クラスのことも
俺はぼんやり、屋上で一人弁当をむさぼっていた。教室は居心地が悪い。
頬がひりひりする。ココミにも蹴られたことないのに。
「なんでお腹が空いた時間に食べてはいけないんだ? まったく」
俺の好きな漫画では早弁も、屋上弁当も常識なのに、世の中は一体どうなってしまったんだ。誰もいやしない。これでは友達も作れない。完全に計算が狂ったな。
日常の常識について今まで勉強してこなかった事が、ここでこんなに響いてくるとは。
俺の特技は料理だ。どうにかしてみんなにウマイ物を食べさせなくてはならないのに。
俺みたいな少しひねくれた人間と付き合うメリットってそれしかないのに。
内情を探る前に常識を覚える必要がある。真っ暗なドーナツの中を走っているみたいだ。
破天荒で常識破りの俺の基本パーソンはみんなに事故の後遺症だと思われているからいいようなものの。
このまま、教室でただの変な人になってしまうのは相当マズイ。名誉挽回しなくては。
俺は山のようなマニュアル本をめくる。脳裡を活字の山が滑り落ちていく。
こんなに目立った状態で周囲に溶け込むなんて、もう無理かもしれない……。
何も思い浮かばない。秋。秋。お前はここで辛い思いをしていたのか?
優しいのに。
「面倒くさ……」
本を閉じてあくびをかみ殺す。
お弁当の卵焼きを口にする。柔らかい風味が口の中いっぱいに広がる。
心は痛くなくなりつつある。マヒしていく。このまま、忘れて、なかった事にして、秋はどこか遠くで幸せに暮らしていて、俺は幸せに学園生活を楽しんで、そう毎日思って暮らせたらどれだけ幸せだっただろう。ダメだ、できない。
俺は歯を食いしばった。忘れないためにこの道を選んだんじゃないか。
俺は閉じたままのソロモンの目を見つめた。頭の中で過去の記憶が花開く。
「ねえ、兄さん。ソロモンの目って知っている?」
「何それ?」
「兄さんの体のどこかには見えない宝石があるんだよ」
俺は目を見開いた。
「すごいぞ、秋! それを売ってお金にしよう! ピザを作ろう、本物の石窯で!」
「兄さんのアホ~!」
浮かれた俺を、秋は分厚い本で殴った。
「ダメだよ、兄さん。その宝石に人間としての未来を削られた時、人は無になるんだよ!」
「未来なんてどうやって削るんだ? 何時何秒、地球が何回廻った時?」
「知らないよ。知らないけど、無になったら何もなくなる。自分も、夢も、希望もなく、ただ息をしているだけの存在に……一番目の死だよ」
俺はふてぶてしくひじをついて、料理の本に目を落とす。
「俺は未来なんて誰にもやらないぞ。俺の夢は多国籍料理人。この家限定のだ!」
高校生の俺は透けて見えるドームの空を眺める。眩しい。まともに見ていられないほどに。こんな事になるのなら、もっとよく聞いてやればよかった。希望や望み、それが宝石……。魔人はイコール怠惰で、人生を怠けるなと言われているのかと思っていた。
「秋。兄さんはアホだよ」
ドライバー・ディーヴァ・デビル。アストリア。俺の唯一の味方……。歌う悪魔。
「あいつも未来を削られたんだろうか?」
未来、これからの時間……。見えない砂時計。
消されてしまったなら、夢も希望ももう一度、創りなおせばいいのに。
あの女を見ていると無性に腹が立つのだ。ちょっと前の俺を見ているようで……転送の海で壊れた自分を思い出す……。俺は以前もヨギ候補としてさらわれかけたことがあるのだ。俺は苛立ちを込めて、目が現れそうになっている左手の目蓋を手すりにぶつけた。
目蓋にボールが直撃したような感覚で物凄く痛かった。最悪だ。
しかたがないので秋のマネをして弁当を口の中にかきこんだ。苦しい。もっと、秋のマネがうまくなっておかないとダメだ。見破られたらおしまいだ。
山のような弁当の横、空を見上げる。なんで俺はこんな所に一人きりで弁当を食べているのだろう? ココミは元気だろうか? 俺はちゃんと前に進めているか?
ああ、空が曇ってきた。せっかくの俺の憩いの場所が、ドームが製造した人口の雲に阻まれていく。偽物の空さえ俺を見はなすのか。
「名波くん」
屋上に長谷川比奈子が現れた。ヒメヒマワリ。太陽が雲間からあふれ出す。
俺は息を飲んだ。一瞬、彼女が雲をはらったように見えたのだ。
「どうしたの? 比奈子。こんな所に……」
「うん、私、ちょっと、教室に居づらくなっちゃって。一緒にお弁当、食べていいかな?」
「ああ、うん」
俺は秋のふりをして弁当をほおばる。モッシモッシ。比奈子は首をかしげた。
「ねえ、名波くん、どうして名前を変えたの?」
そこ、一番に突っ込む所だよな、うん。
「新しい気持ちになりたかったんだ」
「やっぱり矢車くんの事、恨んでいる?」
矢車って誰だ? 俺は慌てて記憶喪失のふりをする時のマニュアルのページを開いた。
「事故で……何も覚えていないんだ」
彼女はホッとしたように笑った。
「覚えていない方がいい事もあるよ~。私だって忘れたいことばかりですぞ。過去にあった失敗とか……。今でも思い出して恥ずかしくなる事があるのだよ!」
「例えば……どんな?」
彼女は赤面した。声が震えている。
「笑わない?」
「うん」
「スカートのチャック、開けっぱなしで歩いていたの、こ、この前……! うわー。これは恥ずかしいですぞ」
突然のカミングアウトに俺も赤面した。彼女は下を向いて震えている。
そうだ。今こそ、フォローしろ。何か言え、何か爽やかな事を言え、俺。
爽やかに、爽やかに……! 彼女のスカートが風でぎりぎりまで翻る。
俺は真剣な顔を作った。
「良い脚してますね」
違う~。俺は馬鹿かー。もっと気の利いた事を言えー。
これでは秋が変態ではないか、俺の愚か者がー!
俺が赤くなったり青くなったりしていると、彼女は涙目になって人懐っこく笑った。
「やっぱり名波くんは本当に何も覚えていないんだね。クラスの事も、私の事も」