side雅~湖畔の散歩
目的地は関西地方にあると聞いていた貴島の本家だった。
なのになぜ晴可先輩は私と手をつないでのんびり湖畔を散歩しているんだろう。
「わ~。綺麗やな~。なぁなぁあのボート乗らへん?」
妙にテンションの高い晴可先輩。
何でもいいけど恋人繋ぎとか、やめてくれないかなー。
平日のちょうどお昼時。
観光客の大半は駐車場に隣接する休憩所や売店にいて、湖畔を歩いている人は少ない。
でも全く人がいないって訳でもないんだし。
「時間いいんですか?あんまり遅くなるとあちらに迷惑かかりますよ?」
正直、ここから目的地までどのくらいかかるのかさっぱり分からない。
だけど頭の中に広げた地図上で言えばまだ目的地の半分も行っていないのに、もうお昼過ぎって遅すぎるんじゃないんだろうか。
なのに晴可先輩はへにゃりと笑うだけ。
「だいじょーぶだいじょーぶ。本家は逃げへんから。それよりお腹空いてへん?」
「まだそれほど」
「そう?ならもうちょっと散歩でもしよか」
晴可先輩は私の手を引いてぶらぶらと歩きだした。
何気ない会話を交わしながら歩く湖畔の散歩は思いがけず気持ちのいいものだった。
きらきらと日の光を反射してゆったりと波打つ広大な湖。
湖畔を取り巻くように並んだ木立ちから吹く春の風がそっと頬を撫でる。
アスファルトで固めていない散歩道には所々ぬかるみがあったり、大きな石ころが落ちていたりするがそのたびに晴可先輩が注意して手を引いてくれる。
だから私は何も気にせずにただ大きな自然を体中に感じることができた。
ああ、なんて私はちっぽけな存在なんだろう。
大きな自然の中で、私が思い煩っていることなんて、ほんの些細なことだ。
息をする度に心の中に溜まっていた暗い澱のようなものが吐きだされていくような気がした。
「あ、ボート乗り場発見。これに乗って駐車場に戻ろか」
ちょっと待っててな、と言って晴可先輩がボート乗り場の係り員の所へ歩いていく。
その時を見計らったようにポケットの中の携帯がメールの着信を知らせた。
送り主は幸田くんだ。
『無事交流会終了。ゆっくり心の洗濯してきてね』
それだけの短いメール。
だけど。
心の洗濯、か。
ぼんやりと携帯の画面に視線を落としていたら手元に影が落ちた。
「なに?どしたん?」
そう問う晴可先輩に携帯の画面を見せる。
「幸田くんから連絡です」
ふうん、と晴可先輩は頷くと私の手から携帯を取り上げた。
画面に視線を落とした晴可先輩は躊躇することなく電源を落としてしまう。
あのまだ返信してないんですけど。
「今日は雅ちゃんは俺だけのものやから」
私の文句をにっこり笑顔で封じ、晴可先輩は電源の落ちた携帯を自分のポケットにしまいこんだ。
「学園のことは考えやんと、俺だけのこと考えて?」
私の顔を覗きこんで、さらりとこんなことを口にする晴可先輩にどう立ち向かえと言うんだろう。
真っ赤な顔をした私は晴可先輩に逆らうこともできず、手を引かれるままボートに乗り込んだ。
乗り込んだボートはあひる型の足でペダルを漕ぐものだった。
「あれ?なんか。難しい?」
意気揚々と乗り込んだのはいいが、晴可先輩は長い足を持て余してなかなか上手くペダルを回す事ができない。
あひる型ボートは左右に大きく揺れながらよたよたと湖の上を進んでいく。
ボートのあちこちで膝や脛を打ちながら懸命にペダルを漕ぐ晴可先輩を見ていたら不意に笑いがこみあげてきて、私は久しぶりに声を上げて笑っていた。