side雅~ペナルティ
「……ちゃん。雅ちゃん?」
はっと気がつくと晴可先輩が心配そうな顔で覗き込んでいた。
またぼんやりしていたらしい。
つい先日、私は誘拐されたらしい。
らしい、というのはその間の記憶が全くないからだ。
気がついたら病院のベッドの上で、今みたいに晴可先輩が心配そうな顔で覗き込んでいた。
「はい?」
「どしたん?また気分悪いん?」
信号待ちの僅かな時間。
晴可先輩の大きな手が私の額に伸びてくる。
さらりとした乾いた感触。
「熱はないみたいやな」
誘拐されたあと、私は体調を崩した。
始終頭が重く、体がだるい。
食欲もなかった。
記憶がないということもあって、あらゆる検査を受けたけど何の問題もなかった。
結局対症療法しかなくて、頭痛の薬を常用し、栄養補給のための点滴を三日に一度受ける毎日。
今日も点滴を受け終え晴可先輩の車で寮に戻る途中だ。
「ごめんなさい。少し薬でぼんやりしてて」
多分体の周りに見えない空気の膜が張っているような気がするのは鎮痛剤のせいだろう。
そう言うと晴可先輩は困ったような顔で笑った。
「それでな、急な話なんやけど、この連休の終わりにある病院の百周年パーティーの席を借りて俺たちの婚約披露をしようと思うんやけど」
「……婚約、披露?」
「うん。今回こんなことになってしもて、本当に雅ちゃんには悪かったって思てる。そやから二度とこんなことにならんように、婚約を公にしたいんや。病院の百周年には政財界を代表するような一流の人間が出席するし、彼らに俺たちのことを認めてもらうっていうことは大きな意味があるんや」
晴可先輩は一気に言うとちらりと私の方を見た。
「雅ちゃんが人前に出るんはいやなんは分かってるけど……」
「……必要なら、仕方ないです」
鎮痛剤は私の感情を抑制する効果もあるんだろうか。
以前なら死んでもいやだと思っていたが、必要だからと言われれば仕方ないと思う。
なにより私が危険な目に遭えば、悲しむのは晴可先輩なのだから。
「うん。ごめん」
「でも一回だけ、にしてください」
「分かった。ありがとう」
私がそれほど嫌がらなかったからか、晴可先輩はほっと肩の力を抜く。
「それからもうひとつお願いがあるんやけど」
「?」
私は晴可先輩を見る。
なんだか頬が赤くなっているのは気のせいだろうか。
「あのな?婚約披露で先輩っちゅうのはどうかと思うんやけど」
「は?」
「そやから、婚約者に晴可先輩って呼ばれるのは、おかしいんとちがうかなって」
「はあ」
「そろそろ先輩は抜きにしてくれへん?」
先輩を抜くとなると、晴可?
いやいや、それはどうなの?
晴可さん。
誰かが頭の中でそう囁いた。
「じゃあ、晴可さんでいいですか?」
「!!!?……ええよ」
呼べと言うので呼んだら、なぜか晴可先輩、晴可さんは一瞬固まったあと耳まで真っ赤になった。
「じ、じゃあ、先輩って呼んだらペナルティな?」
ペナルティ。
なんだか懐かしい言葉だ。
あの時も貴島先輩と呼ぶ私に晴可先輩と呼ばせるため、そんなことをしてたっけ。
一年前の懐かしい記憶。
「分かりました。晴可さん」
「雅ちゃん?」
「はい」
「……何でもない。もうすぐ着くで?」
「はい」
何か言いたげだった晴可さんは、結局何も言わずにハンドルを切った。




