揺れる、消える。
夕方の帰宅ラッシュがひと段落した頃の電車では、一列に並ぶたくさんの大きな窓がそれぞれ違った光を車内に注ぎ込む。
乗客たちはそれぞれ疲労の色を見せながら帰路に就いている。
でも、私たちは違う。
私たちは、夢と希望に満ち溢れている。
そして、私に体を預けて眠っている最愛の人へと微笑みかける。
これから大変かもしれないけど、一緒に幸せになろうね、那緒ちゃん。
◆
那緒ちゃんは、可愛い。
ショートカットの茶髪とか、余計な肉のついていない身体とか、全身から漂う深緑の香りとか。
そして、それらは私の思考を狂わせる。
そんな那緒ちゃんに恋しない人は、人生を十割損していると思う。そう断言できる。
私たちの出逢いは高校の入学式だった。
私は一目見て那緒ちゃんを好きになった。
だからね、那緒ちゃんのことをたくさん調べたの。
そして、私は告白した。
最初は素直な返事を返してくれなかったけど、きっと恥ずかしかったんだよね。私が駆け落ちしようって誘ったら、那緒ちゃんは顔を真っ赤にして賛成してくれたもん。
だから今、私たちはこうして電車に乗って地元から遠く離れた安住の地を目指している。
◇
今日もいる……………………。
私、暮島那緒は、最近ストーカーに悩まされている。
正体はわかってる。
日本の医薬界の最大手、蜜弓製薬会社の社長令嬢、蜜弓青葉。容姿端麗で成績優秀。高校生にしては少し小柄なことも併せて、この辺りではかなりの有名人。だからこそ、彼女とは違うクラスの私でもすぐにわかったのだ。
なぜ彼女がこんなことをしているのか、私にはわからない。あの狂気に包まれた瞳だけが、彼女の精神状態がまともではないことを教えてくれた。
◇
誰にも相談できないまま、ストーカーされているのを自覚してから二ヶ月が過ぎた頃、教室で帰り支度をしていた私のスマホが着信を告げた。
非通知設定だった。
恐る恐る出てみると、
「屋上で待っていますっ♡」
とだけ言って切られてしまった。
警察を呼んだ方がいいだろうか?
だけど、向こうは社長令嬢。あまりおおごとにしたくはなかった。
結局、私は一人で屋上へと向かった。
◇
普段は施錠されているはずの屋上へ続く鉄扉を開けると、そこには夕陽に照らされ、頬を赤く染めた蜜弓青葉の姿があった。
「来てくれてありがとうっ♡」
満面の歪んだ笑顔でお礼を言われた。
「用事は…………何?」
なんとなく悟ってはいたけれど、一応尋ねてみた。
「実はね…………私、貴女のことが好きなの。だから、結婚を前提に付き合ってください!」
「……………………嫌です」
私は、少し強めに断った。
ストーカーをやめてほしいという意味も込めていた。
「………………………………そっか。ごめんね、那緒ちゃん」
そう言って、彼女は俯いたままとぼとぼと私の横を通り過ぎた。
私はそれを視線だけで見送って、深く安堵した。
思えば、このあとの展開を打破する方法はいくらでもあった。
通話の内容を無視するとか、あらかじめ警察を呼んでおくとか、そこまでしなくても誰かに付き添ってもらうとか、告白を蹴ったあとに彼女に背中を見せないとか。
そう、私が油断して彼女に背中を見せなければよかったんだ。
でも、もう遅かった。
「むぐっ⁉︎」
背後から、口元をハンカチのような布で押さえつけられた。
振り払おうとしても、がっしりとしがみつかれているため、なかなか離れてくれない。
「そう言うと思って、親にも内緒でこっそり作ってたんだよねー。嗅ぐだけで脳に刺激を与えて、記憶を抹消する薬を」
「んぐ、んぐぐっ⁉︎」
「大丈夫、ちょっと従順になるだけで、身体に害はないから。うふふ。那緒ちゃんの記憶を全部消したら、すぐに新しい記憶を植えつけてあげるからね。私たちは一夜を共にした仲ってこととか、家を捨てて駆け落ちしたってこととか」
「ん〜〜〜〜〜〜〜っ、ん〜〜〜〜〜〜〜っ!」
「安心して?ちゃんとリセット中に那緒ちゃんの初めては貰っておくから。そしたら、嘘は事実になるでしょ?那緒ちゃんは生まれ変わって、私とず〜〜〜〜〜っと幸せに暮らしていくんだよっ」
息が、できない。苦しい。顔が真っ赤になりそうだ。
頭が痛くて、視界もぼやけてくる。
脚が震えだして、意識が遠のいてくる。
◆◇◆
目が覚めると、ワタシの隣には女の子が座っていた。
座席が揺れている。どうやら、ここは電車のようだ。
すると、隣の女の子がワタシに気づいて、目に涙を溜め始めた。
「あ、あぁ…………那緒ちゃん、よかった。目が覚めた…………!」
ナオチャン?
ワタシの、名前…………?
「あの、ワタシとアナタは一体…………?」
「えっ…………もしかして、さっき転んだせいで忘れちゃったの?」
「すみません、何も覚えてなくて…………」
「私たちは、恋人同士なんだよっ!」
恋人……………………?
そういえば、この女の子を見ていると、なんだかドキドキするような気がする。
そうなんだ。
「ワタシは、アナタの恋人…………」
「そうだよ、恋人だよ」
妙に納得したワタシは、その子がわずかに笑ったことに気づくことはなかった。
どうも、壊れ始めたラジオです。
ちょっと現実離れした物語ですね、これは。
今回最も楽しく書けたのは、屋上のシーンです。
人が口を塞がれながら喋る場面って、なかなか難しいですね。もっと勉強しておきます。
また次のお話でみなさんにお会いできるのを楽しみにしております。
それでは。