side雅~異変
神田衿香。
彼女の名前は四月の時点で知っていた。
今年度の新入生の中で、十本の指に入るであろうお嬢様の中のお嬢様。
遠目に見ていても目に飛び込んでくるような華やかな容姿。
そしてそれ以上に所作の美しさが際立った美少女だった。
でも美しい姿が心までを表しているとは限らない。
出来る限り近付かないでおこう。
そう決心したのだが、そういう訳にはいかなかったようだ。
彼女と初めて顔を合わせたのは交流会が終わってすぐの事だった。
それまで許可の下りなかった私への新聞部インタビューが行われることになったのだ。
当日、新聞部として私の前に現れた神田さんは、遠目に見るより数倍可憐だった。
可憐な彼女の口からどんな辛辣な言葉が出てくるんだろう。
正直、私はそんなことを考えながらインタビューの席に着いた。
ところが彼女の口から出てきたのは下級生としての立場をわきまえた丁寧な言葉だった。
この子は、本当のお嬢様だ。
相手を見る観察眼。
話題の豊富さ。
豊かな表情。
一年の豪徳寺さんが度々口にしていた家柄とか血筋とかいうものの存在が確かにあるのだと、神田さんを見て納得した。
一流の教育を受けていたということだけではない、何かが彼女の中にあるのが分かった。
彼女のインタビューは途中で乱入してきた木田先輩によって中断された。
ということはこのインタビューは幸田くんの独断だったのか。
幸田くんが神田さんのことを気に入っているのは彼の彼女を見る視線で分かっていた。
きっとこのインタビューが再開されることはないんだろう。
私は木田先輩を見てそう思っていた。
花嫁候補が私に近付くのを嫌うのは木田先輩も晴可先輩も同じだ。
ならばきっと晴可先輩から幸田くんに何らかの圧力がかかるはず。
その時の私はそう考えていた。
ところがその二日後。
特に何も考えずに開けた生徒会室の扉の向こうに彼女はいた。
生徒会室の扉を開けた途端、私の目の前は白で塗りつぶされる。
ふわりと香る懐かしくて大好きな人の香り。
後ろには一緒に来た木田先輩がいるのに、一瞬だけずっとこのまま包まれていたいと思ってしまうなんて、私は随分晴可先輩に毒されている。
ふと気がつくと晴可先輩の背後で木田先輩と生徒会役員一同が対峙していた。
その間で戸惑った顔をしているのは神田さん。
どうして彼女が。
数日前と同じように神田さんを追い出そうとする木田先輩と彼女を生徒会に出入りさせようとする生徒会役員。
分があるのは、オブザーバー的な立場の木田先輩ではなく、生徒会側だ。
最終的には納得せざるを得なくなった木田先輩は意趣返しのつもりか、神田さんの髪をひと房手に取りそれにくちづけた。
そこからなぜか神田さんの争奪戦が始まった。
生徒会役員たちの手から手へと奪われる神田さん。
どんどん顔色が悪くなっていくのに、誰も手を止めようとしない。
ちょっとこれはどうなんだろう。
そう思った時、傍観していた真田くんが神田さんを抱き上げた。
真っ青だった神田さんの顔が真っ赤に染まる。
なんだかこれもどうなの?
そう思った時だった。
私を包んでいた温もりが不意に消えた。
遠ざかる広い背中。
私は瞬きもせずにそれを見ていた。
「いい加減にしやな衿香ちゃん仕事にならんやろ?」
衿香ちゃん?
晴可先輩は真田くんの腕から何の躊躇もなく神田さんを抱き取った。
そのまま私の傍らにあるソファーに向かって歩いてくる。
二人の姿を見たのは一瞬だった。
それでも私の脳裏には二人の姿がくっきりと焼き付いた。
くったりと青白い顔で晴可先輩の胸に頭を預ける神田さんは繊細で儚げで美しかった。
そしてそれを見下ろす晴可先輩の顔は。
花嫁候補を見るそれではなかった。
私は強制的に瞬きをした。
そうしなければ、石になってしまいそうだったから。
それ以上彼らの姿を見たくなくて、私はウォーターサーバーに走った。
胸が異常にどきどきする。
どきどきしすぎてむかむかする。
なんだろう。
この胸に広がる黒い感情は何なんだろう。
コップを持つ手が震えるのを、私は必死にこらえた。




