side晴可~彼女の笑顔
新学年になってから日に日に雅ちゃんの元気がなくなっていくのが気にかかっていた。
俺の婚約者という立ち位置での学園生活は、何をおいても目立ちたくない彼女にとってかなりの負担になっているんだろう。
だけどそれをどうしてやる訳にもいかなくて。
そんな時に春休みに挨拶をしそびれていた本家のじじいが雅ちゃんを連れて来いと言ってきた。
正直、本家には行きたくない。
何の思い入れもない、俺の育った場所。
本家に行くと決めたのは雅ちゃんを学園から連れ出して息抜きをさせてやりたかったから。
ただそれだけのためだ。
実家を持たない雅ちゃんは、俺のせいで唯一の肉親だった叔母とも交流を絶っている。
他の生徒のように週末は実家に帰ることができず、かと言って友達と遊びに行くということも好まない彼女は自然と学園に籠る生活になっていた。
雅ちゃんを連れ出す役目を果たせるのは俺だけなのに、情けない事に押し寄せる雑事に身動きがとれない状態が続いていた。
けど本家からの招待は何を放り出しても許される最優先事項だ。
俺はそれを利用することにさせてもらった。
前日の夜、理性を抑えられなかった俺のせいで深い眠りの中にいる雅ちゃんを丁寧に毛布にくるむ。
リクライニングさせた助手席に座らせシートベルトをかけても彼女は目を覚まさなかった。
朝日の眩しさに目を覚ました雅ちゃんは案の定、驚き怒っていたが、丸めこむのは簡単だ。
諦め顔の雅ちゃんを助手席に乗せ、楽しいドライブデートが始まった。
俺は高速道路を下りて、大きな湖を目指した。
それほど大々的に観光開発されていないその場所を選んだのは雅ちゃんを広い場所に連れていってやりたかったから。
学園という檻から少しでも解放してやりたかったからだ。
そして今。
俺は雅ちゃんとあひるの形のボートに二人仲良く並んで湖の上にこぎ出そうとしていた。
普通の形のボートがあれば良かったのに、あひるって……。
自分で言うのも何だが、俺の長い足はちまちましたペダルを踏むのには向いていない。
慣れるまで色んな所に膝や脛をぶつけ、ボートは左右に大きく揺れながらよたよたと進んだ。
なにこのカッコ悪いん。
と思っていたら隣の雅ちゃんが珍しく声を上げて無邪気に笑っていた。
普段表情の乏しい雅ちゃんの笑顔は最強だ。
その笑顔にハートを打ち抜かれて、一瞬俺は固まってしまう。
そんな俺を見て雅ちゃんは不思議そうにこてんと首を傾げた。
なんなんそれ!!反則やん!!
しばらくボートはゆらゆらと湖の上を漂っていた。
「……ほんとは本家に行きたくなかったりします?」
真剣に漕ぐ気のない俺に痺れを切らしたのか、雅ちゃんがそう言った。
「あは。ばれた?」
俺がそう言うと雅ちゃんはやっぱり、とため息をついた。
「理由を聞いてもいいですか?」
理由か。
雅ちゃんに問われて俺は自分に理由を問いかける。
「うーん。あんまりいい思い出がないから、かな。あっちにおったのも小学校に上がるまでやったし」
「でも行かなきゃダメなんですよね?」
「ああうん」
「じゃあ行きましょう」
「そやね」
「もう。空返事ばっかり」
あまり感情を表す事のない雅ちゃんの珍しく不貞腐れたような言い方が可愛らしくて、わざとのらりくらりと返事をしていたが、これ以上続けるとさすがに口をきいてもらえなくなりそうだ。
「ごめんごめん。雅ちゃんと二人でこんなところに来るの初めてやん?最近忙しかったしあんまり気持ちいいから、ついのんびりしてしもたわ」
そう言って態勢を整え真剣にボートを漕ごうとした。
なのにやっぱりボートはゆらゆらのたのたとしか進まない。
いやこれは俺が悪いんじゃなくて……。
「晴可先輩の意外な弱点を発見しました」
雅ちゃんがそう言って自分のペダルを漕ぎだした。
彼女が今まで自分で漕ごうとしなかったのは、足を心配した俺に止められていたからだ。
「これくらい大丈夫ですよ?」
ちらりと俺を見て微笑む雅ちゃんの顔に、学園で見た憂いの影はない。
やっぱり来てよかった。
そう思いながら俺は雅ちゃんと呼吸を合わせてゆっくりペダルを踏む。
ボートはゆっくりと、でも確実に岸へと向かって動き出した。