
俺は笑みを消し、身を逆立てた。警戒しろ。この女は危険だ。
「何だ? あんたは?」
俺の豹変に蓼野が怯えて杖を落とす。蓼野は素早く給水塔の陰に隠れた。
「な、名波、てめえはならずものなのですか!」
鷹野由香里はメッキのはげ落ちた俺に優雅な頬笑みを作った。
「やっぱり猫をかぶっていたのね、圭吾くん。そうだと思ったわ」
世界で最も華麗な花、ベゴニアのように上品で華やかな振る舞い。彼女はスカートの裾をつまんで華やかにお辞儀し、俺は沈黙した。もしかしてこいつらは仲間なのか?
「言い返さないのね。本音を言うと自分の立場が悪くなるって、そう思っているのね」
「そう思ったらいけないのか?」
由香里はのんびりと手を伸ばし、俺の肩に触れた。
「本気でケンカをしなければ掴めるモノも掴めない、この本にもそう書いてあるわ」
彼女は『愛と死』という華やかな少女漫画を掲げた。
俺の読んでいるマニュアルよりももっとも説得力ないぞ。
「委員長がケンカを承認するのか?」
「そうね。命が危なくなったら止めるわ。はけ口は必要よ。あなたはさびしい人。誰にも理解されないから、自分を気にしてくれる人にすがりたいんだわ。でもダメよ、すがるという行為は比奈子ちゃんをただ痛めつけるだけなのよ」
「君に何が解る? だったらどうして君たちはこの僕を裏切ったんだ!」
鷹野由香里は驚きで目を開いた。唇に指を押し当てて首をかしげる。
「あら、私たちは別に誰も裏切ってはいないわよ。だって、昨日ここに来たばかりなんだもの。そう……あなたは何かのエージェントなのね、アイギスの。学校に侵入して内情を探っているのかしら? 面白そうね。私たちにも教えてよ。セントラルの常識を」
俺は息を飲む。
「まさか、君たち」
「ええ、私も功士くんも北組よ。セントラルには転校してきたばかりなの。まだ、出会ってもない人間を裏切るなんてできないわ。ねえ、教えて。あなたの事が知りたいの」
「そうやって面白そうな顔で、人の事情に踏み込んで来るのか? 最悪だ」
「それがあなたの本音なのね……」
「はっきり言ってやる。関係のない人間はとっとと消えろ!」
功士は俺の豹変ぶりに顔をこわばらせ、陰から飛び出した。委員長をかばうように立つ。
「てめえは一体なんなんですか? この学校で何を探っているんですか? 何者何ですか」
由香里は穏やかに顔を上げた。見透かすように俺の視線をとらえる。
「言いたくないならいわなくてもいいのよ。極秘任務なんでしょう? でも、あなたは私たちにお礼を言う必要があると思うの。あの時、あなたを助けたのは誰だと思う? サウザードを助けたのは誰だと思う? あの時助けられたのはあなたでしょう?」
「……あの時だと?」
功士が首をかしげる。
「ネルガルドのドームであなたを助けたフレームガリバーは私たちの魔人よ」
この前、俺たちを救ったベテランのヨギがこいつらだと言うのか?
あんなたくさんの化け物を倒したのが……。この、たった二人なのか?
「私たちはあなたの大先輩よ。なにかあったら相談してきて。いいわね」
彼女は携帯のアドレスを俺に渡した。こいつらは白か。
やましい事と憎しみがあるのならこんな風に接触してくるはずがない。その通りだろう。
「ありがとう。礼を言う。この前は本当に助かった」
「本物の圭吾くんはちょっと俺様なのね。それじゃあ一生、友達ができないわよ。ふふふ」
由香里は馴れ馴れしく俺の肩を叩く。なんだ、この女は? 面倒だ。
蓼野功士は納得したように目を開いた。
「ああそうか……君はああやって俺たちヨギを試していたんですね。比奈子さんに卵焼きを食べさせて。深い。深いな。気づかなかったよ」
「いいや、俺はただ裏切り者を探しているだけだ」
「裏切り者? そんなのいるんですか?」
俺は視線を鋭くした。
「いる……ここで戦っていた撃墜王を裏切った人間がどこかにいるはずなんだ。それを探している」
「ああ、それであんなふざけた態度を……」
「いいや、お腹がすいて本気で早弁していたんだ。美味しかったぞ、卵焼き」